2015
10.13

君は果てしなく遠くにありて。『屍者の帝国』感想。

The_Empire_of_Corpses
The Empire of Corpses / 2015年 日本 / 監督:牧原亮太郎

あらすじ
人であることの定義とは。



死体を動かすという「屍者技術」が広まった19世紀末、亡くなった親友フライデーを自ら屍者化した医学生ジョン・ワトソンは政府の諜報組織「ウォルシンガム機関」にスカウトされ、屍者に魂を戻すという「ヴィクターの手記」を探す任務に就くことになる。伊藤計劃・円城塔の原作をアニメ化した「Project Itoh」の第一弾。

疑似霊素を死体にインストールすることで死者が動くという薄気味悪さ。それらが労働力として当たり前に存在するという独自の世界観。設定的にはホラー風味ですが、屍者に唯一魂が宿ったと言われるフランケンシュタイン博士の手記を探すという冒険活劇が加味され、かつ屍者に意識は宿るのか、宿ったらそれは生者と呼べるのかという死生観まで孕んだ大作。ゾンビもの+スパイもの+アクション豊富なSFであり、さらにスチームパンクや和風テイスト、BL要素まで加えた大変贅沢な作りで、かなりの見応えがあります。

原作は読むのに非常に時間がかかったんですが、映画版はワトソンとフライデーとの関係を大胆に変更することでより感情的な展開にし、シーンの取捨選択もなかなか的確でかなり取っ付きやすいです。この密度の物語を2時間にまとめたのは驚異的。元々ビジュアル化すると映えるだろうなというシーンが多かったのを見事に映像にしているし、イギリス、インド、アフガニスタン、日本、アメリカと世界中を飛び回っての美術もしっかりしてるし、作画のクオリティは高レベルです。物語の繋ぎ方も自然なのでとっ散らかった感じがしないのも好印象。あと屍者の目の動きが気持ち悪くて良いです。伊藤計劃は元々のプロットと序章を書いたところで亡くなり、それを円城塔が引き継いだわけですが、映画版はそれをさらにポピュラーに味付けしたと言えるでしょう。

架空の有名人と歴史上の人物とオリジナルキャラが混在する多国籍で不思議な人物配置も魅力的。主人公はかの有名なジョン・ワトソンですが、それがこんなスパイ的冒険をしていたのか、全くのパラレルワールドなのかという曖昧さも面白い。ワトソンが名前を聞かれて「ワトソン。ジョン・ワトソン」って答えるのがジェームズ・ボンドっぽくてニヤリとします。生死の差は何かという哲学的な問いにまで挑み、魂の重さ21グラムを巡る物語としてエモーショナルに仕上げながら、娯楽作としての醍醐味も損ねてないですね。エンドロール後も必見。

↓以下、ネタバレ含む。








霧に煙るロンドンのミステリアスな雰囲気、浮世絵のようなロングで映す日本など、国ごとの特性を映す美術は素晴らしいです。鎧武者が襲い来る場所をオフィスビルではなく和室にしたり、手記のあるギミックがからくり機械だったりはSF時代劇の趣もあるし(バーナビーの褌姿が酷くて笑う)。山澤さんの眉毛のぶっとさは凄いですね。剣桃太郎かと思ったよ。この日本シーンでの剣劇を始め、ゾンビ映画のようなインドでの馬車での逃亡戦、グラントの船での脱出戦、クライマックスのザ・ワン戦に至るまでアクションの魅せ方も良くて、かつそこでキャラの存在感も出しています。バーナビーの無双感もさることながらハダリーの暴れっぷりも艶やか。しかしハダリーが機械人形というのはいいとして、アンドロイドがあんなロケットおっぱいな理由が分かりませんよ。でもナイスです。恐らく製作者のエジソンの趣味だな?グッジョブ、エジソン!ゾンビものに通じる意思を持たぬ屍者が襲い来る恐怖や、人体への霊素インストールの若干の残虐描写もしっかりやっているのも良いです。エンドロールにホームズの名があって「どこに出た?」と必死で記憶を辿ってしまいましたよ。最後に出てきてほっとしました。

原作からの最も大きな改変である、フライデーがワトソンの親友であったという設定、これは一見ある層の女子の方々へのアピールにも思えますが(実際その要素がないとは言いませんが)、2時間という尺の中でワトソンの行動原理を分かりやすくするための改変でしょう。亡き人の魂を求めるというのがワトソンが命懸けで世界を駆け巡る動機になり、ヴィクターの手記を追う理由です。原作では意思を持つ唯一の屍者であるザ・ワンが担っていた役割をワトソンが引き受けているため、原作以上にワトソンの私的な物語になっているのは分かりやすく、魂の在りかを模索する、引いては死んだ者を忘れられない生者の悲哀に繋げています。隣にいてもフライデーとの距離は遥か彼方だというのがせつないです。

ワトソンはフライデーの魂を呼び戻したいわけですが、カラマーゾフは大切な者を永遠に手元に置くため、ニコライを生きたまま屍者化するという逆のアプローチを見せます。死生観の逆転とも言えるこの手法は、また語り合いたいと願うワトソンの思いとは相入れない。求めるのは失われた21グラムの魂であり、あくまで人が人である意義はそこにあるはず。しかし一瞬掴みかけたフライデーの魂はまた消え去り、その先に進むことは叶わず終わります。最後にワトソンが自ら屍者化するのは越えられない死の壁を受け入れた末の決断なのか。エンドロール後でホームズと共にロンドンの街を駆け巡るワトソン、それを見守るフライデーの姿は屍者が見る夢なのか。茫洋とした魂の境界が曖昧なまま閉じる物語に、原作とはまた違った余韻が残ります。

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