2015
09.21

闇に溶けた欠落。『黒衣の刺客』感想。

kokui_no_sikyaku
聶影娘 The Assassin / 2015年 台湾・中国・香港・フランス / 監督:ホウ・シャオシェン

あらすじ
暗殺って難しい。



唐代の中国、13年の時を経て両親の元に戻ってきた隠娘(インニャン)は女道士によって暗殺者に育て上げられていた。隱娘はかつての許嫁である暴君の田季安(ティエン・ジィアン)を暗殺するよう命じられる。カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した武侠映画。

武侠ものと言っていいのか歴史陰謀ものと言えるのか、そういったジャンル分けが難しいほどとにかく恐ろしく静か。動くものも少なく、時間は淡々と流れ、音楽でなく自然の音が囁き、カメラも実に緩やかに動く。アクションやストーリーに期待すると壮大な肩透かしを食らうほど作家性全開の一作ですが、切り立った山の麓などの味わい深い風景の数々にいつしか飲み込まれ、叙情が溢れるなか時おり静を切り裂き訪れる動が何だか不思議な景色を観ているよう。

物語は暗殺者として育てられた娘が君主を暗殺するため送り込まれる、というもの。この暗殺者役がスー・チーですが、刺客のはずの彼女は暗殺に来ているはずなのに影のようにそこに佇むのみ。狙われる君主役がチャン・チェンなのが『レッド・クリフ』を思い出します。日本からは妻夫木聡が参加し、台詞はあまりないものの(と言っても台詞は皆少ないですが)代わりに猿の如く走り回って意外と目立ってます。妻役には忽那汐里が出演してますがこれは最初気付かなかった。彼女の登場シーンはインターナショナル版ではカットされてたようで、日本用ディレクターズカット版で復活したのは良かったですね。意外と日本でもロケしてたようで、寺院とかは日本っぽいところも。

誰と誰がどういう関係かがいまいち分からないので、公式サイトの人物関係図は見ておいたほうがよいでしょう。できれば名前も覚えといた方がいいかも。静かなシーンが多くて寝そうになるという声も聞かれますが、まあそれも分からなくはないです。僕は映像とスー・チーの美しさを堪能してたので大丈夫でしたけど。面白いか云々というよりは、感覚的に堪能する類の作品ですね。傍観者として歴史の一部を眺める刺客は、そこに関われない何かがあることを思わせながら、何とも言えない余韻を残して去っていく。その経緯をじんわりと見守ることになります。

↓以下、ネタバレ含む。








隠娘が道士から言われたターゲットの田季安はかつて隠娘の許嫁だった人物。暴君という設定らしいですが、朝廷と争わないようにと進言した部下にブチ切れながらも殺しはせず更迭するだけなので、まだ理性はあるように思えるんですが、その後追っ手を差し向けたりします。あるいは田季安の正妻の仕業なのかもしれませんが、その辺りはいまいち分かりません。そもそも道士が田季安を暗殺させようとする理由もよく分からなくて、道士は田季安の養母とは双子の姉妹という設定らしいのでその絡みなのかな?正直、利害関係や怨恨などがあまり説明されないため想像するしかないです。というか説明するときは一気に台詞でまくしたてるのでなかなか付いていけない……。なので人物関係はいまいち把握しきれてないです。隠娘を襲う謎の仮面の女が誰かも分からないんですが……。それでも映像的には絢爛だったり美麗だったり荘厳だったりするので、細かいことがちっぽけに思えてくる気もします。水の中の呪い人形がいつのまにか消えるシーンにはゾッとしましたけど。

とは言え隠娘を軸にした話であるのは間違いなかろうと思います。13年間女道士の元で育てられた隠娘が暗殺者になって帰って来るわけですが、これは預けた親としては想定外だったようで(そもそも預けたのかさらわれたのかも明確じゃないんですが)戻って来ても何の表情も見せず指令通りに殺しを行う隠娘は、普通の娘から得体の知れない殺人マシーンに変わっているんですね。この時点で隠娘には自我の欠如が見られ、それを表すかのように最初の映像はモノクロで始まります。家族と会ったりするうちに画面は徐々に色付いてきますが、隠娘が姿を現すときは黒衣の衣装もあって暗闇に溶け込むようです。しかし暗殺に出向いた隠娘は、子供と戯れる領主や懐妊した愛人を見て、凶刃を振るうことをためらう。妾さんが呪い攻撃を受けてるときは呪いの影を素手で叩き払って助ける(すげーな)。結局何もせずスタスタと去っちゃうんですね。そして師匠である道士に「技は成せども情に勝てない」みたいなことを言われる。

自我を失っていた隠娘は、ターゲットが親子で戯れる姿を見たり、日本の遣唐使の青年が自分を助けたりする姿に接するうちに、人の命を奪う己に疑問を感じ始めます。自分が触れてきたことのない「人としての行動」に戸惑っているようにも見えます。揺れる幕の隙間から室内を覗くようなカメラも、じっと観察しながらどこかためらっているよう。また、画面はほぼ全編スタンダードサイズですが、元公主が琴を弾きながら語るシーンと遣唐使の青年の妻が踊るシーンだけはシネスコサイズに変わります。これらは回想シーンであり、思い出の方が大きく心を占めているとでも言っているようです。隠娘にはそういった思い出がない。心を占めるものが欠けているんですね。刺客としてどこにでも入り込めるのに、帰る場所はないのです。

技はあるが情に流される刺客はもはや刺客としての役割を果たせず、崖に立ってそれを告げる師匠の後ろでは、いつの間にか物凄い霧が出てきて山肌が見えなくなってしまう。晴れやかだった景色が隠れる様は、隠娘の進むべき道が見えなくなってしまったようにも思えます。それでも彼女は暗殺者を辞め、道を探して遣唐使の青年たちのところへと去って行く。自分から欠落したものを手に入れるための旅に出たのだ、と思うのは希望的に過ぎるでしょうか。こうして見ると、暗殺者という存在自体が孤独の暗喩なのかもしれません。

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