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2020
02.28

止まった時間を取り戻す冒険。『37セカンズ』感想。

37seconds
2019年 日本、アメリカ / 監督:HIKARI

あらすじ
電話の保留音が凄い。



脳性麻痺で車椅子のユマは、過保護な母親と暮らしながら漫画家のゴーストライターとして仕事をしていた。何とか自立しようとアダルト漫画の編集部を訪ねるユマだったが、リアルな性体験が必要と言われ、夜の町へ。そこで障害者専門の娼婦である舞と出会うことで、ユマの世界は広がりを見せていくが……というヒューマン・ドラマ。

出生時に37秒間呼吸ができなかったために、手足が自由に動かせない身体となった女性を描く成長物語です。脳性麻痺の障害を持つ女性ユマは、あらゆることを手助けしようとする母親に束縛感を感じ、漫画家として実際に作画しているにも関わらず友人のサヤカのゴーストライターに甘んじる日々。そんな現状を打開するためアダルト漫画雑誌の編集部に原稿を持ち込んだり、夜の町に繰り出したりするユマですが、これが母親の逆鱗に触れることに。そこで彼女の取った行動がやがて思いもかけない展開を見せていきます。不自由な体で挑む性、過保護な母親、友人のエゴなど、覚悟はしてましたが他の人々と違うということがユマにもたらす疎外感、孤独感が描かれる前半はやはりツラい。しかし彼女をしっかり見て人として接した女性二人の言葉により、後半は全く違う景色が見えてきます。これは障害者に限らず、痛みを抱えた者が人生を変えていく物語です。

主人公の貴田ユマ役は、オーディションで抜擢された佳山明。主人公同様に脳性麻痺を抱えながらも社会福祉士として活動していた彼女の、文字通り自分をさらけ出しての熱演が素晴らしい。ユマの母である恭子役の神野三鈴は、娘を思う余りに過剰な対応をしてしまう様が秀逸。ユマが偶然知り合う舞役の渡辺真起子が見せるフラットな魅力、ホームヘルパーの俊哉役の大東駿介による付かず離れずの安心感、アダルト漫画雑誌編集長である藤本役の板谷由夏が与える新たなきっかけなどなど、脇の人たちもみんな良いです。あと、あれっこの声と喋り方はもしや、と思ったら渋川清彦とか、実にいい味出しまくりで場を動かす尾美としのりといった、チョイ役ながら好みの役者が出てるのも嬉しい。

監督はこれが長編デビュー作となるHIKARI。台詞ではなく画で見せる作劇が上手く、人物の把握もしやすく、それでいて締め付ける胸の痛みも不意に迸る疾走感も共存させる見事な演出です。車椅子が少し引っ掛かるだけでも心配になるので母親の気持ちもわかるし、でも自由を求めるユマの気持ちもわかる。そんな閉塞感がいつの間にか消え、時を越え、自分を受け入れるという素晴らしさ。性への興味や現状打開への焦りを越えて、ラストは前半に比べて驚くほど空気感が一変、爆涙です。本当に観て良かったです。

↓以下、ネタバレ含む。








重くて嫌な目にあう展開だったらツラいな、と思ってたらやはりそういう展開はあります。母の恭子による過保護さは一見当たり前のように見えますが、入浴時に子供にやるように服を脱がせ、食事のハンバーグをわざわざ切り分けてやり、ワンピースを着たいというユマの希望を危ないからという根拠のない理由で否定する、というように、成人女性に対するものとしては度を越した扱い。わからなくはないんですよ。ユマは声も小さくておとなしそうな印象も強いため、観てる方としては何か危ない目にあうのでは、と心配になります。車椅子が段差で一瞬引っ掛かったりするだけでもヒヤヒヤするし。でもそれは結局、何もできないと思い込んで何もやらせようとしない恭子と同じなんですよね。恭子の場合はさらに、あまり外の世界に触れられないユマのためなのか、シェイクスピアを朗読して聞かせたりしますが、母の声が遠くなっていくという演出でユマがうんざりしているのがわかります。またスマホを取り上げて自分が出掛けるときは部屋に鍵かけて閉じ込めたりと、行き過ぎた監視の目が息苦しさにも。在宅で人形製作の仕事をしているのもユマから目を離さないためなのでしょう。そうした行為が愛情ゆえだとしても、ユマの自立を阻害しているとは思いもしないのがツラいところ。でも家出したユマを狂ったように探し、呑気な対応の警官に噛みついたりもしますが、なぜ家出したか思い返してみようと言われると何も言えなくなってしまう。自分のしたことが多分に感情的であったことを自覚することになるわけです。

