2015
05.04

勇気と優しさは奪えない。『シンデレラ』感想。

cinderella_2015
Cinderella / 2015年 アメリカ / 監督:ケネス・ブラナー

あらすじ
ビビデバビデブー!(変身)



シャルル・ペローの童話を元にしたディズニーアニメの金字塔『シンデレラ』(1950)を実写化。シンデレラと言えば、継母と義理の姉にこき使われる美しい娘シンデレラが、魔法の力により舞踏会に行って王子様と出会うというおとぎ話。大抵の人が知っているこのお話を果たしてどのように実写化してくるのか?これが二重の意味で驚きです。それは「変えてない」ということ、そしてとにかく「素晴らしい」ということです。

近年童話を元にした映画は多く、現代的にアレンジした『スノーホワイト』や前日譚を描く『オズ はじまりの戦い』、成長した主人公の新たな冒険『アリス・イン・ワンダーランド』や悪役を主役にした『マレフィセント』、ディズニーではない『美女と野獣』、複数の童話のその後を描く『イントゥ・ザ・ウッズ』など多種多様。ところがこの『シンデレラ』は、登場人物も設定も話の流れもほぼオリジナルのまんまです。多少のツイストはありますがそれも捻っているというわけではないし、ディズニーお得意のミュージカルでさえない。なのに何だろう、この震えが走るほどの良さは!

監督のケネス・ブラナーは『ハリー・ポッター』シリーズでロックハート先生を演じたり『マイティ・ソー』を撮ったりと手広いですが、元々は『ヘンリー五世』や『から騒ぎ』などシェイクスピア劇を得意とする人。その愛憎劇や時代劇センスの本領発揮です。とにかくどのシーンも絵画のように美しい。単に絢爛豪華なだけでなく、ゴージャスさの中にも気品が溢れていて嫌みがありません。ロングで撮った遠大な景色、ブルーのドレスを翻しながら踊るダンスの優雅さなど、気持ちよく感動的なショットの連続。また、王道中の王道である「愛の物語」に「勇気と優しさ」というテーマを与え、これを最後まで貫き通す。これが素晴らしいのです。台詞回しもいちいち素敵。

最初はちょっと地味かな?と思ったシンデレラ役のリリー・ジェームズは優しさと共に芯の強さも感じさせ、観てるうちにどんどん魅力的になっていきます。結果的にはこれ以上ない適役。そしてお飾りや悪役やギャグ要員と、近年あまりにも不遇だったディズニー・プリンスも遂に復権。リチャード・マッデン演じる王子が堂々としながらも爽やかでとても好感が持てる、これが非常に大きいです。ケイト・ブランシェット演じる継母の逆らえない感も凄まじい。大公を迎える際に開けたドアに立つポーズがジョジョ立ちみたいでカッコよすぎるぞケイト姉さん。ステラン・スカルスガルドの大公も不適さとゴリ押し感があって良いですね。

これはもう併映の『アナと雪の女王』の短編が目当てでもいいから、とにかく観てほしいですね。美しさと優しさとワクワクに、何度泣いたか分かりません。有名すぎるおとぎ話に真正面から挑んでこれを乗り越え、既に名作の風格さえあると言ってよいでしょう。言うことなしの完璧な実写化です。

 ※

ちなみに短編の『アナと雪の女王 エルサのサプライズ』もとても良かったです。キャラは既知なので思い切り動かせるし、もう一人ぼっちではないことを本編と同じ場所を描くことで表現。まさかの歌あり、はしゃぐエルサの可愛さ、「少しも寒くないわ」の使い方など、短編にしては異様に気合いの入った出来の良さ。『FROZEN FEVER』というタイトルもダブルミーニングで良いですね。

