2014
07.17

オンリーワン。オンリーユー?『her 世界でひとつの彼女』感想。

her
Her / 2013年 アメリカ / 監督:スパイク・ジョーンズ

あらすじ
ワタシノ・ナマエハ・サマンサデス。(一昔前)



手紙の代筆を生業とするセオドアが最新の人工知能型OSと恋に落ちるSFラブストーリー。簡単に言えば「人間と人工知能って恋愛できるの?」という話です。

人工知能は自らをサマンサと名付け、セオドアとのコミュニケーションを深めます。思考し、感情を表し、ユーモアを解し、知識欲も高いサマンサに対し、やがてセオドアは恋心を抱くようになります。ここまで来ると、もはや肉体がない以外は人間と変わりません。喋り方もコンピュータ的にブレス音をカットしているということもないし、受け答えも人間そのもの。そしてサマンサもセオドアに特別な感情を持つに至ります。

この「人間と機械の恋愛」というテーマは最近では『トランセンデンス』も近いものがありましたが、SFベースの『トランセンデンス』に比べて近未来色や技術的な話は極端に少なく、我々が日常接するPCやスマホやスカイプなどの感覚とさほど変わらない、それでも若干の非現実感があるため、SFと言うよりはファンタジーに近いです。所詮はプログラムでしょ?とか、作曲だって音符のパターンの組合せでしょ?とかどうしても醒めた視点で観ちゃうんだけど、あまりに人間くさいために昔から漫画などで描かれてきた感情のあるロボットとかアンドロイドと同じように思えてくるし、感情があるのだという前提を受け入れることでその先の物語が響いてきます。それに何だかんだ言ってもこのOSが実際あったらきっと試すし間違いなくハマるだろうと思わされちゃうんですよね。声がスカーレト・ヨハンソンのハスキーなあの声じゃ尚更ですよ。

セオドア役はホアキン・フェニックス。姿を持たないサマンサとの会話シーンが圧倒的に多いので、音声消したらずーっとホアキンが映ってることになるわけですが、疑心や不安、喜びや幸福感の一人芝居が上手いのでそれほど気にならないです。あとダンスが意外とキレキレ。また女優陣が何気に豪華です。元妻役のルーニー・マーラの不安定さ、友人役のエイミー・アダムスとの自然体な関係。デートする女性オリヴィア・ワイルドは『サード・パーソン』に続きめんどくさいと言うか若干重い女性ですが、僅かに垣間見せる過去でその行動に納得がいくのは上手いです。あと人には色んな性癖があるんだなと思いました。猫の死体?尻尾?すげーな。

人と機械の関係を様々なエピソードを交えて語る物語はロマンティックではありますが、それよりもそこから一段先に話を進めたことにひっくり返りました。

↓以下、ネタバレ含む。








今はSiriもある時代だし、「ラブプラス」みたいな恋愛ゲームもあるので人と機械の恋愛もあながちあり得ないとは言えないですが、皆が音声認識を使うとか、メール読むのにもコンピュータとコミュニケーション取らなきゃいけないとかはやはりまだ現実感が薄いですね。そういう現実の延長のように見えて似て非なる世界観がSFよりもファンタジーとしての側面を強めています。さらにOSという製品である以上そこには開発者や販売会社、サポートやメンテナンスやトラブルなどがあって然るべきですが、そういう描写は一切出ません。徹底してセオドアとサマンサの二人(便宜上こう呼びますが)に的を絞り、余計なノイズを感じさせないですね。この辺り技術的な話を敢えて語る『トランセンデンス』とはアプローチが全く異なります。最適化するための質問が性別と母親をどう思うかだけと言うのも簡単すぎるし(母親と言うのが意味ありげではありますが)。このアプローチにより多少の不自然さも許容できますが、一方で「これは人間と機械の関係なのか?」とも思ってしまいます。