また友人のサヤカがユマの原稿を自分が描いたものとして発表し、編集者にはユマはアシスタントということにしているのもツラい。障害者をアシにしていることを発表さえしないのもサイン会に訪れたユマを無視するのも、当然事実が露呈するのを防ぐためで、さらにユマに渡すギャラを少し差っ引いて渡す一瞬のカットからもユマを食い物にしていることがわかります。ユマが具合が悪いから早く帰ると言っても、感情のない「気を付けてねー」と返すだけ。「バレたら私たちは終わり」とユマを脅すのが自分のためなのは明らかですが、それをユマが拒否できないのは元々は本当の友人同士だったからかもしれない、というのが、昔の二人が写った写真からも窺えます。それから編集長の藤田に言われて経験を積もうとするユマは出会い系にトライしますが、ことごとくハズレを引くというのが何ともツラい。それでもユマがにこやかなのは、誰かと一対一で話すのがやはり楽しいのかなあと思うんですよね。だからこそ目一杯おめかししてのデートをすっぽかされるのはツラい。

さらにツラいのは意を決しての風俗。歓楽街をうろつくのがまた危なっかしいんですが、これは車椅子だからというよりこういう場所に慣れてない子の危うさで、さすがに心配。でもそれだけユマも焦りがあったのでしょう。やってきた男娼のヒデは、基本的には物腰やわらかでそつなくこなしそうに思えるんですが、電話で「言っといてくださいよ」とか「うわションベン」とか言いながら即座にシャワーに行くとかちょいちょい酷いし、「萎えたから無理」とかプロ意識が低くないすか。挙げ句何もしないのに2万円から2000円引くだけとか、まあそれでも気を使った方かもしれませんが、ユマにしてみればショックでしょう。しかも帰りのエレベーターが動かないとか踏んだり蹴ったりでツラすぎます。結果的には襲われたり犯罪に巻き込まれるような予想しうる最悪なことは起こらないんですが、でもそこには「私のことなんて誰も気にしてない」と叫んでしまうような実感がユマにはあるのです。周囲の遠慮や無視や偏見、車椅子だからという変な気遣い。性別を感じさせない服装をさせられるユマが、電車で帽子を脱いで自分を見せようとするのも、そうした扱いから脱却したい思いの表れです。

そんなツラさを払拭するのが偶然出会った舞さんで、障害者専門の風俗嬢で慣れてるのもあるにしろ、舞はユマに対して同情も過剰な対応もしません。ごく普通に会話し、困っていれば助けるという、人間としての自然なコミュニケーションを取るだけで、それはユマが味わったことのない「当たり前」の対応です。大人のおもちゃの購入を否定もしないし、何よりごく自然な感じでの「遊びにいこう」には心底救われます。綺麗にメイクされたり初めてのお酒に溺れたり、誰もが通るような大人の世界に友人として連れ出してくれる。それこそユマが望んでいたことです。ユマが舞に言われる「あなたの行動次第」というのも、誰もがそうであるという普遍性があって響きます。その点ではエロ漫画雑誌編集長の藤田さんもイイ。開口一番「なんで車椅子なの?」とストレートに聞いた後は障害については一切触れず、ごく当たり前の対応。そこには障害者だから気を使うという偽善っぽさはないし、ユマの描いた作品を見た上で「作品には経験が必要」と指摘するのもフェアです。その指摘により、ユマは冒険してみよう、殻を破ろうとするわけで、藤田さんがきっかけなんですよね。

