2015
11.18

夢見るバイオレンス。『ブロンソン』感想。

Bronson
Bronson / 2008年 イギリス / 監督:ニコラス・ウィンディング・レフン

あらすじ
一人も殺してない。



1974年、有名になりたいと願う19歳のマイケル・ピーターソンは郵便局に強盗に入り逮捕、刑務所でも暴力を繰り返し26年後にようやく出所、地下ボクシングの世界に入り「チャールズ・ブロンソン」のリングネームで活動を始めるが……イギリスで最も有名な犯罪者といわれるマイケル・ピーターソンの半生を『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフンが監督、トム・ハーディ主演で描くクライム・ストーリー。

チャールズ・"チャーリー"・ブロンソンことマイケル・ピーターソンという実在する男の無茶苦茶な人生を、ブラックなユーモアを込めて描きます。独特なカメラワーク、赤や青のライティングといった監督レフンの美意識が炸裂し、様々な顔を見せるトムハの芸達者ぶりが爆裂します。主人公のチャーリーはとにかく大暴れはするものの、直接的なバイオレンス・シーンは意外と少ない、というか要所要所ですっ飛ばしており、そのせいか狂ってはいるがどこか端正という印象。

とにかく凄いのが、暴力も愛嬌も狂気も無邪気もさらにはチン◯まで、文字通り全てをさらけ出すチャーリー役のトム・ハーディ。まさに「トム・ハーディ劇場」です。スキンヘッドにカイゼル髭という独自の風貌を持ち、常識とか道徳心といった社会性が決定的に欠けたこの男は、端から見たら滑稽でさえあるし全く理解不能ですが、理解しようとする奴はブチのめすのだからさらにタチが悪い。すぐ全裸になるし。でも無茶苦茶なのにどこか芯が一本通っているようにさえ思えてくるのが不思議。トムハと言えばベインですが、むしろジョーカーに近いイメージかも。

「有名になりたい」と言うだけの実体のない空虚な夢は、常にチャーリーの視点で描かれる物語となって、バイオレントでありながらファンタジーへと変貌を遂げます。いやあ面白かった。それにしてもボカシが入っててよかったですよ。あれノーカットだったらトム・ハーディのトムが気になってしょうがなかったよ。

↓以下、ネタバレ含む。








有名になりたいけど歌も躍りも演技もできない、でも事件を起こせば新聞にも名前が載るし手っ取り早い。短絡的ですが、高名も悪名も関係ないなら話は別。例え刑務所に入ってもそこで暴れまくればさらに名前が売れるからゆったり構えられる。だから刑務所はホテルと同じなんですね。対して精神病院を最悪だと評するのは、薬で骨抜きにされて何も出来なくなるから。チャーリーにとっては自分自身の力を誇示することが重要なのです。

物語はマイケルことチャーリーが満員の観客のいるステージで自分の歴史を語るという体で進みます。ユーモアを交えた武勇伝を面白おかしく語る一人語りは、片手を上げてにこやかに挨拶するのが可愛いかったり、陽気なピエロになったり、自身と看守の一人二役を交互に演じる姿が可笑しかったりというエンターテイナーぶり。それと並行して映し出される実際の言動でも、プロモーターに会ったとき強そうだと言われてファイティング・ポーズを取っちゃったり、刑務所で人質を取って立て籠ったり(しかも脱ぐ)、彼氏がいると言ってるセフレ女に強奪した指輪でプロポーズしてフラれたり、とりあえず全裸になってフルチンで暴れたりと、社会性に反している点を除けば(それがデカいんだけど)色々と笑えます。この「滑稽」という点に加え、看守をブチのめして刑務所の廊下を歩くときには大歓声と拍手が聞こえてきたり、26年のブタ箱暮らしでもスキンヘッドもカイゼル髭もまるで変わらない、どころか見た目もほぼ若いままという、どこか「非現実的」な点も多く見られます。要するに全てはチャーリー自身の演出による「俺様劇場」であり、彼だけが認識する事実を語る、という一種のファンタジーなんですね。だから例えば郵便局強盗は結果だけが大事なので襲う場面は描かれない、というように不要な暴力描写はことごとくカットされます。

厄介なのは、これを語ることによって彼が誰かに理解してほしいと思っているわけではない、ということです。精神病院で「君は9歳の少女だ」としたり顔で言う男は出所のきっかけを作る生贄になるし、「君には才能がある」と褒め称える芸術家は作品の一部にされてしまう。妄想ステージでは軽快に笑った直後に真顔に戻る、というのを繰り返す。理解を求めていないと言うよりは、自分を定義されることを嫌っているように思えます。これは彼自身が自分を定義できていないからでしょう。有名になりたいと言いながら具体的なビジョンは何もないため、「どういう未来を描いているのか」と聞かれても答えられないし、プロポーズした女には「野心がない」と言われ、刑務所長には「君は憐れだ」と言われる。自分の望みが分からないから、永遠に満たされることはないのです。

すぐに全裸になるのも、自分をさらけ出したい、今の自分から脱却したいという無意識の表れなのでしょう。しかし彼の「屈伏しない」という座右の銘は、自分で自分が分からないことを認めない、ということにも繋がっています。賭けボクシングをやってもしっくりこず、芸術センスを発揮しても「これが俺の最高傑作だ」と言い置いて暴力へと戻っていく。何かが足りないという思いが自分探しの旅の原動力に思えているから、チャーリーの一人語りは楽しげで、誇らしげでさえあります。ラスト、人一人が立てるくらいの広さしかない檻の中で、血だらけでぐったりと立つ姿、あれが他者の目から見たチャーリーの実体なのだとしても、彼は本当の自分を求め続けるのでしょう。

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