2014
12.20

人生はドラマティック!『ゴーン・ガール』感想。

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Gone Girl / 2014年 アメリカ / 監督:デヴィッド・フィンチャー

あらすじ
ケツアゴを隠せ!



失踪した妻のエイミー。夫のニックは彼女の捜索のため記者会見を開くことになる。果たしてエイミーはどこへ消えたのか。というデヴィッド・フィンチャー監督作。

いやもうね、何て言ったらいいんだろう。笑えるというか怖いというか、楽しくもありおぞましくもあり、悲劇であり喜劇でもあり、とにかくもう、ずっと面白かったです。冒頭の浮かんですぐ消えるクレジット表記に始まり、ひんやりした映像、使いどころもユニークな音楽、疑惑が加速する演出、呆気にとられる展開、ケツアゴと、バランスの良さと引きずり込まれる推進力がたまりません。

主演のニック・ダン役のベン・アフレックと言えばケツアゴですが(他にあるだろう)その特徴をまさかこんな形で取り込むとは。妻役のロザムンド・パイクは『アウトロー』で意識して以来いつもビックリしたような顔をしてるなあと思ってましたが、これを観てビックリ顔というより究極のおすまし顔なのかもな、と思いました。

感情移入するタイプの作品ではないと思うんだけど、人によってはとある方向にかなり怖さを感じてしまうでしょうね。とにかく面白いです。ネタバレ禁止案件なので細かいことは知らずに観た方がいいですね。

↓以下、完全ネタバレ。要注意。








失踪した妻の行方、というミステリーで引っ張る前半。不自然な現場、僅かな血のあと、そしてニックの不貞と、どう見ても旦那が怪しいという方向に警察も町の人々もテレビの視聴者たちも流されます。加えて挿入される過去の映像が日記の文章とリンクしているため、観てるこちらさえも同じように感じるんですね。しかしニック演じるベンアフがどうにもヌケサク感が強くて本当なのか疑わしいし、現場を初めて見たときに誰も見ていないところで名前を呼んだり驚いたりするのも芝居としては不自然だし、ちゃんと疑問が残るような作りになってるんですね。そして薪小屋の中を映した後、唐突に語られ始める真実。若干戸惑いながらも瞬時に把握させる真相の見せ方、そして切々と語られるパーフェクトな完全犯罪ぶりに、クールなクライムミステリーものに受ける感動を覚えます。

ところがこれがまだ中盤です。散々追い詰められるニックから一転、今度は完璧なシナリオを描いたはずだったエイミーが追い詰められていきます。ドアを開けても誰もいないというシーンがニックにもエイミーにもありますが、これらはニックは不倫相手からのメッセージ、エイミーは金を持ってることがバレたときと、最もバレてはまずい事実が明らかになったときなんですね。事態の反転が起こるのです。しかし、じゃあエイミーの目論見が露見して終わるのかと思うととんでもないわけです。しかもここからが本番というのがスゴい。ストーカーまがいの元カレに軟禁され絶体絶命かと思いきや、それさえも自分の計画の一部に組み込んでしまう。そしてマスコミの前で血だらけの薄着姿で帰還、というあまりに劇的な復活劇。ニックが抱き留めながら「このクソ女」と思わず囁いてしまうほどの完全勝利です。

この劇的な、というのがエイミーの最も求めるものなわけですね。幼少時から「完璧なエイミー」という絵本の主人公のモデルとして注目されてきたエイミーは、傍目には興味ないフリをしていても、その過程で自分ももっとドラマティックな人生を送りたいという欲望が積み重なっていったのでしょう。つまり自分自身がアメイジング・エイミーであることをです。「君は何者だ」と聞かれて三択問題を出すようなシャレた会話や、粉砂糖舞い散る中でのキスという絵画的シーン、結婚記念日の宝探し。全てが自分の求めたスマートでエレガントな、ドラマティックな人生であり、だからこそニックと結婚したわけです。エイミーがニックを犯罪者に仕立てようとしたのも不倫相手との現場を見た故の嫉妬などではなく、自分だけのドラマティックなシーンをどこぞの小娘に同じようにやったことが許せなかったからこその報復なわけですね。だから不倫相手アンディの会見時は無表情なまま罵詈雑言を言ってたエイミーも、ニックのインタビュー放送はそのドラマティックな展開、そこで語るニックのこれ以上ない完璧な台詞に食い入るように見入るのです。もう目が爛々と輝いちゃってる。この辺りのロザムンド・パイクの表現力は素晴らしいです。ハンマーで自分の顔を殴るときの表情なんかも最高でしたね。あと音楽が流れるのが、前半はエイミーの劇的な過去映像、後半はエイミーが企んでる時や作戦を実行してる時という、主にエイミーがドラマティックを演出するとき、というのも効いてます。

自撮りをシェアしようとするバカ女も結局はドラマの盛り上げに一役買っただけだし、一般人の私生活を食い物にするマスコミなんてエイミーにとっては「キタコレ!」なわけです。帰還後に病院から家に帰ってきて二人が玄関前でマスコミに手を振る姿なんて、最高に絵になってますからね。皆が知るドラマティックな人生なんて普通はそうそうないわけで、それを実現するために役割を演じることに徹する、そこに何の抵抗もないのがエイミーです。一方のニックはどうなのかと言えば、彼自身もエイミーに指摘されたようにイイ男を演じていたわけです。インタビューが上手くいったときの満足そうな顔、取り戻した人気というのもあって、「僕らは愛しあったけど、憎しみあい、支配しあおうとしたのに」というニックに対し「それが結婚よ」と言い切るエイミーに、心の奥底で共感してしまったのでしょう。それは「彼女と一緒にいたいのか」というマーゴの言葉を暗に認めてしまうところにハッキリ見て取れます。エイミーの用意した極め付けのドラマ要素「懐妊」を「責任がある」と言うのも言い訳に過ぎないのです。ニックもまた役割を演じることを受け入れてしまうのですね。

こうしてこの「夫婦ごっこ」は「家族ごっこ」として今後も続くのです。冒頭の人生ゲームはまさにニックの人生の象徴。エイミーのアップで始まり、同じようなエイミーのアップで終わりますが、その意味合いは大きく異なります。雨降って地固まる、ではなく、どしゃ降りで地滑りし続けてるようなもんですね。それでも周りには幸せそうに見える。これはもう喜劇ですよ。弁護士が「君らほどクレイジーな夫婦は見たことがない」と言って笑いますが、まさにそれです。だから僕は悲喜劇として観ました。特異で秀逸な人物造形と、ミステリーの先にある人間模様に、途中からニヤニヤが止まらなかったです。ちなみに「悲」が付くのはマーゴのことを思ってで、今回最も傷付き、それでも最低の兄を愛し続けようとする彼女だけがとても悲しいですね。

タイトル「GONE」には色んな意味がありますが、「消滅した」という意味ならそのまま「消えた女」だろうし、「過ぎ去った」という意味ならエイミーの過ぎ去りし少女時代、アメイジング・エイミーのこととも見れるし、「見込みのない」という意味ならエイミーの呆れるほどの救いようのなさと取れます。おまけに「妊娠した」という意味まであるようです。参りました。

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