その女性二人の言葉や行動に加え、ユマが俊くんに話す宇宙人に見える建物や、宇宙から見れば自分の人生など夏休みの課題みたいなものだ、という思索もあればこそ、ユマが病院を抜け出すときは「行け行け!」とこちらもテンションが上がる演出はスリリング。ユマの漫画が喋り出したり、父のイラストが動き出したりとアニメーションも駆使したりして、演出が実に柔軟ですね。で、このヘルパーの俊くんがまたできた人で、介護士とは言え本人の意見を尊重し、付かず離れず、肯定も否定もしないという徹底した紳士っぷりが印象的。ちょいちょい本音が出る風俗のヒデとは対照的でもあります。ユマが父に会いに行くというのにも当たり前のようについてくるのも頼もしい。そこから不意にロードムービーが始まるわけですが、面食らいはするもののユマのそれまでの感情はしっかり描かれてきたので、思いの外不自然さもありません。それどころか思った以上の解放感。昔もらった葉書を頼りに会ったことのない父を探す、なんてのは、もうこれ立派な大冒険です。てっきり尾美としのりが父親かと思うので、反応が歓迎なのかそうでもないのか微妙に思うんですが、父の予想外の事実にそれも納得。そしてこれでユマの旅も終わりかと思ったところでさらなる衝撃の事実、からのさらなる大冒険には度肝を抜かれます。

タイに行くのにパスポートはどうしたのか?と気になりましたが、障害者は身分証としてパスポートを持っているものらしいですね。それにしても身一つでいきなり初めての海外には驚き。停滞していたユマの人生が一気に回り出した感じです。そんなユマが初めて出会う女性、ユキ。彼女がタイにいるのは、自由奔放な父親に「好きなことだけやれ」と言われて育った結果なのでしょう。縛られて育ったユマとは正反対で運命の不公平を感じそうになりますが、なぜ母が父と別れたんだろうというユマの問いに「ユマちゃんが一番大事だったから」とユキが答えることで、本当の意味でわかる母の思い。それは箱に入った小さな二足の靴を見て涙する母の姿に見てとれるように、大事な娘の一人と別れてでもユマのために生きようとしたということです。別れ際に、ユマのことを知っていたが「会うのが怖かった」と告白するユキ。それはユマが障害者だからなのか。ひょっとしたらユマの障害が自分が先に生まれたせいでは、という後ろめたさがあったのかもしれません。でもそんなユキに「もう怖くないですか?」と言って抱き合うユマには泣きます。

俊くんに、37秒のこと、もし自分が先に生まれていたら、もし1秒でも早く息をしていたら、と訥々と語るユマ。そこにはもしかしたら自由に生きていたのはユキではなく自分だったかもしれない、という考えもよぎったかもしれません。でもユマは「自分でよかった」と言います。ユキに辿り着き、家族の真実を知ったユマは、舞の言った「あなたの行動次第」の通り自分の意思で行動し、自分を受け入れるに至ったのですね。そして帰って来たユマが見せるユキの絵にただ涙する母、それを抱き締めるユマ。藤田の言った「好きな人を抱き締めたことはあるか」という言葉がここで結実するのです。ユマは心の傷を乗り越え大きく成長することで解放され、ユマを抱き抱えるだけだった母もまた抱き締められることで解放される。その経験は作品にも影響を与えたのでしょう、原稿を見た藤田が同業者に電話する言葉はユマの明るい未来を示していてとても爽やか。漫画家兼ユーチューバーという漫画をナメてた友人がどうなったのかはちょっと気になりますが、もうユマが誰かの陰で生きる必要はないのです。そうして物語は障害者かどうかは関係ない領域にまで広がり、自分の行動で自分を変える、そういう普遍的な成長物語へと昇華されるのです。

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