2013
07.31

完全なる者の喪失感。『風立ちぬ』感想。

kazetatinu
かぜたちぬ / 2013年 日本 / 監督:宮崎駿

あらすじ
飛行機作りに情熱を傾ける堀越二郎の物語。



宮崎駿6年ぶりの新作。観終わった直後の感想は「これはどう受け止めたらいいんだ…」でした。大人向けとは聞いていたけど、恐らく多くの人が抱くジブリ作品のイメージには当てはまらないし、かといって前作『崖の上のポニョ』のような分かりやすい狂気を感じるわけでもない(僕のなかでは『ポニョ』は狂気を具現化したホラーです)。これは評価が割れるなー、と思いましたが、案の定賛否両論のようです。

何より実在の人物である堀越二郎の半生を描き、堀辰夫の作品を取り込みながらも、宮崎駿という人の作家性を無視して語るのは非常に難しい。日本で最も有名な監督の一人である「宮崎駿」というブランドを意識せずに観ることはもはや不可能に近いのか?と思ってしまいます。

だから最初は、これ宮崎駿の趣味とか作家性とか言うより、彼の「理想とする人生」を描いたものだと思ったのですよ。大好きな飛行機を設計し、それが大空を飛ぶ様を見る人生。あらゆる才能を持ち、可愛い女性と即結婚ラブラブ。周りからは一目置かれる。戦争には行かない。挫折もない。だから宮崎監督が試写で涙したというのも己の(架空の)人生を振り返ってたからであり、庵野秀明の起用も声優のプロの声じゃ「宮崎駿自身」にならないから同じ立場の素人を使ったんだと。これは一人の名監督が持てる力を全て注ぎこんで自分のために作り上げた妄想であり、宮崎駿のセカンドライフであると、まあそう思ったわけです。

ただ「それを膨らませて書いてもつまんねーなー」と思って少し置いておいたんですが、1週間ほど経って振り返ったとき、別に宮崎駿というフィルターを通さなくてもいいんじゃないか、という思いがようやく沸いて来たので書いてみました。

↓以下、ネタバレ含む。ちょい長めです。








最初にこの作品における堀越二郎という人物の特徴を上げてみましょう。僕が考えるのは3点です。

まず主人公がここまで完璧な人物というのは宮崎作品において初でしょう。二郎は頭がよく、礼儀正しく、強くて正義感もあり、周りからの人気も高く、上司からの信頼も厚いという、まさに超人です。実際の堀越二郎もデキる人だったようですが、それにしても持ち過ぎている。元から持っているものを必要に応じて出していくだけのように見えるのです。おまけに周りは勝手に盛り立ててくれるし。これが一つ目。

また二郎は好きなことしか目に入ってません。大好きな飛行機のことしか見えてない。勉強に励んだり家に持ち帰ってまで仕事したりしても、そこに必死さやツラさというものを感じさせません。焦ることも激することもなく、ただマイペースにやりたいことをやっている。周りが見えてない感じがあるのです。友人の本庄が日本の飛行技術の遅れを嘆いているのに、飛行機作れないのはイヤだなとは思ってそうでも、時代のうねりだとか世情の変化だとかに興味があるようには見えない。これが二つ目。

かと言って、世間から隔絶しているわけではないし、コミュ力がないというわけでもない。いじめっ子を背負い投げしたり、震災で負傷した人を助けたり、親の帰りを待つ子らにシベリアを上げようとしたりと、正義感や道徳観も持っている。ただし、シベリアに関しては本庄にエゴだとたしなめられるように、特に深く考えての行動とも思われない。二郎は道義的には正しいだろうということをしているだけで、本気で関心があるようにも見えない。これが三つ目。

つまり、二郎という男はあらゆる才能を持ち、好きなことだけを満喫し、でも社会通念はちゃんと持っている男、ということになります。これどういうことかというと、「成長する要素がない」ということなんですよ。最初からあらゆるものを持っているし、飛行機の設計については技術力という点では育っているんでしょうが特に人間的に成長するというわけでもない。そして人が成長する過程で知る社会的に正しいことというのは既に知っている。劇中ではさくさく時が経っていつの間にか大きくなりますが、基本的に二郎は最初から最後まで変わらない。成長させる必要がないわけですから。

これ、別に否定しているわけではないのです。勿論様々な能力を備えた才人というのはいるし、好きなことをやり続けるというのはつまりは「夢を追う一途さ」であるわけですが、僕も含めて多くの「持たざる者」「夢破れし者」にとって、そんな二郎はまさに憧れの姿なのですよ。憧れ=完璧な姿だとしたら、二郎がそれ以上成長する必要がないのも納得です。さらに前述した点に加え、菜穂子という美女と大した恋の駆け引きもなくあっさり婚約。仕事が忙しくても菜穂子は文句を言うでもなく、仕事してる姿が好きとまで言ってくれる。妹の加代が言うところの「美しい姿」だけを見せてくれる。これは男性にとってだけの話でもなく、性別入れ替えたら女性にも当てはまる完璧さだと思うんですよね。

それでも観る方としてはそんな二郎のスーパーイケメンぶりに違和感を感じずにはいられません。その違和感はいろんなところで不穏さとして表れます。二郎の好きな飛行機の音が全て人の声で表現されているところ。あるいはメガネを外してボヤける視界。謎のドイツ人カストルプさんの怪しく光る瞳。美しい夢の中でカプローニさんの持つ高みだけを求める二郎の姿も、戦争の最中でありながら全く戦闘シーンが描かれないというのも落ち着かない。これだけ才能を発揮する二郎に対しカプローニさんの放つ「創造的な能力を発揮する時間は芸術家も設計家も10年」というセリフも何かの前触れのよう。そもそも最後まで慣れなかった庵野秀明の声自体が、良い悪い以前に周りから浮きすぎてて違和感そのものです。

そしてその違和感は最後の最後で払拭されます。それは「持てる者」二郎が初めて「失う」からです。もちろんそれは菜穂子の死のことであり、加えて一機も帰って来なかった零式戦闘機のことです。おのれにはあらゆるものを備えていても、自分自身ではない他者は自分とは違うタイミングで失われる。精魂込めて作り上げた飛行機だって失われる。ウルトラ出来る人、二郎にとってはまさに「地獄かと思った」わけです。

ここで自分とは切り離された菜穂子が現れ「あなたは生きて」と告げます。丘の上から飛行機の墓場を眺めて後悔や失意を感じていたかもしれない二郎に、その感情は人生を否定するものではない、だから「生きて」と言っている。つまり「失うことも人生だ」と言うことに他なりません。無意識にしろ自分のことだけを考えて生きてきた二郎はそれに気付き、だからこそそれを教えてくれた人に「ありがとう」と返し、その人がもうこの世にはいないことを思って涙します。ここにおいて完璧さの象徴であり別次元の人だった二郎は観客と同じ地平に降り立ちます。そこにはもう違和感はありません。だからこそ我々は二郎の喪失感に感じ入り、共に涙するのです。


――という観かたもね、できるんじゃないかと。イヤ実際いろんな捉え方が出来ると思うんですよね。それを宮崎駿の暴走と見るか、計算された着地点と見るか、意欲的な実験作と見るか。どれにも取れるっていうのがスゴいです。これだけいろんな議論が出来る最近の邦画として思い当たるのが、奇しくも庵野秀明監督の『エヴァQ』であるというのも面白いですね。


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