2014
07.30

許しと癒し。『思い出のマーニー』感想。

marnie
2014年 日本 / 監督:米林宏昌

あらすじ
あなたのことが大すき。



心を閉ざす少女杏奈が療養先の町の古い洋館に住む少女マーニーと出会う、というスタジオジブリ作品。これちょっとどうしよう。もんのすごく良かった!もう終盤泣きっぱなしで危うく嗚咽が漏れそうに。観終わったあとも思い出し泣きしそうなほど響いてしまいました。

同じ米林監督の『借りぐらしのアリエッティ』はあまり印象に残らなかったので正直そこまで期待してなかったんですが予想外。種田陽平を美術監督に迎えての美しい美術も良いです。ジブリというだけで期待される(昔の)宮崎駿や高畑勲らしさ、それは呪縛と言っていいでしょうが、この作品にはその呪縛を断ち切ろうという意気込みを感じます。

周りを傷付け自分も傷付く、世界に絶望しかける12歳の杏奈。そして湿っち屋敷と呼ばれる洋館に住む謎の少女マーニー。二人の少女の友情物語かと思いきや、話は意外な方向へ。杏奈はなぜマーニーにそこまで惹かれるのか、というミステリーでもあります。あ、別に百合の話ではなかったですよ。フワフワした現実感のなさと「自分は自分の通りにしか見えない」というリアルがシームレスに存在し、ミステリアスに僅かなエロティシズムが奇妙にブレンドされた感覚に酔います。へし折れた鉛筆同様に壊れてしまいそうな杏奈の心を性急に展開せず丁寧に描き、それが「思い出」となる物語です。あとトマトとか刺身とか目玉焼きとかスイカとかが旨そうで腹が鳴ります。

自分だけの世界である幻想が確かな愛情と重なったとき、杏奈は自らのことを知り、世界と自分を隔てる輪を打ち破る。これは許しと癒しの物語です。

↓以下、完全ネタバレ。長いです。








杏奈が「見えない魔法の輪」と称して周囲への壁を作っている様子はいささか根拠が薄いように見えるし、マーニーに打ち明ける「すごい秘密」が養母が自分を引き取ったことでお金をもらっている、というのも些細なことに思えます。ただ、重要なのは一般論的な視点でも相対的な視点でもなく、杏奈が抱える闇そのものと、杏奈がまだ12歳の子供であるということです。幼くして家族を亡くし、周囲に放置され疎まれた結果「自分の居場所がない」と思い込む。そこにあるのは疎外感です。他の家ではお金をもらっていないという事実は、自分は他の子と違う、ここは自分の居るべき場所ではないのでは、と疎外感に拍車をかけます。この一見些細なことで苦しんだり疎外感を感じるという感覚は、他者にはなかなか理解してもらえないものだと思うんですよ。自分が他とは違うという厭世感を装いつつ、本当は皆と仲良くしたい、本当は認められたいという思いが裏にはあって、でも居場所がなく相手もいないからそのエゴだけが肥大する。そんな醜さを自分でも分かっていて、でも大人のように割り切って考えることも出来ず、もうどうしようもなくて、その帰結が「自分が嫌い」ということですね。あまり他者に関わらないから世界が狭く、比較対象も見つけられない。自分だけが不幸だと思い込んでしまうのです。

杏奈の闇は、荒っぽい鉛筆の削り方、スケッチブックに押し付けて折る鉛筆の芯、「またお金かかっちゃったね」というセリフ、頼子の仕込んでいたハガキの束を無造作に放り出す仕草など随所に表れます。杏奈が世の中に対して辛辣になっているのを最も表してるのが人を動物に例えて見下すセリフで、特に太め女子である花沢さん、違った、信子に対して吐く「太っちょ豚」は破壊力ありますね。普通「太っちょ」か「豚」かどっちかですよ。それをハイブリッドにしてぶつけるというのは観てるこっちも若干引くほどのダークサイドです。トイチさんを熊やトドに例えるのはまだ可愛い方で、母親に対する「メエメエ煩いヤギみたい」というのもヒヤリとさせます。相手を動物に例えることで精神的優位性を保とうとしているのかもしれません。

最初のほうの杏奈は表情もなく動きも少なく、ジブリとしてはこれほど躍動感のない主人公も珍しい。そんな杏奈の表情が最後には別人のような笑顔に変わります。マーニーとの出会い、触れ合い、会話、別れ。バカで醜いと思っている自分を抱き締めてくれ、今までのどの女の子より好きだと言ってくれる。これは杏奈が切望して止まなかった「仲良くしたい、認められたい」という欲求を満たすものであり、引いては幼い頃の杏奈に欠けていたもの、ありのままを受け入れてくれる愛情です。かつては親や祖母から受けていたかもしれない愛情を、マーニーはスキンシップと自分の秘密を明かす=心を開くという行為で示します。そして相手からも秘密を聞くことで相手を受け入れる。二人だけの秘密である、というのも効いたでしょう。もちろん養母の頼子も十分な愛情を持っていますが、過剰な心配ばかりの愛情は受け入れてほしいだけの杏奈にはまだ分からなかったのでしょう。必要なのはただ対等に接して愛情をかけるだけ。そこは祖母の孫に対する愛情として自然です。

