2015
04.18

あなたの後ろに鳥男。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』感想。

birdman
Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance) / 2014年 アメリカ / 監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

あらすじ
クエー!



かつてヒーロー映画『バードマン』でスターとなるも今は落ちぶれたハリウッド俳優リーガン・トムソンが、再起をかけてブロードウェイ・デビューを目指すが……という映画や演劇の業界を文字通り舞台にした物語。アカデミー作品賞のわりに結構評価が割れているようですが、僕はもんの凄い面白かったですよ!

まず誰もが触れずにいられないのがほぼ全編を貫くワンカット映像でしょう。観る前はそんな作りが成り立つのかちょっと疑問でしたが、これが様々な効果を生んでいて凄い。もちろんCGを使っての疑似ワンカットではあるし、暗転などここで繋いでると分かる箇所もありますが、それでもかなりの長回しが多用されていることは想像に難くないです。そんな映像のなか、曲者揃いの人物たちが次々と現れ、実在のヒーロー映画や役者の名前がポンポン飛び出しつつも、現実と妄想の境界がどんどん曖昧になっていく。そこに魂のプリミティブな部分を刺激するドラムの劇伴が重なり、再起を賭ける男の悲哀と衝撃の行動が描かれます。ヒーローであるバードマンの造形もイイ。ただヒーロー映画の主人公という設定は話の構造と分かりやすさのためという気がするので、ヒーロー映画への愛を期待するとちょっと違うかも。

主人公リーガンを演じるのはマイケル・キートン。言うまでもなくティム・バートン版『バットマン』で主役を演じた役者なわけで、嫌でもリーガンと重なるんですが、そんなのは当然織り込み済なわけです。このキャスティングからしてメタなところに、舞台を舞台に舞台のような映像で描くというメタ構造。とか言うとややこしいですが、決して小難しい芸術系映画ではなく娯楽作となっているのが凄い。それでいて演劇と映画の違いや演出における台詞など芸術論的な側面もあるというね。さらにリーガン全盛時にはなかったネット拡散の力、かつてないがしろにした家族との現在の関係性、才気溢れる役者マイクの舞台の上以外でのダメさ、年を経て痛感する若さへの羨望、弱さを見せるナオミ・ワッツとしたたかさを見せるアンドレア・ライズボローの邂逅と、恐ろしいほどの多重構造。

途切れない驚愕のワンショットで連続性を持つが故の閉塞感、燻るプライド、そして妄想を糧にしてそれらを越えるパワーを描く。元バットマンのマイケル・キートンの凄まじい存在感にやられ、元ハルクのエドワード・ノートンに引き込まれながらも笑い、元グウェンのエマ・ストーンのやさぐれ魅力にやられる。映画的興奮に満ちた、最高にエキサイティングな一本です。

↓以下、ネタバレ含む。








再起をかける役者が悪戦苦闘する様は至るところで周りを巻き込み、笑いに繋がります。特にエドワード・ノートン演じるマイク、最初にリーガンと演技の掛け合いをした後のドヤ顔は最高だし、何で日焼けマシン買ってんだとか、リーガンにペシペシ叩かれて痛がるところとか、舞台の本番で本番とかバカすぎて最高。プロデューサーのジェイク役ザック・ガリフィアナキスは『ハング・オーバー』のイメージが強いので凄いマトモに見えますが、リーガンの笑顔を「気持ち悪い」と言ったりマーティン・スコセッシが来てると言ったりなかなか愉快。リーガンがジョージ・クルーニーのエピソードを語るところは、クルーニーがマイケル・キートンの後釜としてバットマンを演じていただけにニヤリとします。

ひと繋ぎにしながら時間や空間まで超越する流れるような映像。並んで歩くリーガンとマイクを前から映し、ちょっと横のドラマーを映して左に振ると既に二人は先を行きその後ろ姿を映してて「いつの間に?」ってなるし、時にはスマホからテレビの画面へリレーするというトリッキーな繋ぎ方もあって取り込まれてしまいます。このシームレスな作りは途切れさせないという意味でとても演劇的。それでいて時間や空間を自由に行き来するのは映画的です。また建物の構造がどうにも把握出来なくて、楽屋の下がステージで上が屋上かと思いきや通路の先がステージになったり、衣装部屋や受付との位置関係がよく分からなくなったり、なかなかの魔窟。まるで迷宮なんですよ。この劇場自体がリーガンの脳内なんじゃないかと思うほど。現に舞台の終わったリーガンが歩く廊下が極端に幅が狭くなってたりするのは彼の心情の歪みさえも表してるようです。

