2014
11.18

セクシュアリティの悲喜劇。『ニンフォマニアック Vol.2』感想。

nymphomaniac_02
Nymphomaniac / 2013年 デンマーク / 監督:ラース・フォン・トリアー

あらすじ
もう我慢できない。



色情狂を自認する女性ジョーと彼女の告白話を聞くセリグマン。行き着く先の見えない性の物語を描くエロテッィク・ドラマ後編。

前編の感想はこちら。
私的で知的な性的世界。『ニンフォマニアック Vol.1』感想。

Vol.1からセクシュアリティの追求とその是非、引いては人間そのものを描いてきた物語はさらにエスカレート。3PやSM、果ては特技を活かした仕事(風俗ではない)や後継人の話まで、もはやエロいのかどうかもよく分からなくなってきます。いやエロいんですが。様々な性欲の形をカテゴライズしていくのはある種アカデミックにさえ感じるんだけど、欲望に忠実なために失うものもあるというのが現実だというのも描きます。セクシュアリティの行き着く先は本能と理性のせめぎ合い。しかしそんな葛藤を嘲笑うかのように結論を平然とひっくり返す。これはもう笑うしかないです。

途中から若き日のジョー役ステイシー・マーティンから現在のジョー役シャルロット・ゲンズブールにバトンタッチされますが、この二人あまり似てないのでちょっと違和感あります。そこは脳内で補完が必要。続投のシャイア・ラブーフやL役のウィレム・デフォーは思ったより出番が少ないしそれほど変態でもないのが惜しいですが(なんだその期待感は)、K役のジェイミー・ベル、P役のミア・ゴスあたりはイイですね。登場人物はイニシャルのみの人が多いので、その匿名性が客観的でもあり記号的でもあって、そこがまるで「性の百科事典」的なインテリジェントな印象を与える気がします。内容は真逆ですが。

コメディと言うには鮮烈、ポルノと言うには壮大な悲喜劇。いくら高潔ぶっても人は性欲と無縁ではいられないという一見単純なことながら、そこには深淵があり、その意味では人間の本質を抉リ出した話と言えるでしょう。

↓以下、ネタバレ含む。








前作ラストで不感症に陥ったジョーは「第6章 東方教会と西方教会(サイレント・ダック)」にてあらゆることを試します。そのきっかけが愛と安らぎの象徴だったジェロームに言われたから、というのは皮肉です。言葉の通じない黒人を通訳使って誘うとか、あの通訳の人も可哀相ですが、チ○コ丸出しで口論する黒人もアホでいいです。Kによる本物のSMプレイはイカれてますが、クール過ぎるし何を言い出すか分からないので緊張感が凄い。そこにあれだけの女性が待機しているというのも思わず納得しそうになります。

ジョーに取ってはKのプレイは恐らく新鮮だからこそ効く一過性のものだと思いますが、そこでセクシュアリティこそ己のアイデンティティだと確信してしまうんですね。子供を捨ててまでその道に走るのは共感はできませんが、これは動物の中でも人間にしか出来ない選択だとは言えるでしょう。行き過ぎた性の追求に遂にはセックス中毒者のセミナーに通うことになりますが、まともな方向に向かうかと思いきや、セクシュアリティが大事だと吐き捨てて去っていく。「第7章 鏡」でセミナー中の鏡に映るのは過去の自分であり、そこに積み重ねてきた人生を見てしまう。筋金入りです。

「第8章 銃」では相手の性癖を見抜いてそれにより攻め落とす借金取立人という、もはや何かの能力者じゃないかという域まで達するジョー。KとのSMプレイさえ取り込み、Pとの出会いによってロリータと同性愛まで吸収し、もはや性の完璧超人と化したジョーが、他ならぬPによる下克上で追いやられるのがやるせないです。失った母性まで微かに感じさせたのに、初体験の屈辱の数字、3+5でトドメを刺され、放尿という捨て台詞まで食らって、打ちひしがれた現在の話に繋がります。

セリグマンの理知的な雰囲気は性に興味がないDTのまま生きてきた達観さにあったわけですが、実はジェームズ・ボンドを知らなかったというところで何やら綻びができ、前作ほど蘊蓄話も振るわずに遂には「そんな面白くない話はどうでもいいわ」と言われたり。極めつけはそんなセリグマンに「散々ヤってきたんだろ」とゲス極まりない言葉で襲わせる。辛いながらもセクシュアリティを捨て去る決意をしたジョーに対し、そんなことは許さじ、というところに所詮人は性の呪縛から解き放たれることはないのだという悪意さえ感じます。

そして闇から始まった物語は、暗転し闇に消えて終わる。生まれてから死ぬまでの性欲の走馬灯です。

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