2015
04.26

目指す高みは激闘の果てに。『セッション』感想。

Whiplash
Whiplash / 2014年 アメリカ / 監督:デミアン・チャゼル

あらすじ
ファッキン・テンポ!



ジャズ・ドラマーを目指して名門シャッファー音楽学校へと進学した19歳のアンドリュー・ニーマンは、最高の指導者として名高いテレンス・フレッチャーに見出されて彼のバンドに招かれる。しかしそこにはフレッチャーの決して妥協を許さぬ容赦ない要求が待っていた――という音楽ドラマ。

音楽を通して出会うアンドリューとフレッチャー、そこに師弟の絆が芽生えるのかと思いきや、類は友とならず同族嫌悪となってぶつかり合います。体型・家族・出身地とあらゆる類の罵詈雑言で攻め立てる鬼畜教師フレッチャー、技を磨きながらも野心丸出しで自分を認めさせようとするアンドリュー。この二人の関係は果たして「セッション」と成り得るのか。ドラムセットを濡らす血と汗と涙がもたらすのはしかし心震える感動ではなく、激闘の高揚感。音楽は楽しいという次元を越えて、スパルタ指導やぶつかり合いや痛みや恨みなど全てを超越して、例えどう感じてどう解釈してようが、最後には問答無用で飲み込まれてしまう。それが面白いし、気持ちいいし、凄まじい。

鬼のような指導者ぶりを見せるフレッチャー役のJ・K・シモンズは、サム・ライミ版『スパイダーマン』での編集長役さえ霞むほどの物凄い圧。強烈なアップが夢に出てきそうなほどの迫力で、アカデミー賞助演男優賞も納得です。アンドリュー役のマイルズ・テラーのドラム捌きもかなりのもの。アンドリューはピザ好きですね。「タートルズか!」って思いながら観てました(どうでもいいですね)。この二人は「アンサンブル」というよりやはり「セッション」なのでしょう。合わせて演奏するのではなく、お互いがせめぎ合うという意味で。

本職のジャズ・ミュージシャンから見ると色々文句もあるようで、確かに超絶技巧にのみこだわるのは音楽の本質とは違うと思うし、完璧なテンポばかり求めるのはグルーヴ感を損ねることにもなりかねない。でもこの話の本質はそこではないし、最後の瞬間はそんな作品に関するあらゆる論争さえ忘れちゃうんですよね。「ラスト9分19秒の衝撃」のコピーは伊達じゃない。観終わった直後の感情を上手く言語化できないほど怒涛のテンポバトルにやられます。そう、これは戦いのドラマ。高みを目指す者にしか見えない景色がそこにあるのです。

↓以下、ネタバレ含む。








昔ドラムやってたので、指の股がズルむけて血が出る感覚とか分かります。と言ってもジャズはやったことなくて「無能な奴がやる」ロックの方なので、スティックの持ち方からして違いますけど。ちなみにスネアのヘッドを素手でブチ破ったことはありません。普通はしません、勿体ないから。

ところでどうして楽譜が消えたのかは謎のままですね。フレッチャーが隠したというのはタイミング的に無理な気がするんですがどうなんだろう。休憩前のステージでフレッチャーがタナーに目配せするので、ひょっとしたら指令を受けたタナーの自演?とも思ったんですが、それはもっと無理があるかな。うーん、分からないです。この監督が脚本を書いた『グランドピアノ 狙われた黒鍵』では清掃員が楽譜を捨てちゃうというくだりがあるので、同様に清掃員が持って行ってしまったのかも。

