2014
10.11

やるべきことをやるだけだ。『ファーナス 訣別の朝』感想。

Out_of_the_Furnace
Out of the Furnace / 2013年 アメリカ / 監督:スコット・クーパー

あらすじ
ファーナスは溶鉱炉の意味です。



製鉄所で堅実に働くラッセルとイラク帰りの弟ロドニー。二人が辿る現代アメリカの実情を豪華キャストで描くクライム・ストーリー。出演はクリスチャン・ベイル、ウディ・ハレルソン、ケイシー・アフレック、フォレスト・ウィテカー、ウィレム・デフォー、ゾーイ・サルダナ、サム・シェパードとそうそうたる面子。

芸達者が揃っていてさすがの演技合戦という趣です。地に足の着いた現実感のようなものがあり、かつ目の離せない不安定さで引き込まれます。主人公ラッセルはあらゆるものを失いながらもそれらを受け入れてきた男。傍から見ればとにかく不幸ですが、彼は決して感情的にならず、大切なものを守ろうとします。そんな男が、守ってくれるべき法が見せる理不尽には真っ向から対抗します。クリスチャン・ベイルの抑えに抑えた演技が素晴らしい。

やがて物語は堪え忍ぶ者クリスチャン・ベイルと不条理の体現者ウディ・ハレルソンとの対決へ。思ったより爽快感に欠けるのはこれが単なる復讐譚ではなく、もっとデカい存在に対しての反旗でありながら結果は微々たるものであるという結果のためでしょうか。派手さはほとんどないし重苦しい話ではありますが、良いです。

↓以下、ネタバレ含む。








ファーナスは溶鉱炉の意味で、クリスチャン・ベイル演じるラッセルの職場、製鉄所です。そこでの仕事は父親の代からのものであり、それを彼は「生きるための仕事」と言ってケイシー・アフレック演じる弟ロドニーにも働かせようとします。しかしロドニーはイラク戦争で国のために働きながらも報われないと思っており、生きるための仕事よりも「生きている実感」が欲しいのでしょう。ウィレム・デフォー演じる裏稼業の男ペティに頼みストリートファイトの仕事をしようとして、結果的にウディ・ハレルソン演じる悪党デグロートに殺されます。

ラッセルは家族を想い真面目に働いているのに不慮の事故を起こして服役、その間に病気の父親は死に、ゾーイ・サルダナ演じる恋人リナは離れてフォレスト・ウィテカー演じる警官ウェズリーと付き合いだし、ようやく出所したと思ったら弟は殺され、職場も閉鎖することになり、事故で死んだ子供への罪の意識まで背負い続けます。そこまでどん底でありながら彼は怒ったり声を荒げたりしません。元カノの妊娠を笑顔で祝い、その元カノと彼氏と一緒に食卓まで囲む。不慮の事故、人が死ぬ、気持ちが離れる、それらのどうしようもないことに対しては怒らないんですね。

彼が激昂するのはデグロートの犯行の証拠が見つからないという警察からの電話のシーンだけ。本来なら法が、国が裁くべき悪党が、何の咎めもなくのうのうと生きている、そこに怒ります。それを超えた後は敵地に直接乗り込み自分でケリを付けようとしますが、そこにもはや躊躇はなく、計画通り淡々とデグロートを追いつめていきます(買ったヤクを忘れるという痛恨のミスはしますが)。遂にデグロートを撃つというときにさえ復讐を遂げるという怒りは見えず、撃ち終った後に深く一つ息をして終わり。それはやるべきことをやっただけでしかなく、そこには達成感のようなものはないのです。

ラッセルが対峙したのは「どうしようもないこと」ではなく「どうにかできるのにされてないこと」であり、それは堅実で真面目な彼の生き様への裏切り行為です。罪を犯したから彼は法に従い服役した、でもその法は彼を裏切った。法を定める国は弟を戦争に送り込んで地獄を見せ、それに対して何もしない。法の範疇であり自身の拠り所である溶鉱炉、そこから外に出たところでデグロートを撃つラッセルは、そんな全てへ訣別したのでしょう。法の埒外だからウェズリーがラッセルを撃つことは出来ません。必要性のない鹿の狙撃はしなかったラッセルが野放しの悪党を撃つことで、法なり国なりに一番囚われていた自分を解放するのです。それでもこの復讐譚に残るのが爽快感ではなく虚無感なのは、そんな自分を裁くのがやはり法であり国であるからです。

スポンサーサイト
トラックバックURL
http://cinemaisland.blog77.fc2.com/tb.php/835-663cb2f5
トラックバック
back-to-top