2014
10.19

私的で知的な性的世界。『ニンフォマニアック Vol.1』感想。

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Nymphomaniac / 2013年 デンマーク / 監督:ラース・フォン・トリアー

あらすじ
ニンフォマニアック=色情狂。



路地裏で倒れていた女性ジョーを家に連れ帰ったセリグマン。やがて彼女は自分の色欲にまみれた半生を語りだす、という8章構成のエロティック・ドラマ前編。「色情狂の女性が自分の人生を語る」というので単にエロい話かと思ってたら、なんだこれすげー面白いぞ。

ジョーが自分の性器を意識し始めた2歳の記憶に始まり、そこからあらゆる性に関する記憶が語られます。少女時代の性に対する好奇心、経験の蓄積、珍妙な修羅場、己の慰め、繰り返されるルーチンワーク、安心と興奮、そこに加わる愛。もちろんエロいんだけど、でも観てるうちに単なる欲求ではないジョーという女性の生き方に哲学的なものさえ感じてきます。別に理解困難なアート系というわけではなく、むしろ各エピソードもバラエティに富み、娯楽作として実に巧み。特にユマ・サーマンが登場するエピソードなどは爆笑のシチュエーションでありながら恐ろしいです。

ラース・フォン・トリアー監督作は観なきゃと思いつつどうしても食指が動かず他は観てないんだけど、今までとは随分違うみたいですね。そんなに鬱展開はなく、むしろブラックユーモアも織り混ぜ、性に奔放な女性の一大叙事詩を形作っています。若きジョーを演じるステイシー・マーティンの全てをさらけ出した表現が良いです。それぞれ印象の異なる章立てに、話を聞くセリグマンによって時折挟まれるエラく知的なウンチクがアクセントとなり全く飽きさせません。演じるのはステラン・スカルスガルドですが、知的でありながら何かやらかしそうな初老の男ぶりが見事。あ、何かやらかしそうと言うのは単に『マイティ・ソー ダーク・ワールド』の全裸博士の印象です。まあ初恋の男役のシャイア・ラブーフの方がよっぽどやらかしそうですが。父親役のクリスチャン・スレイターもイイ感じです。

さほど分かりにくさもなく進み、トラブルが発生するあざとい引きで後編へ。エンドロールで予告映像が出ますが、『Vol.2』は語り手であるシャルロット・ゲンズブールが遂に回想に登場。しかも結構激しそうです。ここから鬱展開になっていくのか、それとも全く違う展開を見せるのか?実に続きが気になります。

↓以下、ネタバレ含む。








冒頭は水音や電車の音が響くなか延々と闇が映されたまま。それから寂れた裏通りの様々な闇が映された後、顔面腫らして横たわるジョー。そして激しい曲が鳴り響く中ジョーを見つけるセリグマン。この一連のオープニング・シークエンスに、作品を象徴するような一連の不穏さ、背徳感、危うさ、そして刺激と興奮が詰まってます。

ジョーの色情は「第1章 釣魚大全」の頃は好奇心の方が強く、チョコ菓子を口実に電車で男漁りする際に「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」が流れるあたり自分は進んでいるのだという自負みたいなものを感じます。初体験を急ぐのもそこから先の世界の広がりを早く体験したいがため。もし「第2章 ジェローム」での初体験の相手がシャイア・ラブーフではなくもっと愛情豊かな人だったら、話は変わっていたかもしれません。3+5ですからね。早い。デカデカと映される数字に彼女の記憶の強さが表れてます。

「第3章 H夫人」の頃には早くも手あたり次第なわけですが、もはや道徳とか倫理とか超えた地点での話になってきており、単に欲求不満なのではなく男と寝ることが当たり前のような、むしろ作業的にさえなってきます。セリグマンに快感だったか不快だったかと聞かれ言葉に詰まってしまうのもそういうことでしょう。彼女が語る「男は総体として一人」という認識になるほどと思ってしまいます。そんな中「第4章 せん妄」での父の死、それも弱さに泣き汚物にまみれた酷い姿をずっと見た後に、ジョーは愛を求め出すんですね。この父の死に対峙する章だけ全編モノクロでまるで記録映像のような作りなのは、外側から見ていたい彼女の暗い記憶ということでしょう。

決してゲスいだけの話にならないのは、セリグマンが挟むフライ・フィッシング、フィボナッチ数列、バッハ、ケーキナイフ等の話題の効果も大きいですね。映像付きのウィキペディアのようにさえ感じて思わず聞き入ってしまう。これは次の章に話を進めるきっかけにもなっているため、知的な上になんだかシャレてる気までしてきます。そして「第5章 リトル・オルガン・スクール」に至っては安心と興奮と愛とを3分割した画面で見せ、それをピアノ演奏にさえ見立てる。このように哲学的な思索から詩的な美しさまで感じさせてくれる巧みな話術によって、下品なヤリマン話ではなく一つの作品として非常に面白いくなってるんですね。

ただ、続く『Vol.2』がどうなるか次第で印象はガラリと変わる可能性もあります。愛に目覚めた(かのように見える)ジョーが「何も感じないの」で終わる、これは精神と肉体の関係性の話とかになっていくのか?波乱万丈な人生ですが、シャイア・ラブーフとの再会を「信じるのと信じないのとどちらが楽しいか」と言っていたように、次も驚かせてくれると信じて楽しみにしておきます。

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