↓以下、ネタバレ含む。








とにかく画が美しいんですよ。遠くに峰を頂く王国の風景、城から続く木々に挟まれた道、馬車で行く道の向こうの城と花火、城の中の美術品に溢れた部屋、シャンデリア一つとっても豪勢なインテリア(動かない兵隊も込みで)、秘密の花園の夜の闇に浮かぶバラ。そんな美術や背景の美しさに加え、演出の美しさです。エラ父娘が母と別れを告げる部屋を廊下から映したショット、エラがブランコで落としそれを王子が履かせることにより認識されるガラスの靴、動物たちが次々変身し馬車が出来上がっていくテンポの良さ。美しさにこれほど何度も泣くというのは初めてかも。さらに12時過ぎてからの馬車のアドベンチャー感とか、トカゲ執事がハエを食べたときの恍惚の表情や靴の主探しでのパン屋や婆さんなどのユーモアと、あらゆる層が楽しめる要素が山盛り。フェアリー・ゴッドマザーを演じるヘレナ・ボナム・カーターをちょっとカワイイとさえ思ってしまうし、ケイト・ブランシェット演じるトレメイン夫人が城に着いて馬車を出るときには、目に花火が写って燃え盛る野望を表したりと縦横無尽です。

ちょっと意外なのは、前半が苛められる不幸で、後半が一気に形勢逆転、という感じではないんですね。幸福と不幸が絶妙なバランスで配置されているのです。例えば、継母に「食事を一緒に食べる気か」と言われて泣き崩れた直後、馬を駆る疾走感と共に王子との出会いという山場がある。また、母のドレスをビリビリに破かれ置き去りにされて「勇気をもってきたけどもうダメ」という不幸のドン底の直後、フェアリー・ゴッドマザーの登場。ガラスの靴探しでトレメイン夫人の謀略によりスルーされそうになりながら、響く歌声と「そこにいたんかい!」という国王の登場。これらが物語の緩急として非常に上手い。

原作であるアニメ版との相違点、改変というより膨らませたという感じですが、これがことごとく良い方向に働いています。例えば、エラの母親がその存在を匂わせることが伏線となって、フェアリー・ゴッドマザーの登場が唐突ではなくなります。アニメらしいおちゃらけキャラだった国王を威厳溢れる王族にし、さらにその死を描くことで王子の国への思いを語らせて自立を促します。犬は友人としては強力すぎるので、これをネズミだけにすることでエラの寂しさが際立ち、かつ動物の活躍シーンも厳選される。アニメ版では元々馬がいるのにネズミを馬に変えて、なぜか馬が御者になるというワケの分からなさがありましたがこれも解消。ガラスの靴も持ってきた方ではなく隠していた方を割るので、アニメ版にあった整合性のなさも解決させています。ちなみにガラスの靴が魔法が解けても消えないのは、これが唯一触媒なしの無から作り出したものだからでしょう。ゴッドマザーも得意な魔法だと言ってたしね。ガラスなのに履き心地が良いとかエラにしか合わないとかは、まあ「魔法の靴だから」ということでOKとしときましょう。

相違点に話を戻すと、特に効果が大きいのが、舞踏会の前に事前に王子と出会わせる、という点ですね。舞踏会で初めて会った王子と恋に落ちるよりも断然自然だし、エラが舞踏会に行きたいという強い動機にもなります。この出会いシーンで王子は身分を隠しますが、これで彼が権力を振りかざすタイプではないということを描くと共に、同行する大尉がからかい気味に「キット殿」と言うことで大尉との関係性まで示します。さらに会話の中で「鹿を殺さないで」というエラの生き物への愛情、狩りが目的なのにその願いを受け入れる王子の器の大きさまで見せると同時に、エラも王子も身分や家柄ではなく純粋に人間性で惹かれ合うことまで描くんですね。

この惹かれ合う理由があるからこそ、舞踏会でエラをダンスに誘う時に王子が微かに涙を浮かべている、という演出が可能になります。携帯があれば場所を決めなくても待ち合わせが出来る、という今の時代とは圧倒的に違うからこその再会の感動。また、この惹かれ合う理由がラストの「ありのままでいいんだ」という台詞にも繋がります。この台詞は言うまでもなく『アナと雪の女王』を彷彿とさせますが、『アナ雪』では捻った形で知らしめたこの概念を、王道の恋愛もので再び明確に提示するんですね。ありのままで受け入れられる元祖とも言うべきシンデレラだけでなく、アニメ版では「王子様」という記号でしかなかった王子にまでこれを取り入れて見せるというのが凄いです。記号からの脱却という意味では、王子にキットという「名前」を与えたのも非常に意味があるますね。さらにシェリーナ姫に「小さな国」と言われ「窮屈でなければいいが」と返すことで機知に富んだところも見せ、国王との別れのシーンで二人が寄り添うベッドの上方にカメラが動くと王冠が映ることで王子ではなく国王になることも強調します。

