2015
07.24

胸の中に剣はあるか。『バケモノの子』感想。

bakemono_no_ko
The Boy and The Beast / 2015年 日本 / 監督:細田守

あらすじ
負けんな!



母を亡くした9歳の少年・蓮は家を飛び出し街の雑踏にいるときに人ならざるバケモノの熊徹に出会う。熊徹と共にバケモノの世界で過ごすことになった蓮=九太の成長を描く、細田守監督作。

バケモノ熊徹と九太少年が、やたらいがみ合いながらも師弟関係となって修行に励んでいきます。バケモノと言うから妖怪の類かと思ったらほとんどは獣人ですね。舞台となる二つの街、大通りの人混みと路地裏の侘しさがリアルな渋谷の街、バケモノの暮らす雑多で活力ある渋天街、共に美術が素晴らしいです。そしてここからどんなアドベンチャーが始まるのかと思いきや……あれれ?という感じ。ワクワクする冒険、ハラハラする活劇といったものを期待すると若干肩透かしを食らいます。あくまで九太と熊徹二人の繋がりを描くのがメインだから、ということでしょう。

声を当てるのが誰かはあまり知らずに観たんですが、意外と役者の顔を連想させない配役はなかなかいいんじゃないでしょうか。役所広司のがさつながらコミカルな熊徹とか、宮﨑あおいの小癪な九太少年とか。宗師の声が飄々として良いなと思ってたら津川雅彦だったり、百秋坊の声が渋いなと思ったらリリー・フランキーだったりとちょっとした意外性もありましたよ。まあ多々良は大泉洋みたいだなーと思ったらそのまんまだったけど。

二つの世界を股にかけたお話のわりにはどうもこじんまりしてる感じがしますが、壮大さは敢えて切り捨ててるような気もするんですけどね。ただ細田監督もすっかりビッグネームになってしまい、色々周りとも調整しながら作ってるような、全方位へ気を使ってる感もなくはない……気のせいですかね。楓との出会いに使われる横移動カメラや、青空をバックにした熊徹の後ろ姿など印象深いショットも多いんですが、どうもモヤモヤしたものが残るのでちょっと考えてみました。

↓以下、ネタバレ含む。








序盤のバケモノ界に迷い込む通路は異世界感抜群で凄く良いし、渋天街は色んな国の要素を混ぜ合わせたような感じでこれも良いです。そんな導入部には惹きつけられたものの、熊徹・百秋坊・多々良と旅に出るくだりではちょっと西遊記っぽい見た目に冒険を期待したものの、案外サラッと終わっちゃうので拍子抜け(価値観の多様性を示すのが目的なんでしょうが)。他にも長年行方不明だったのに戸籍や住民票などは取れるし警察に連絡も行かない不思議とか、「鯨」という漢字すら読めない9歳の学力でいきなり大学受ける無謀さとか、それらを深堀りするとノイズになるとは思いつつもさすがに色々と粗いです(「白鯨」は含みがありますけど)。ちっちゃい生き物チコが母親の化身という扱いもあまり効果的に思えないし、物語の落としどころが「普通が一番」という感じなのも微妙。何より二つの世界を「実は簡単に行き来できる」というのが何の前フリもなく成されちゃったのには唖然とします。

二つの世界を行き来しながら若者が何かを知るというのは、過去と現在の二つの世界を繰り返す『時をかける少女』、二つの世界が一つになる『サマーウォーズ』、二つの世界でそれぞれの道を行く『おおかみこどもの雨と雪』と細田守作品の特長でもありますが、他作品に比べてこの「二つの世界」の描き方がどうも上手くない気がします。わざわざ別次元の異界にしてるのに非日常と日常の差がそれほどないというか。バケモノ界では心身の鍛練、人間界では勉強と人間同士のコミュニケーションと住み分けされているので、それぞれの世界の板挟みで苦しむというのはなく、熊徹がイラつくのを除けばすんなり二重生活できてるんですよね。それに九太が自分の将来を見るのは人間界であって、バケモノ界で何かを成そうとはしていないのを見ると、熊徹との生活は単なるモラトリアムなのか?と思えてきます。

おまけに熊徹が父として機能する疑似親子ものと見れそうなところを、人間界で本当の父親と再会させてしまうためにどっちつかずの状態にしちゃう。そもそも何の師弟なのか、武術の弟子入りなのか、所属という意味合いなのかもハッキリしないため、父と息子の話としても師匠と弟子の話としてもどうにも半端です。個人的に九太にあまり魅力を感じないのが問題かな。さわる者みな傷付けちゃう感じは、初めは母親を亡くした孤独と親戚連中への嫌悪からと思ってたけど、だんだんただのワガママなきかんぼうに思えてくるし、卵かけご飯を気持ち悪いと言うところで非常に残念な感じに。TKG美味いでしょうが!まず醤油かけようよ!……まあそれはいいとして、ヒロインの楓ちゃんまでいまいちだったのがイタくてですね、共感を促すような言葉をああもペラペラ喋られると引きます。せっかく可愛いヒロインなのに非常に残念。

じゃあ失敗作なのかと言われれば、これがそうとも言えないと思うんですよね。やはり九太と熊徹の関係性というのは悪くないんですよ。親子愛とか師弟愛と捉えると中途半端に思えますが、似た者同士がお互いを補完しあってると見ればわりとしっくりきます。特に距離感の取り方ですね。修行初期の付かず離れずで真似をする距離に始まり、やがて互いに教え合うという対等な関係となる。そもそも豪快に罵りあってる時点で親子の情愛や師に対する尊敬とはやや違うわけで、そこにあるのはもっと単純に個人と個人の関係であり、その観点で培われるのはまず信頼であろうと思うのです。人に信頼を与えるようにまでなったことが九太の成長であり「たくさんの人に育ててもらった」と素直に言う九太を「誇らしい」と言う百秋坊と多々良の感情がそれを物語っています。この二人は熊徹に対しても同様に誇らしい思いがあるのかもしれません。だからあんなに行動を共にし、宗師になったときも大喜びするのでしょう。九太と熊徹は周囲に対しても対等に誇らしい存在となっていきます。

最後は信頼関係にもはや言葉は不要とばかりに、二人の距離はついにゼロになります。不器用な熊徹が昔口で説明しようとしてできなかった「胸の中の剣」という概念を身をもって伝える。信頼からくる「一心同体」の具現化としてはこれ以上ない距離です。そしてこれはどこか冷めている九太が熊徹の持つ熱いハートを身に宿すということでもあります。これを実現するために熊徹はバケモノである必要があった、と見ることもできそう。今後九太が蓮として生きていくときにも、このハートが武器となっていくのでしょう。

ちなみに人間とバケモノの間で揺れ動く、みたいな葛藤は九太にはなく、そこを担うのは一郎彦になります。子供時代の被り物は単なるファッションかと思ったらそれだけじゃなかったわけですね。一応説明はあるものの、正直ダークサイドに陥る経緯が不足してるし、人間界で大暴れしておきながら(あれをトレーラーの事故にするのは無理くさいですがバケモノパワーで幻でも見せたのかな?)戻ってきてからのアッサリ感はちょっと惜しいですが、猪王山たちが一郎彦の周りに揃って寝ているのが、家族として一郎彦を受け入れるという結論にはなってるのかなあと思います。ただ、一郎彦と九太の対比がもっと効いていればさらに情感豊かになった気はします。

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