2015
05.30

純真さが拓く未知の領域。『チャッピー』感想。

Chappie
Chappie / 2015年 アメリカ / 監督:ニール・ブロムカンプ

あらすじ
テンション!



ロボット開発者のディオンは自ら思考する人工知能を開発し、スクラップにされそうだった自社の警察ロボットにインストールしようとする。誕生したAI搭載ロボットはチャッピーと名付けられ色々と教え込まれるが……という、『第9地区』『エリジウム』のニール・ブロムカンプ監督のSFドラマ。

凄い!やってくれたよブロムカンプ!舞台は『第9地区』と同じく古巣の南アフリカはヨハネスブルグ。テクノロジーとバイオレンスが交錯する世界で、随所のガジェットもたまらない二足歩行ロボットの活躍と、人工知能の自由すぎる可能性を示してみせます。ひっそりと生まれるはずだったチャッピーが意外すぎる人々と絡み、危うい均衡の上で進んでいく物語には一喜一憂。

ロボットのディテールや、スラムでしか使われなさそうなカラフルな銃器、舞台となるコンクリートの街並など、細部までこだわったビジュアルもイイ。何よりチャッピーですよ。最初に起動する時のワクワク感が尋常じゃないです。子供のようなピュアさを持つだけに、素直だったり怯えたりいじけたりと感情豊か。シルエットは『アップルシード』のブリアレオスみたいですが、観てみるとかなり印象違います。耳を付け替えてさりげなく識別しやすくしたり、車を奪うときにはちょっと目が怒ったりするのも良いです。CGとは言え滑らかに動く人型ロボットには激萌え。中の人(モーション・キャプチャーした人)がシャールト・コプリーなので、おっさんが子供演技をしていると思うと余計萌えます。

そして当初の目的からは遠回りしつつもチャッピーの親となるストリート・ギャングたち。バカでクズだけど憎めないこのトリオも面白い。特に役名と芸名が同じニンジャとヨーランディは「ダイ・アントワード」という南アフリカのラップグループのメンバーですが、その存在感が素晴らしい。ニンジャという名前らしく手裏剣やヌンチャク(ハリウッド・ニンジャですが)も使っちゃいます。そしてイイ人役が多いヒュー・ジャックマンが意外な役どころ。でもこれが思わず「なるほど」と思うキャスティングになってるのも大きい。あと会社の一大トラブル時にCEOから直電がかかってきて、そのCEOがシガニー・ウィーバーだというのはなかなかの恐怖。

AIロボットが見せる愛らしさは、やがてその生存本能からとんでもない領域を拓いていきます。ラストには「そっちに行くか!」と震えました。これは面白くてもうテンション上がりますよ。しんみりするシーンでさえテンションが大事だ!と視覚的に教えてくれます。

ちなみにレイティングを下げるために日本公開版は一部シーンがカットされたというのが話題になりましたが、カットシーンはそこだけ繋ぎが不自然なのでどこが該当箇所かは何となく分かるし、ヒュー演じるムーアの残虐性を強調するためにはあった方がよかったとは思うけど、とりあえず「カットされてるから観ない」と言うのは勿体ないし、そこは切り離すところ。物語の核心部分じゃないし、観ないと配給以前に監督が割を食うんですよ。

↓以下、ネタバレ含む。








多くの要素が込められているので語り口としては結構な拡がりがあります。例えば日常化した犯罪や暴力。『ロボコップ』を思わせるニュース映像やロボット警官スカウトによる大捕り物の序盤には、南アフリカのディストピア感と、現実を反映した話でもあるという意思表示が感じられます。吹き抜けた巨大なコンクリートビル、乾いた感じのヨハネスブルグの街並み。敵と見なせば火も放ち、警官ロボットが行動不能になった途端暴れまくる暴徒たち。最終的に15万人(だっけ?)の警官を採用することになる犯罪に満ちた世界。そこには貧困や格差や差別といったものが渦巻く社会の根底が透けて見えます。『第9地区』にも通じるものがありますね。