フレッチャーとアンドリュー、二人の共通点は「何様だ」ですね。ガールフレンドのニコルがアンドリューにそのまんまのセリフを言いますが、基本どちらも自分のことしか見てません。最初はアンドリューも級友が彼女とチューする場面を見てたり(わざわざアップになる)最初は冴えないながらも普通の学生のように見えますが、自分の世界を譲る気も他人の世界に合わせようという気もないですね。父親との映画鑑賞でポップコーンに入っているレーズンを要らないと言う息子に父が「言えばいいのに」と返すも「避けるからいい」と言う。最も分かりやすいのはニコルとの関係で、フレッチャーに見出されたらデートに誘うし、追い詰められたときは平然と彼女を捨てるし、フェスに出ることが決まると別れた彼女に電話する。アンドリューにとって女性はドラムがうまくいってるときの余剰でしかないわけです。初デートがやたら庶民的なピザ屋なのもその程度だからでしょう(ジャズが流れる店だからというのはあるかもですが)。

あんな可愛くて出来た子を「邪魔をする」と一方的に決めつけて捨てるのはクズと言うしかないですが、バディ・リッチに憧れ「偉大になりたい」と言う姿は自分に正直であると言えなくもないです。本当にドラムのことしか考えてない。ただ逆に、ドラムを叩く子供時代の自分の映像を観たりしていて、自分にはドラムしかない、と思っているのかもしれません。だからそれを認められると嬉しくてたまらないし、ないがしろにされると敵意をむき出しにする。最初にフレッチャーにスカウトされたときやタナーとドラムを代われと言われたときなどに笑みが浮かぶのを止められないし、逆に親戚との食事の場ではいとこを見下す態度を取ったり、コンペティションで自分の代役を指名されたライアンには「クソ野郎」と吐き捨てたりする。何もしてないライアンは気の毒ですが、しかしこのライアン、バンドのドラム候補として部屋に入ってきたときの気楽さがアンドリューと対称的でいいですね。自分のスティックさえ持ってきてないというね(見た目がブルーハーツの梶くんを思い出す……)。

フレッチャーは名の通った指導者で学園内での力も大きい、というのは他の教師が授業中いきなり乱入されても文句も言えないことや、父親でさえ「フレッチャー教授に会った」と話す息子に食いつくことからも明らか。終盤バーの看板に特別ゲストとして名を載せているほどなので、かなりのものなんでしょう。その名声は完璧すぎるバンドの演奏を世に見せつけるからですが、それは情け容赦一切ない指導によるもの。あのスパルタぶりはもはや指導を超えて軍隊の訓練です。罵倒が響き渡る練習場面は米海軍特殊部隊シールズの訓練に近い。スタジオ・バンドの面々が時間前に一斉に音合わせをし、時計が9時ちょうどを指したときに現れるフレッチャーというのが彼がどれだけ恐れられてるかを表してますね。皆下を向いちゃってるし。そこまで完璧を求め容赦なく指導していてもそれが生徒のためでないことは、フレッチャーが執拗に「マイ・バンド」と言っていることから察せられます。コンペティションに遅れて来たアンドリューが「僕のパートだ」と主張したときも「私のだ」と突っぱねる。つまりバンドは自分の所有物であり、自分が称賛を浴びるために鍛え上げていると言っていいでしょう。だから自分の要求を満たせない者はいらないし、音程がズレていると言われたトロンボーンのぽっちゃり君なんてその場の気分で追い出された感があります。彼が愛するのは生徒ではなく生徒の才能なんですね。

フレッチャーが曲がりなりにも指導者として成功しているのは、ムチだけでなくアメもあるからです。初めての練習参加に必死で楽譜を読み込むアンドリューに家族や音楽をやる理由などを聞いて「演奏を楽しめ」と励ます。出来る者はちゃんと主奏者に立てる。事故死した元生徒ショーン・ケイシーの才能について涙ながらに話して聞かせる。これらの言動が普段の鬼っぷりとのギャップで響いてしまうため、本当は優しい人なんだと心酔しそうになってしまうんですね。アンドリューのことも皆の前では「ニーマン」と名字で呼ぶのに、二人きりの時はファーストネームで呼ぶんですよ。これでグッと距離を近づけてくる。でも実際は、色々聞くのは罵倒の材料探しだし、出来る者を取り立てるのは自身のバンドの完璧さのためで当たり前だし、ケイシーの話に至っては実は鬼指導による鬱での自殺だったと分かります。バーでアンドリューに話して聞かせる「生徒を高みに押し上げるために厳しくした」と言うのも本当かどうか分かりません。それはフェスでの「裏切者への制裁」を考えると、あの時点でアンドリューが犯人だということは分かっていたかもしれず、彼をその場に来させるための演技だったかもしれないからです。ただ、指導に関して「努力した」と言うのは、そういったアメをバラまくという点では本当だったかもしれませんが。