わりと早い段階でマーニーが現実ではなく杏奈の空想であると分かりますが、その空想の発端は自身の記憶であったというのが最後に明らかになります。想像のはずのマーニーのエピソードが日記の内容と被るのは、幼い頃聞いた話を無意識に採用していたからなわけです。自分と同じく籠の鳥でありながら、パーティーでは自由奔放、ボートを漕ぐのは激上手い、なぜかキノコに超詳しい。恐らくかつての寝物語からの抽出でしょうが、憧れ要素がどんどん追加されマーニーはさらに特別な存在になっていきます。しかし杏奈の知るマーニーの記憶がその終着点であるサイロまで進行したことで、マーニーは和彦と共に姿を消すことになり、これにより杏奈は大事な人との別れを追体験することになります。自分を裏切った世界と同様絶対に許さないと思う杏奈。しかし幼い頃の母や祖母の愛情は覚えてなかったかもしれないけども、今の杏奈には愛情を教えてくれたマーニーは何より大事な思い出。だから必死で窓を開け許しを乞うマーニーを見た杏奈にはもはや疎外感はなく、全てを許すことが出来たのでしょう。これは結果的に世界を許さなかった自分、自分の嫌っていた自分を許すことでもあり、マーニーとの別離は同時に杏奈の憑き物を落とすことにもなります。だからこの物語は成長というより解放なんですね。最後にマーニーが見せる光輝く笑顔は、世界を明るく照らす新たな思い出として杏奈の心に刻まれたことでしょう。

 ※

正直、苦言もあります。特に杏奈は心情を言葉に出しすぎ。手紙をわざわざ声に出して読むのも不自然です。また大岩夫妻が人を迎えに行くのに車に荷物乗せまくりとか家の中も雑多とか、ものすごい大雑把な人たちなのは分かるけど、来たばかりの杏奈が出掛けるのも特に気にかけないし、道端で倒れてたというのにそれほど心配した様子もないというのも引っかかります。この夫婦に限らず、杏奈とマーニーとあとは頼子以外の人物は舞台装置の域を出ない気がします。

最大の難点は、久子さんがマーニーの過去を話した時点で杏奈がまだ真相に気付いていなかった、という点。杏奈が回想シーンでその場で見ているかのように現れているにも関わらず、ラストの「写真」までマーニーとの関係に気付かないというのはさすがに不自然です。過去話の時点で「そうだったのか!」ととっくに泣きが入ってた身としては「え、泣くの早まった?」と己のフライングが若干恥ずかしくさえなるんですよ。これは演出ミスと言わざるを得ません。不自然と言えば杏奈が自分の母親や祖母の名前に反応しない点も変です。幼すぎて覚えていなかったのだとしてもその後知ろうとしなかったのか、忘れていたのか、何かの理由で伏せられていたのか。まあ祖母の名前を知ってたら話が成り立たないんですが、劇中で最も重要なくだりであるだけにもう少しスマートにやって欲しかったとは思います。親切すぎるところとはしょるところのバランスが悪いんですね。とは言えこの辺りは小さい子供もターゲットとするジブリ作品としては分かりやすくせざるを得なかったのかなー(それを言ったら『風立ちぬ』はどうなんだって話ですが)。最後に花沢さん、じゃなかった、信子に詫びを入れるのも、しがらみを残さず終わらせるためとは言え、偶然会ったから謝ったかのように見えて蛇足感が強いんですよ。

それでも、久子に頼子を紹介するときサラッと「母です」と言って頼子の顔が一瞬崩れるシーンとかがたまらなくてですね。金をもらっているというのは頼子に取っても後ろ暗いものがあったのでしょう、この「母」という呼称で頼子もまた解放されたことになります。そして、ずっとモノクロだったマーニーの絵、その大事な思い出に頼子からもらった色鉛筆で色が塗ってあるというラストショット。何だかんだで「許すわ!」からこのラストまでずっと泣かされてしまいました。


思い出のマーニー (新潮文庫)思い出のマーニー (新潮文庫)
(2014/06/27)
ジョーン・G. ロビンソン

商品詳細を見る

スポンサーサイト
トラックバックURL
http://cinemaisland.blog77.fc2.com/tb.php/810-7ca9b70c
トラックバック
back-to-top