2014
12.16

不貞の象徴か、全ての源か。『メビウス』感想。

moebius
Moebius / 2013年 韓国 / 監督:キム・ギドク

あらすじ
切るのは勘弁してください。



夫の不倫にキレた妻が息子の息子を切り取っちゃう、という設定からしてヘヴィな、チンコを巡るキム・ギドクの性の一大叙事詩。もうね、よくこんな話を撮ろうと思いましたね。台詞が全くないというのも特徴。話が話なだけにシモ用語の乱発はご了承ください。

しょっぱなから切り取られちゃいますからね。壮絶です。壮絶ではあるんですがかなり歪な話でもあります。確かに痛々しい描写が多いですが、あまりに狂った展開、そして叫び声や呻き声以外は本当に台詞が一つもないというところには、むしろ寓話性を感じます。つまり「それおかしくない?」という点も別におかしいわけではなく、そういう構造なんですね。

台詞が一切ないというのはさすがにちょっと不自然さを感じますが、これは肉体性の強調でしょう。母親はどう見ても頭がおかしいので病院に入れるべきだと思うし、父親の責任の取り方も変な方向に行っちゃうけど、そういった行動が表すものが何かということですよね。失ったり取り戻したりすることで得るもの得られないものを炙り出している、と思うのです。そこには切り取られてなお性衝動を満たそうとする貪欲さ、性に縛られた男女のサガ、家族という関係性のあり方が見られます。

劇場で隣に座ってた女性が身を固くするのが分るくらい痛々しいシーンも多いですが(僕はわりと平気でしたが)、直近で言えば『ニンフォマニアックVol.1Vol.2』にも通じるような性と生のお話です。母親の狂気の笑顔が脳裏に刻まれます。

↓以下、ネタバレ含む。








男性器の切断を描く映画は過去にもあったわけですが、ではこの作品で特徴的なのは何だろうと考えたとき、切断して終わりではなくそこから始まるということなんでしょう。それは無理やり大人にするための割礼みたいな儀式的な意味合いではなく、性衝動の根源である性器を失ったらどうなるかということなんですね。

チンコがあったときは家族としてうまくいきませんが、チンコを失うと父と息子の関係が強化されます。しかしそこにあるのはチンコなしでいかにオーガズムを得るかという性の協力関係であり、失ってなお性の束縛から逃れられない男たちの浅ましさが見られます。次に息子は父が手を切った不倫相手と関係を持ったり、ナイフでブッ刺して快感を得るという独自の手法を編み出したりして、父からの親離れを示します。ところが母親からは離れてないんですよね。それは不倫相手が母親と同じイ・ウヌが演じていることからも伺えます。母と不倫相手がなんか似てるなー親父の趣味かなーと思ってたら同じ人だったわけで、どうりで顔も乳もそっくりなわけだ。そして最後に帰ってきた母親はチンコのない父を放って息子と関係を持とうとします。もはやチンコなら何でもいいくらいの勢いですが、手でしごいたあと我に返ってか泣き出します。それを見た父親は母親と無力心中。命を絶つのが男根に見立てられがちな銃であるというのも象徴的。

自慰から始まり父、女、母と渡り歩いた息子は、まるでチンコがあろうがなかろうが目指す先は性の極致であるかのようです。つまり何も変わってないんですね。チンコありが表の状態なら、チンコなしが裏の状態。しかしどちらにしても性衝動、近親相姦、と同じ道に繋がっていく。表かと思ったら裏だった。まさにメビウスの輪です。

この無限地獄を断ち切るため、今度は自らチンコと決別する息子。ラストで仏像を前にニコリと微笑む息子は、今度はまるで悟りを開いたかのようです。思えば仏像の下にチンコ切り刀が隠してあったことも、諸悪の根源を滅せよという仏の声のようでさえあります。失って悟るとは、これは男根崇拝の否定なのか?とも思います。しかし、母親が付いて行くのも同じように仏像に祈っていた同じようなパーカー姿の人物だったんですよね。ところが彼女は悟りを開くどころか畜生道の輪廻に戻ってきてしまう。微笑む息子の後ろにはあの母親が立っているかもしれないのです。もはや表も裏もなく終わりのない道行きからは、性から逃れられない生というものを感じてしまうのです。

あとレイプ野郎のチンコは切り取って車に轢かせて良い、というのは覚えておきましょう。

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