ライアンのことを「君への起爆剤だった」と言い、タナーは「医学部へ転身した」(挫折して医学部ってのも凄いけど)と言って、暗に君しかいないんだというエサで誘い出す。ここまではね、反発しながらも惹かれ合う恋仲の捻じれた関係、みたいにも見えるんですよ。出会いのシーンからして、廊下の奥のアンドリューに吸い寄せられたかのように気付いたらフレッチャーが登場するし、バンド入ったら壁ドンしてくるし、他が皆黙るか狼狽えるか泣くかで終わるところをアンドリューだけがフレッチャーにぶつかっていくし。しかしこれが、己がバンドの1曲を台無しにしてでもアンドリューを突き落すための、フレッチャーの罠。その後の展開を考えると単に仕返しだったと思うんですが、奇しくもこれがアンドリューを「高み」に押し上げることになります。

そしてあのラストですよ。驚くフレッチャーを尻目にコントロールを奪うアンドリュー。仕方なく進めるフレッチャーも徐々にノッてきて、気持ちよく締めたところまではまだ辛うじてフレッチャーの「マイ・バンド」ですが、そこから始まるドラムソロは完全にアンドリューのターン。シンバルを投げられたチャーリー・パーカーが復帰後に最高のソロを見せた、という話が重なり、嫌でも震えが走ります。アンドリューの「合図を出す」という言葉に思わず頷くフレッチャー、ここからは彼にとっても未知の領域。音が遠のき、ドラマーズ・ハイの境地に達するアンドリュー。驚くことに、緩んだシンバルを自ら固定し、顔を撫でて何度も頷くフレッチャー。視線を絡ませる二人。抑えて、と示すフレッチャー。合わせるアンドリュー。徐々に上げよう。もっと。もっと速く。ジャケットを脱ぎ捨てるフレッチャー。叩きまくるアンドリュー。見つめあい、こぼれる笑み。そしてフィニッシュ。エンドロール。最高です。

この約9分を演奏シーンだけでもたせる演出と編集の力量が凄い。もはや演奏云々だけじゃなく、互いをどん底まで陥れた二人の関係、顔や手や楽器のアップに二人の間をパンするカメラなどリズム迸る映像、そして「キャラバン」のドラムが目立つ曲構成まであって成り立っています。それまでの話をどう感じてどう解釈していようが、問答無用で飲み込まれる完璧なセッション。それは息子を信頼し、守ろうとし、頬っぺにチューまでして連れ帰ろうとした父親が、舞台袖でちょっと浮かべていた笑みを消してしまうほど理解を超えた領域。指導だとか理念だとかの綺麗事とはもちろん別次元だし、師弟の絆とも少し違う、「上出来(グッジョブ)」という2語を葬り去る演奏。それでいて音楽をやった者にしか分からないような一体感さえ感じさせるのが素晴らしい。スティックが叩き出すリズムが鞭のしなりとなって追い込んだ結果、常に孤高であり自分第一の二人があらゆる雑念を捨て去り、同時に辿り着いた高み。傍から見れば狂気だった二人は、実は誰よりも純粋だったのかもしれない、とさえ思うのです。


WhiplashWhiplash
(2014/10/07)
Original Soundtrack

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