2014
12.06

僕は戦車に乗って戦った。『フューリー』感想。

Fury

Fury / 2014年 アメリカ / 監督:デヴィッド・エアー

あらすじ
悲しいけどこれ戦争なのよね。



第2次世界大戦下、ドイツへ侵攻する連合軍の戦車兵たちを描く、デヴィッド・エアー監督、ブラッド・ピット主演の戦争映画。

劇場はもう最初から最後まで完全に戦場。当たり前のように転がる死体。尋常じゃない戦車愛。緊迫感だけでなく高揚感まで描く命のやり取り。「怒り」の名を冠する戦車はブラピ演じるドンそのものです。ベテラン戦車兵に混じった新米クルーのように、観る者も火線飛び交う修羅場で戦うしかないのです。

正しいとか間違ってるとかそんなこと戦場で言ってたら死ぬわけですよ。だからいざという時は祈るし、生き残ったら笑う。そんな戦時下の状況が、一人の若者が兵士となる姿に沿って描かれます。観終わった後の疲労感は尋常じゃないけど『サボタージュ』でデヴィッド・エアーに若干モヤッた人も心配無用、男も女も漢泣きです(あれはあれで好きですが)。

『ウォーキング・デッド』のジョン・バーンサルの憎たらしさ、『エンド・オブ・ウォッチ』のマイケル・ペーニャのふてぶてしさ、とチームのキャストが皆役柄に合ってて良かったです。顔の傷は実際に付けた傷だというシャイア・ラブーフの眼力は凄かったし、ブラピの存在感と絶妙な立ち位置、手相見ちゃうローガン・ラーマンのDT感も素晴らしく良いです。そして戦車ですよ!戦車戦の迫力、臨場感。戦車最高!ティーガー超怖い!早く、早く撃って!ってなります。

観客はなぜか非常に年齢層が高かった(おっさん率が高かった)んですが、やはり戦車ものは一定層への訴求力があるのでしょうか。そういう人はチームを率いるブラピに自分を重ねて熱くなることでしょう。でも若者はローガン・ラーマンに自分を重ねてしまうだろうし、女性も戦争映画が大丈夫なら全然観て良いと思います。あと戦車好きは観ましょう。僕は別に戦車詳しくないですが、これ観たら俄然戦車に興味が沸いてしまったよ。ガルパンにはハマらなかったのに。戦車は地上最強の乗り物だってマスターキートンで言ってたのは本当だなって思います。

↓以下、ネタバレ含む。


本物の戦車を使った戦闘シーンがスゴい。曳光弾を使った近未来SFのような射撃戦は(リアリティという点では微妙ですが)色違いで火線が見える映画的な演出として面白い。歩兵が戦車を盾にして進軍するというのも理に適ってますね。何よりシャーマンv.s.ティーガーの一騎討ちですよ。もうべらぼうに熱いです。素早くはない動きでの後ろの取り合いは焦りとスリルで手に汗。あれを乗り越えたられたらそりゃ笑うしかないです。狭い戦車内を上手く映してたのも良かった。あと頭や手足が容赦なく吹っ飛ぶのは大事ですね。ブラピの最後だけはありえないほどキレイでしたけど。

理想は平和だが、歴史は残酷だ。というドンの言葉が示す通り、人類は戦争を繰り返し殺しあってきたわけで、戦争はよくないというのは戦争映画の大前提としてあるわけです。それを踏まえて何を描くのかということですね。この作品で出てくるのは多くの死線を潜ってきたベテラン兵たちと、タイピストなのになぜか戦車隊に送られた若き兵士、というわりとありがちな設定ですが、このラーマン演じる若き兵士ノーマンが最初は戦場の真っ只中で人を殺すことを拒否しておきながら後半は殺戮の限りを尽くします。言うまでもなくベッドを共にした女性が殺されたことに対する怒りからブチ切れたわけですが、善悪で計っていた価値基準が一度の空爆でひっくり返るわけです。正しいこととは何かなど問うてない。新兵でしかも初めての相手(多分)の死を目の当たりにした怒りが彼を変えるのです。

若者に比べてベテラン勢が強い人間、なわけでも決してありません。バーンサル演じるクーンアスなんてあれだけムカつくことをしておきながらノーマンに「お前はイイやつだ」と言ってしまうあたり、普段の攻撃的な振る舞いが多少の強がりや愛情の裏返しであることが分かります(完全に死亡フラグな台詞ではありましたが)。最も落ち着いてるように見えるラブーフ演じるバイブルも、最初にノーマンに聞いたことは「神への祈りは届いたか」です。ドンでさえ、冷静に命令を下しながらも人目につかないところでツラそうに顔を歪める。そして戦車に付けた「怒り」という名前。逃げ場などない。戦って勝ったら次の戦場。そんな恐怖や悲しみを粉飾しているのが「怒り」なのでしょう。それはドンが、戦いを放棄した者を吊るすようなSSの高官だけは生かしておかない、というのにも伺えるし、あのやたら長くて息詰まる食事シーンで語られた馬を殺していく話からも察せられます。あの居心地の悪い食事シーンは逃げられない現実の象徴でもあるのでしょう。エンドロールで実際の当時の映像を見せるのもやりきれなさへのダメ押しになってます。

「若い二人だ」と言ってノーマンたちを隣室に送るドンも、ノーマンの手を引いて歩いていくドイツ娘も、いつ死ぬか分からないということを知っての行動。ノーマンは手相見てる場合じゃないですよ。早くヤれよ!とか思っちゃいましたよ。この「いつ死ぬか分からない」というヒリつく感覚は随所から感じられます。ドンが身綺麗にして食事を取るのもその一環でしょう。だから彼らは神への祈りにすがりながらも、祈りが聞き届けられないことも知っている。拠り所は仲間であり、戦車という一種のシェアハウスこそが我が家。ドンがノーマンのことを「SUN」と呼ぶのも、ノーマンがマシンというあだ名で呼ばれるのも彼が家族の一員となったことを示しています。ドイツ兵300人を迎え撃とうというのは完全に自殺行為ですが、「ここが我が家だ」と言うブラピの表情と口調が全てを語っているし、「ここが好きだ。お前たちがいる」と言うのはもう国のためという大義を超えて仲間を失いたくないという思いからだし、最高の職場だって言っちゃうのもそこが信じられる唯一の場所だからでしょう。

ラストでノーマンが敵に見逃してもらったのか本当に気付かれなかったのかは分かりませんが(気付いてたと思うけど)、これからノーマンは「我が家」を出て一人この傷を抱えて生きて行かねばなりません。最後に十字路のど真ん中で沈黙する戦車は、住人がいなくなったうら寂しい家のようで胸に迫ります。

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