この連続しているのに歪んでいる感覚はまさにリーガンそのもの。彼は何度も「これは意味のある仕事だ」と自分に言い聞かせるように話すのに、それでいて「役者を変えろ」とか「プレビューは中止しよう」とか弱気やワガママを言う。なぜリーガンが舞台をやるのかと言えばかつての栄光を取り戻したいからですが、心の奥ではブロードウェイで自分がいかに浮いてるのかも分かってるんですね。自分は役者なんだと言いながら心の声であるバードマンは「お前に芸術は無理だ」と言うし、評論家のタビサに「あなたは役者じゃなく有名人よ」と返されたあとは、役者としての拠り所であったはずのレイモンド・カーヴァーからもらったというペーパーもグラスの下に置いたまま帰ってしまう。マイクに「カクテル・ナプキンだからカーヴァーは酔ってた」と言われたこともあったでしょうが、とにかく矛盾に満ちています。

元妻が「あなたが出たコメディ映画を貶したら怒った」と言うように彼は誉めてほしいわけですが、評論家には観る前から嫌われ、娘にはこき下ろされます。自分は一過性の有名人ではない、役者なのだという思いは「自分は本当は凄いんだ」という自尊心の裏返しであり、それが超能力として表現されるんですね。実際はジェイクが見たときは自ら物をブン投げて破壊してたし、飛んでると思っててもタクシー運転手が料金を取りに来たりしてるのでこれらは妄想なんですが(個人的にはこの辺りはもっとボカしてもよかったですけど)。追い詰められて夜が明けた後はもう一人の自分であるバードマンに「お前は有名人だ、世界中のスクリーンが待っている、派手にやれ」と煽られ妄想爆発。このパワーと開き直りがたまりません。ブリーフ一丁でもいいじゃない!クエーと叫べ!指をならせ!ってことです。レッテルを貼ることに対し評論家を罵るシーン、そのレッテルにこだわってるのは「俺は役者なんだ!」と言い張るリーガンの方だったりするわけですが、そんなレッテルも過去の栄光や後悔ごと自らを破壊することでブッ飛ばします。それこそが原題である「無知の予想外の美徳」となっているのです。

最後は鼻が嘴のように変わったリーガンが自由に飛べる本当のバードマンとなったかのように見えますが、これが曲者。エマ・ストーンが上を見上げて笑うのは、実際はリーガンは地面に落ちていて、そのリーガンの魂が天に昇りゆくのを「解放」と見て笑っているのかもしれないのです。あるいは撃った後の映像を考えてみると、火を纏いながら落ちてくる隕石はバードマンの失墜のようだし(これは冒頭にも流れる)、ステージ上の鼓笛隊に混じりスパイディやアイアンマンやバンブルビーなど出来損ないのヒーローたちが乱舞するのは薄っぺらいショービスとの別れにも見えるし、浜辺に打ち上げられた生物の死骸は文字通り死を連想させます。さらに病室シーンではあのタビサが舞台を絶賛する記事を書いていたり、どう見ても頭撃ち抜いてたのに鼻が吹っ飛ぶというのはおかしいとか、どこか不自然。だからひょっとしたら病室以降は丸ごと、死にゆくリーガンの夢なのかもしれません。舞台の最後の台詞で「自分に愛される資格はないのか?」と嘆いたリーガンが、栄光を取り戻したのち自身が本当のバードマンとなって娘にそれを眩しげに見上げて欲しいという願望です。ここは解釈の分かれるところかもしれませんね。

そんなわけで、何でこうなったという後悔と諦めと捨てられないプライドにがんじ絡めになりながら、それでもまた飛びたいという思いが悲劇と喜劇の合間でスパークする、その投げやりさと熱意の同居がね、好きなんですよ。結局自分に重ねて観ちゃうところがあるんですかね。別に有名人じゃなくても過去に囚われる思いとそれを打破しようとする思いはあるし、それをブチ壊したい気持ちも笑い飛ばしたい気持ちもある。僕の背後にもバードマンはいるのかもしれません。


Ost: BirdmanOst: Birdman
(2015/01/20)
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