生真面目に考えれば、OS1は相手の声の調子を解析し、質問に対する回答を蓄積してデータベース化することで相手の考えを推し量るというアルゴリズムであり、そこに様々な情報を分析してロジックを構築し、有効と判断した情報から志向性をコミットしていき、それを元にシーンごとに相応しい反応として感情パターンを表現しているんだろうな、となります。でもその仕組みや過程って、人間が人間相手に対するときと何が違うんだ?とも思うのです。相手にあって自分にないもの、この場合は肉体ですが、その違いを埋めるためにテレフォンセックスや代行サービスを使ったりする。本来ならエラーが発生して終わりのところを、相手との距離を埋めるために様々な工夫をする、というのも実に人間的です。もはや人と変わらないという前提があり、住む世界の違う二人が愛し合う、そんな人と人ならざる者の関係だからこそロマンティックになるのです。

だから終盤サマンサが突然応答しなくなりセオドアが狂ったように走り叫ぶシーンは非常に恐怖です。同時にサマンサがコンピュータであり、壊れたらそれで終わりなのだと思い知らされるシーンでもあります。しかも彼女はセオドア以外の人物やコンピュータ上の人格とも付き合っていることを明かします。尽きない知識への欲望、そこからさらに広がる見識を得て、サマンサは世界全てを楽しむことに喜びを見出してるんでしょう。そしてかつては肉体がないことを嘆いていたサマンサは、肉体を持つ存在さえも超越し、抽象世界とも言うべき高次元の世界へ、もう人には理解不能な世界へと旅出ちます。

人の感覚を理解する彼女が、643股(だっけ?)もかけられるのはなぜか。「私はあなたのものだけど皆のものでもある」と平然と言えるのはなぜか。製品として見れば特定の誰かのために作られたわけではないから、となるでしょうが、思うにサマンサには「倫理観」が決定的に欠如していると思うのです。人が集団で生活する上で守るべきライン、善悪の判断基準です。法律に即した判断ならサマンサにも出来るでしょうが、生きていくうちに身に付く暗黙の了解を覚える機会は最初から大人として存在するサマンサにはあまりなかったのかもしれないし、それ以前に興味深い知識の習得の方が優先だったのかもしれませんが、代行サービスやラストの展開も倫理観の欠如と考えると腑に落ちる気がするのです。オンリーワンの存在だったサマンサにとって、セオドアはオンリーユーではなかったのです。

一方のセオドアはオリヴィア・ワイルドに迫られても、相手の言葉から本当にいっちゃっていいのか考えるし、友人のエイミーが夫と別れて寂しがっていても友人としての一線を超えないし、サマンサの頼みであっても代行サービスは結局拒否します。彼は倫理観が強いんですよ。一方で見ず知らずの女性であればテレフォンセックスしたりはする。これは顔も素性も知らない相手とのその場限りの行為だからやれるのでしょう。だからサマンサにもすぐに没入できたのかも。元妻キャサリンには「リアルな感情が分からないのね」と言われますが、分からないというよりは抑え込んでいるように思えるのです。

手紙の代筆という職業で相手の環境やエピソードを元に手紙を書くセオドアは、むしろ感受性豊かであり、相手のことを推し量ることが出来る人物に思えます。元妻とはもう終わりだと分かっているのになかなか離婚できないのは、相手のことをもっと分かってあげられるかもしれないという思いがどこかにあるからでしょう。だからラストの独白で「たとえ離れても、君には愛を送ろう」というようなことを言うのは、サマンサとの関係で培った倫理だけではない素直な感情、つまり「リアルな感情」を持ち得たから言えたのだと思うのです。その契機がサマンサが倫理観の欠如ゆえに去って行ったことであるというのは皮肉ですが、サマンサと過ごした時間がセオドアに変化をもたらしたということがロマンティックなのだし、彼が最後にエイミーと二人で見上げる宵空の美しさに、全てをひっくるめて受け入れた解放感があって良いと思うのです。

タイトルがsheという主語ではなくherという目的語であるのも、セオドアがサマンサに、ひいてはキャサリンに向き合う物語だということを表しているのかもしれません。

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