チャッピーについて見れば、子供が徐々に育っていく成長譚であるというのがあります。赤ん坊と同じ無垢な状態から始まり、現実は優しさだけではないことを知り、欺瞞と悪意に満ちた世界に怒り嘆くようになる。速攻で母性に目覚めちゃうヨーランディやグータッチでほんわかさせるアメリカさんとのわりとハートフルなやり取りの一方で、チンピラのところに置き去りにするというニンジャのスパルタにより暴力の洗礼を受けてしまう。イニシエーションとしては性急だし、AIならもう少し論理的な判断が出来そうなものですが、あくまで初めて世界に接する子供という体なんですね(だから他に子供は出て来ない)。

かつて興味津々だったチキン人形には目もくれずに強奪の準備をし、メイカーであるディオンに逆らう反抗期まで見せる。生みの親が望んだ芸術家、育ての親が望むギャングスタ、どちらに育つ可能性も秘めていたけど、例えAIでもリセットしてのやり直しは利かない、というのが容赦ないです。意識は解析できないからコピーできないというのも新しい。やがて暴力はいけないと言いながら暴力を振るう矛盾を無意識に犯し、寝せようと思ってた行為が人を傷付ける行為だったことに衝撃を受けます。なんて人間くさい!ロボット三原則はどうした、と言われそうですが、「感情」を持ったAIはもはや人間と大差ないということでしょうね。

ニンジャとヨーランディについては、チャッピーを含めた一つの疑似家族としてしっかり形になってます。愛情あふれる母親と粗暴な父親、アメリカは親戚の叔父さんという感じ。「リモコン切ればいいんじゃね?」というヨーランディの言葉に納得してしまうとか、ディオンのAIについての説明にポカンとしちゃうとか、基本バカではありますが、でもどこか憎めない。強奪に行くときに4人が横並びで歩くシーンなんてチーム感も抜群。ニンジャなんて最後はディオンを逃がそうとするし、ヨーランディを失った後に思い出の品を燃やす悲痛な姿には泣けます(テンションのせいで笑いに変わりますが……)。むしろ最初は同僚に手柄を奪われ焦るという姿も理解できるムーアの方が、どんどん狂気じみていって理解不能になる。MOOSEを操り笑いながら虐殺を行う姿には恐怖します。ポロシャツ・短パンというラフな姿のヒュー・ジャックマンは、元軍人の威圧感で脅したり嫉妬に狂って暴走したりする脳筋ぶりが上手くハマってて面白いです。それにしてもMOOSE、ほとんど『ロボコップ』のED-209じゃねーか!と思ったら、まさかの飛行機能にブッ飛びました。最高です。

ブッ飛ぶと言えばラストです。何が凄いって、AIの生存本能が人間の未知の領域さえも拓き、世界を一変させうる驚愕の手段を生み出してしまったということですよ。意識のデータ的解析、そのアップロードという概念は目新しいものではなく、近年でも『トランセンデンス』『her 世界でひとつの彼女』『LUCY ルーシー』などに見られます。が、ネットワークを介して意識は生き続けるとか意識の集合体とかいう話ではなく、新たな体を手に入れて肉体も意識も「個」として生き続けるという点を明確に映し出しているのが凄い。これはつまり「不死」です。この大それた展開!強いて言えば『銀河鉄道999』の「機械の体を手に入れる」に近いですね。ここにおいて「命の大切さ」という説教じみた話でさえなくなります。ディオンの「創造性を持て」という言葉は、ある意味生命まで創造してしまったのだ、と思うのはうがち過ぎですかね。

細かいことを言えば難はあります。AIが感情や好き嫌いを持つ基準がよく分からんとか、まっさらな状態だからって言動まで子供のように振る舞うのはなぜ?とか、MOOSEを操作するときムーアの周りに誰もおらずやりたい放題というのは不自然すぎるとか、『エリジウム』に続きセキュリティがザルすぎるとか。とは言えそこら辺の穴は他の見どころでさほど気にはならなくなりましたけどね。最後もなぜ生産ラインにいきなり女型のロボットがいるんだ、とは思いますが、目を見開いたところで終わるキレの良さで万事オッケーです。

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