2015
02.22

認めて欲しい男の怨嗟。『フォックスキャッチャー』感想。

foxcatcher
Foxcatcher / 2014年 アメリカ / 監督:ベネット・ミラー

あらすじ
金で買えないものがある。



1984年ロサンゼルスオリンピックのレスリングで金メダルを獲ったマーク・シュルツは、デュポン財閥のジョン・デュポンからレスリングチーム「フォックスキャッチャー」に誘いを受けるが……という実話を元にしたドラマ。

レスリング関連の実話ということしか知らずほぼ事前知識なしで観ましたが、話を知らない人は知らないまま観て良いです。最後ブッ飛びましたよ。鑑賞後も、今すぐ振り払いたい気持ちとヘヴィな余韻に浸りたい気持ち、その相反する感情に板挟みになります。肥大化した自尊心、繰り返される妄言は、滑稽を通り越して不快となり、やがてまとう言いようのない不気味さ。音楽を極力排していたり、常に薄曇りの天候もあって、舞台が豪邸や広大な敷地であるのとは裏腹に常に閉塞感がまとわりつき、徹底して緊張感が続きます。

役者陣が素晴らしいです。マーク・シュルツ役のチャニング・テイタムは「これがあのテイタムか?」というくらい見事な演技。受け口気味な表情で愚直さを出しつつも、イラつきながら一人もがく姿が痛々しい。マークの兄で同じく金メダリストのデイヴ・シュルツ役はマーク・ラファロ。『はじまりのうた』とは全く異なるハゲひげマッチョながら、実直な人当たりの良さと深い瞳に魅了されます。そしてジョン・デュポン役のスティーヴ・カレル、コメディ畑の人でありながら死んだ目の寒々しさが実に気持ち悪くて凄いです。

役者力の強さを保ちながら持続するサスペンスは観る者を絡め取って離しません。悲しみ、怒り、憎しみ、寂しさ、遣りきれなさ、様々な負の感情が喚起される。打ちのめされます。

↓以下、ネタバレ含む。








序盤でデイヴとマークが繰り返すトレーニングシーン、バッティングして鼻血が出てもお互い何も言わず黙々と続ける。ここで二人が長年こうやって鍛えてきたという時間の積み重ねと言葉のいらない信頼度が見られます。一方で冒頭のマークの講演会がデイヴの口利きらしいということや、デイヴが協会の人々と談笑してる間所在なさげにうろつくマークの姿からも、マークが社会的にはうまく立ち回れていないということも伺えます。後にデュポンに語るように、自分が頑張っても全て兄の功績のように語られてしまう苛立ちというのを持っており、兄から独立したい思いがあるわけです。そこに自分を認め厚待遇で迎えてくれるデュポンになびくのは致し方ないところですが、それまでの承認欲求の大きさの反動でデュポンに心酔するところまでいってしまう。経験もないのにコーチを名乗るデュポンの胡散臭さも、逆に自分がデュポンの練習相手になるのも、ヘリの中でヤクに手を出すのも多少の引っ掛かりを感じつつ従ってしまう。マークはデュポンにビンタされながらデイヴを求める言葉を聞くまでその歪みをハッキリ認めらません。

ジョン・デュポンはマークの実績に自分の夢見た栄光を重ね、指導者として受ける尊敬をマークに求めます。さらには大富豪ならではの環境整備や協会への影響力、国のためという免罪符を持って周囲にも容認されてしまいます。しかしその歪んだ情熱は空疎な言動として随所に表れてて、この金と権力にものを言わせる様子が本当に気持ち悪い。国粋主義的な物言いはロサンゼルスオリンピックで多くの東側諸国がボイコットした時代性もあるでしょうが、その裏に潜むのは母親への思いなんですね。自分の愛するレスリングを「嫌いだ」と切り捨てる母親への反抗心から、母親が大事にする馬の置物の代わりにマークの獲ったメダルを飾ったり、わざわざ母親に指導風景を見せたりして、自分がどれだけ凄いのかアピールする。母親に対する承認欲求なんですね。しかし彼女の死によりその欲求は永遠に満たされないことになります。死後に飼われていた馬を放つのも、母親の影響下から逃れられない自分を重ねていたのでしょう。

メダリストとしての実績もあり周囲にも認められているという点で、デュポンが求める理想の姿こそがデイヴですが、デイヴを呼び寄せてもテイヴ自身になることは出来ず、結果的に己の浅さが浮き彫りとなります。事件はデュポンの論理で言えばこうでしょう。最初は自分の誘いを断ったデイヴは、ようやく来たと思ったら指導者としての敬意を横取りし、ビデオ撮影で「ジョン・デュポンは人生の師です」と言うときは非常に嫌そうな顔をし、チームを辞めても弟へ給料を払うことを要求し、オリンピックでは獲ると言ったメダルを獲れず、日曜は家族サービスの日だと言って自分を追い返す。妻は「ハーイ」と気楽な挨拶。アメリカをしょって立つこの自分に対して。母親の死は縛りからの解放を与えたものの、同時に永遠に認めてもらえない空虚さをもたらす。そんな折に見たビデオには自分を慕うマークの姿。マークが自分から去ったのは誰のせいか。全てデイヴのせいだ、となるわけですね。最後の「何が不満だ!」にはこれら全ての思いが含まれています。

デュポンがデイヴから奪おうとしたものは金では買えないもの、金をばらまき環境を整え指導者ヅラをしても得られない「尊敬」であり、認めてもらうことです。それが分からなかったから、ノリで「ジョンD!」と呼んでくるような有象無象と違い唯一尊敬を持って慕ってくれたマークを喪失しても、それが自分のせいだとさえ思ってないのでしょう。一方でマークはジム仲間が揶揄するように語っていた総合格闘技の世界に入りますが、事件に関するマークの心情は特に語られません。そこにあるのは解放なのか喪失なのか。最も自分を認めて欲しかった兄を失った空虚さに、マークもデュポンと同類になりかけていたのかもしれません。それを振り払うように、マークはリングに向かうのです。

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