2015
11.17

それでも登る理由。『エベレスト 3D』感想。

Everest
Everest / 2015年 アメリカ・イギリス / 監督:バルタザール・コルマウクル

あらすじ
眠ってはいけない。



エベレスト登頂のために世界中から集まった登山家たち。頂上へ向けてアタックするも様々なトラブルが重なり、やがて天候も急激に悪化してくる――。1996年に世界最高峰のエベレストで起きた実話を元にしたサバイバル・ドラマ。

恐ろしいほどの高さ。観てるだけで凍えるかのような脅威。誰もが知る世界で一番高い場所エベレストはあまりに難所続きであり、あらゆる危機が行く手を阻みます。高度も、気温も、酸素量も、完全に別世界。あの環境でサバイバルなんてどだい無理なのだ、としか思えません。その意味では、実話であるという要素を抜いてもこうした着地になるのかもしれません。観る者が一人の傍観者となる、というのがここまで際立つと、凄いとか面白いとか以前にやるせなさだけが残ります。

ジェイソン・クラーク、ジョシュ・ブローリン、ジェイク・ギレンホール、サム・ワーシントンといった有名どころを揃え役者力で魅せようというのは悪くないですが、あくまでも事実の部分を崩さないように気を使っているように感じられて、家族愛や登頂への思いを描きつつもドラマとしては少し抑えめに感じます。もう少し見せ方があったのではと思えてならないですが、色々考慮するとこの抑えめのバランスは妥当なところなのかもしれません。ほとんど電話で喋るだけのキーラ・ナイトレイなんかスゴく良い演技ですけどね。

危険に挑む際の戒めや、難所での協力がいかに重要か、という点は感じますが、どうしても「登山怖い」という印象ばかりが残るので楽しい話ではないです。「人は飛行機と同じ高さで動けるようには出来ていない」という台詞に尽きますね。では何を描こうとしたのか、ということです。あとちょっと思ったのは、山は登ったら降りなきゃいけないのが面倒だな、ということでした。アホみたいで申し訳ない。僕には登山は向いてないようです。

↓以下、ネタバレ含む。








世界最高峰の山を極めた感動も、牙を剥く大自然の容赦なさも理解はできる。映像的にも凄まじいものがある。でも正直どう受け止めてよいのか困ります。前半は頂上を目指すまでのアドベンチャー的な雰囲気もありますが、登場人物がかなり多いこともあってその前段階が意外と長く、そのわりには今一つ人物に深みを与えてないように感じます。いまだ存命の関係者も多いのでやむを得ないのでしょうが、人物の背景がよく見えないためにそこまで命懸けで登る理由がいまいち響いてこないんですよ。むしろ淡々としてる、と表現した方がいいかもしれません。実際の心情や行動もどこまで事実を反映しているかは微妙にボカしており、ドラマを描くと言うよりは記録映画を観ているよう。では本作で描こうとしたものは、その意義は一体何だったのか?

複数チームが協力するための話し合いがエゴ剥き出しでまとまらないとか、「頂上に行ける保証はなくても渋滞で死ぬのはごめんだ!」というベックの叫びとか、事前にセットされているべきロープがなくてすぐには進めないなど、登りたいという思いとは別に様々な思惑やトラブルが絡み合った結果の惨事ではあります。あれだけ無理なら中止すると言っていたロブがダグの熱意に押されてしまったのも気持ちは分かりますが、そこはいくら「次はない」と言われても「生きていれば次はある」と言うべきだったでしょう。天候悪化だけではなく、判断ミス、準備ミス、連携ミスといった人的要因が幾多の悲劇を招いたというのが余計にやるせないです。

なぜ登るのか、という問いに「自分はできるから。そこからの景色を見れるからやる」と答えるダグ。それに同意するロブ。「家にいると自分の回りに黒い靄がある」と言うベック。それらの理由が理解できるかというと難しいけども、本人たちにしか分からない類いの情熱であることは伝わります。あっけなく奈落へ消えるダグ、暑いと言いながら脱ぎ出して滑落するハロルド、無理が祟って帰れなかったスコット、ありがとうと繰り返しロブの手を握ったその手を凍らせて横たわるヤスコ、そして生まれてくる娘に会わないままその生涯を閉じるロブ。奇跡的に甦ったベックには驚きましたが、彼は両手と鼻、両足の一部を凍傷で失います。言い難い喪失感に満ちているのは確かですが、ここで忘れてはいけないのは、常人には理解の及ばぬ困難に立ち向かうが故に登山家たちは「冒険家」でもあるということです。

「全てを決めるのは山だ」という現実、「月にいるのと同じなのね」という人知を越えた場所、この峻厳とそびえるエベレストという「舞台」こそが本作のメインであることは、タイトルがズバリ『Everest』であることからも明らか。科学や技術や歴史の積み重ねにより人間はあらゆるところへ行けるようになったとは言え、この厳しい「舞台」の前では己の存在の小ささを思い知らされるのです。だからこそ、その厳しさに立ち向かっていく冒険家の物語は連綿と語り継がれてゆくのでしょう。本作の意義があるとすればそこだと思うのです。

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