もう一つ改変として大きいのが、エラの家族をしっかり描くことです。冒頭の緑豊かな森や邸宅の美しい風景から、帰宅した父と踊る娘、それを見つめる母親、騒がしく行き来する動物たち、というシーンが本当に幸せに溢れていて、特に幼いエラが父の足の上に乗って踊ろうとするところはなぜか無性に泣けてきます。父親との絆は会話だけでなく、お土産として望んだ「最初に触れた枝」がちゃんと届けられるところでも感じさせて、これまた泣けます。ドレスが母親のものであることも強調され、ゴッドマザーもこれをベースにドレスを修復するし(「ちょっとだけ」と言うわりにはえらい変えてますが)、母が子守歌として歌っていたワルツ調の曲、優しいメロディが印象深いですが、これがエラが舞踏会に現れたときに劇伴として流れるんですね。この曲は靴探しで大公が屋敷に来たときにエラが歌っている曲でもあり、母親の愛情がエラを幸福に導く象徴として機能しています。「大切なのは勇気と優しさ」という母の教えも同様にエラを導く指針となっており、虐待に耐えるのも弱さではなく、不幸に立ち向かう勇気と苛める者を憐れむ優しさであり、それを最後まで通してるんですね。テーマが見事に一貫しています。エラの優しさはその人の本質を知った上での接し方としても表れます。例えば義理の姉たちには腹を立てる前に可哀相と思ったり、舞踏会で偶然国王と会ったときに王子について人柄と父親を尊敬していることを言わずにいられなかったり。あんなこと言われたら父王も嫁としてオッケーと思わずにいられませんよ。そのため国王が政略結婚の意思を翻すのも納得できます。

家族の愛情と対になるのが継母トレメイン夫人のドス黒さです。義姉たちとは違い、継母は愚かではありません。謎の姫がエラであることに気付く鋭さを持ち、娘がバカで歌がド下手というのも分かっています。彼女は「愛には金がいる」と言うし、娘には「男は金だ」と言いますが、夫とエラが元妻について話すのを覗くシーン、夫の死を聞くシーンでは涙をためているし、登場時のナレーションや終盤語る自身の物語では「愛する夫を失った」と言うことからも、彼女が愛情に飢えていることの裏返しだと分かります。エラに「なぜ意地悪するのか」と聞かれ「お前には若さと美しさと素直さがある」と言うことからも、溢れるほどの愛情を受けて育ったエラへの嫉妬が自身のプライドと相まって苛めに繋がったのでしょう。悪役である継母にもドラマを持たせているんですね。しかし最後に一人屋根裏部屋に取り残されることで出口のなさを示し、エラの「許します」でトドメを刺されます。この「許します」は義姉たちが飛び込んできて言った「許して」に対するアンサーですが、明らかに階段上の継母に対しても言っています。自分はあらゆるものを奪い呪詛の言葉まで吐いたのに、それら全てを帳消しにする「許し」を与えられる、継母にとってはこれ以上ない屈辱であり敗北です。

とは言え継母への許しが結果的に罰になったとしても、エラにとってはそれもやはり優しさであり、最初から一貫した言動です。最後に自らを「シンデレラ」という現状を表す名前そのままで名乗り「それでも愛してくれるか、あなたを愛する娘を」と言う。これほどの「ありのまま」はないし、ここまで幸福感に満ちた告白シーンもなかなかないです。最後まで貫く勇気と優しさ、そして全編に溢れる愛情。エンドロールにはお馴染みの楽曲もちゃんと流す。オリジナルにあるものは全て描き、足りないものは全て追加した、王道さえも超えた完璧なハッピーエンドが素晴らしいです。

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