2015
06.02

一線を越える男たち。『ラン・オールナイト』感想。

Run_All_Night
Run All Night / 2015年 アメリカ / 監督:ジャウム・コレット=セラ

あらすじ
家出るときは火の用心。



酒に溺れる殺し屋のジミーは、自分の息子マイクを守るためにマフィアのボスであり親友であるショーンの息子ダニーを殺してしまう。そこからジミーとマイクの長い夜が始まる……という、ジャウム・コレット=セラ監督とリーアム・ニーソンが三度組んだサスペンス・アクション。

『アンノウン』では自分が自分ではなくなる男の話、『フライト・ゲーム』ではハイジャック犯に疑われる航空捜査官の話でしたが、今作のリーアム・ニーソンはまた毛色が違って、ベテランでアル中の殺し屋役です。長く裏社会に関わり、息子とは絶縁状態、酒に溺れてバーで眠りこけちゃうようなダメっぷりのジミー。無理やりやらされたクリスマス会のサンタ役では、膝に乗せた子供を構うよりその母親を口説く始末。そんなジミーを気にかけてくれるのが、長年の盟友で今や組織のボスであるエド・ハリス演じるショーン。やがてこの二人の関係を変化させる取り返しのつかない事件が起こります。

ジャウム・コレット=セラ監督作は結構カット割るのに、比較的アクションが観やすい印象。パトカーから逃げるのではなくパトカーを追いかけるという珍しいカーチェイス 、トイレでの攻防、追って来る殺し屋との死闘、腹をくくってからのリーアム・ニーソンの鬼強さとてんこ盛り。そして『フライト・ゲーム』にも匹敵するキメの銃撃ショットにもシビれる!NYの街中をビューンと飛んで移動するカメラの浮遊感も面白いです。

同時にやったら深みを相殺しそうな親子ドラマと友情ドラマを、大胆にも両方とも話の軸に据え、それを葛藤がせめぎ合う見事な融合で描いて見せます。エド・ハリスの枯れた色っぽさがまた素晴らしい。リーアムとエドは両者とも共演が嬉しかったらしく、その相思相愛ぶりが作品にも反映されているかのようです。ジミーの息子マイクを演じるジョエル・キナマン(新『ロボコップ』!)の実直で頑固な姿、ショーンの息子ダニーのボイド・ホルブルックのクズっぷりも良いです。あとヒゲもじゃのエディおじさんがどうも見覚えあるな、と思ったら後でニック・ノルティだったと分かってちょっと驚き。

息子を守りたい父親と息子の敵を討ちたい父親、その間に流れる35年間の友情。父親を蔑む息子と父親を超えたい息子の不幸な再会。さらには過去の記憶に苛まれる男の贖罪。「夜」を舞台にドラマチックに過ぎる物語をこれ以上ないほどまとめ上げた素晴らしい出来です。しかし「30センチ」ってマジかよ……(衝撃)。

↓以下、ネタバレ含む。








唸る演出が随所に見られます。ダニーの死を知り夫に平手打ちをする妻、そこからカメラが引いて手前の壁に幼い頃のダニーの写真が映る。少し前に「俺の息子はいつからこうなった」と嘆いたショーンの、息子に注いできた愛情が見えてどうしようもなくせつないです。一方で逃げる車の中でジミーが「三人目の子供の名前を決めたのか」と聞いてマイクが「ああ」と答えた後にその名前を教えようとしない、というのが二人の溝の大きさを示します。終盤殺し屋プライスがオートマチック拳銃でジミーが古いライフルという対比は、マガジンをサクサク入れ換えるプライスに対しジミーが最後に込める一発の重さにも繋がります。グルリと回転し構えて放つ銃弾は、幕引きに相応しいシーンですね。

マイクを捕らえに来たのが最初にダニーのところに来ていた警官たちであるとか、ジミーとトイレで格闘するのがクリスマス会で女房に粉かけられた男だったりとか、出てくる人物にちゃんと繋がりがあるのもいいし、ビンセント・ドノフリオ演じる刑事が、ジミーを憎む気持ちと頼られて何とか真相を暴きたいという気持ちに挟まれるのも地味ながら効いてます(かなり地味にですが……)。また、ジミーと対峙したときのショーンの台詞がシブくてたまりません。「妻の目に見たものを、俺の目にあるものを、お前の目のなかに見てやる」とか、妻のことを聞かれ「二度と幸せになることはない」とか。ジミーがマイクに「一晩だけだ(one night)」と何度もリズミカルに言うのも印象的。シビれる台詞が多いのも魅力です。

なぜジミーが「一晩だけだ」と言うのか、最初は分からないわけですよ。一晩中逃げきれば助かる?なんで?とか思うんですけど、これはそういうことではなく、長い一夜が明ける頃には全ての決着が付く、ということがジミーには分かっていたからですね。かつて「一線を越えるときは一緒だ」と言ってくれたショーンに対し、一線を超えると宣言するジミー。それは共に地獄に行こうという旅立ちの合図でもあるわけです。そこからの皆殺しは「お前のやり方でいく」と言って成されますが、「会員制クラブに集まるギャングに憧れた」と言うショーンに対し「俺はお前に憧れていた」と言うジミーにはこのやり方しかなかったのでしょう。息子を守りつつも、親友と共に超える一線。ジミーが最後にショーンを撃つときの悲しげな表情、抱き起こしたジミーの頭に手をやりながら事切れるショーン。避けようのなかった別離には、悲しき恋愛映画と言っても差支えないほどのせつなさがあります。

息子のマイクとしては、例え守ってもらったとしても一晩でそれまでの恨みが消えるわけではありません。それでもジミーが家を捨てたのが家族を危険から遠ざけるためだったという事実を逃走中に知り、心情的には変化していきます。最後まで父を拒否しようとするのは習慣や意地みたいなもので、妻が迎え入れた後はそれまでは会わせたくないと言っていた娘たちに「おじいちゃんだよ」と紹介するんですね。そして自分たちを守って命を落としたジミーを、それまでは名前で呼んでいたのに無意識に「父さん」と呼ぶマイク。息子には真っ当な道を歩ませたいというジミーの思いは、マイクが結局誰も撃たずに済んで終わる、という成果として残ります。

マイクが少年にボクシングを教えるのは父親のいない子の公正プログラムであると最後に分かりますが、これは不在だった父親への愛情の裏返しなのかもしれません。そう考えると、早く父親に認められたいと躍起になっていたダニーもまた父の愛情に飢えていたと思えて、遡って深みが増してきます。

回想シーンでは若い頃のリーアム・ニーソンが出てきます。CGで加工してるんでしょうが、くたびれたアル中ヒットマンの姿とは違って無謀さや勢いが感じられます。同じく若くて髪もあったであろうエド・ハリスと『グッドフェローズ』みたいなことをやっていたのかと妄想すると熱いものがあります。

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