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2020
02.19

出会いと別れを歌に乗せて。『サヨナラまでの30分』感想。

sayonara_madeno_30hun
2020年 日本 / 監督:萩原健太郎

あらすじ
カセットテープは万能。



友人を作らず一人就職活動に勤しむ大学生の颯太は、ある日偶然カセットテープの入ったウォークマンを拾う。それを再生すると、一年前に死んだアキという青年が現れる。カセットテープを再生する30分だけ颯太と体を入れ替わることができるアキは、自分が組んでいたバンドを復活させようとするのだが……という音楽青春映画。

二人の魂が入れ替わりながら一人の体を共有するという、ファンタジー要素も含む青春映画です。孤独な青年の颯太がたまたま拾ったウォークマン、そこに入っているカセットテープを再生すると「ECHOLL」というバンドのボーカルで一年前に死んだアキという青年が颯太の体に入り込むという不可思議な事態に。霊なのか思念体なのか、ともかく付きまとうアキに根負けした颯太は、カセットテープが再生される30分の間はアキに体を貸すことにします。アキはメジャーデビュー目前に解散した自身のバンド「ECHOLL」のメンバーたちの前に颯太の姿で現れ、バンド復活を目指すことに。孤独な青年と陽気な死者という、性格も実存性も正反対の二人が、音楽と仲間を通して徐々に通じ合っていくのが面白い。冒頭で流れる時間の自然な映像の繋ぎ方に始まり、役者の演技だけで入れ替わりを示す不思議な感触や、カセットテープの使い方に至るまで、どのシーンも仄かに美しくて良いです。新たに知る喜びと限られた時間のせつなさが素晴らしい青春映画であり、バンドのアンサンブルやライブの高揚感など音楽映画としても秀逸。

宮田アキ役は『OVER DRIVE』『ちはやふる -結び-』新田真剣佑、死んでるのにひたすら前向きで、若干サイコじみたウザさもあって面白い。窪田颯太役は『勝手にふるえてろ』『君の膵臓をたべたい』北村匠海、自身もバンド「DISH//」で活躍するだけに演奏シーンも堂に入っていて、かつ入れ替わられる役なので結果としてほぼ二役を演じ分けるのは大したもの。アキの恋人カナ役の『疾風ロンド』久保田紗友、バンドメンバーであるヤマケン役の『屍人荘の殺人』葉山奨之、重田役の『リバーズ・エッジ』上杉柊平、森役の『HiGH&LOW THE WORST』清原翔らもフレッシュ。またカナの母役に牧瀬里穂というのが何だか懐かしく、颯太の父役に筒井道隆というのが安定感。スタジオのおやっさん役として『検察側の罪人』松重豊が重しになります。

監督は『東京喰種 トーキョーグール』の萩原健太郎。眩しい陽射しや柔らかい夜などの映像が優しく、印象深いショットも多くて、現代の話ながらどこかノスタルジックさを漂わせます。ときめきと悲しみが共存する物語はまさにカセットの両面のよう。カセットテープならではの物理的な「上書き」が、削除ではなく積み重ねだという解釈が物語の深みと直結していて泣けます。

↓以下、ネタバレ含む。








冒頭のアキを流れる時間の映し方、カメラがアキを回りながら異なる場面が繋がっていく連続性があまりに自然で気持ちよいのに驚きます。ある種のSFとも言える入れ替わりという題材を扱いながら、演出にはそういうジャンルを感じさせるようなものはなく、人物と風景と音楽で形作られているのが良いんですよ。颯太とアキの入れ替わりも変なエフェクトや効果音といった過剰な演出はなく、颯太が二人立っていたり、次の瞬間アキと入れ替わっていたりと、カメラの切り替えと役者の表情だけで表していて、これがかえって不思議な感触を強めます。水のないプール、ベースの森がやってる店、カナの家の店(あれ何の店?)、広いスタジオに夜の公園などといったロケーションも、どこか身近にあるような懐かしいような雰囲気があるし、光の加減もナチュラル。何と言うか、全体的に品がいいんですよね。プールに二人が並んでいるとき、颯太は影が映っているのにアキには影がない、というちょっとした演出で二人の違いを見せてきたりもします。

歌われる楽曲もなかなか良いです。特にラストの曲「真昼の星座」は締めということもあり、静かな導入からアップテンポに変わっていくのは盛り上がります。中盤に颯太と別れたカナにアキが歌いだすのはちょっとMVっぽいなとは思いましたが。特筆は北村匠海の歌で、今までちゃんと聴いたことなかったけど確かに惹き付けられる歌声で、これがバンドの魅力という説得力になります。真剣佑の歌もちょっと声質は違うけど良かった。颯太の死んだ母がピアノの先生だったとか、普段からDTMをやっていて音楽的素養がある、というのは若干都合がいいですが、それはまあいいでしょう。あと印象的なのが、暗いなか颯太とアキがピアノで連弾するシーン。連弾は『蜜蜂と遠雷』でもありましたが、こちらの方が心が近付いていく様子が強く、ギリギリでエロくはない色っぽさもあってキュンキュンします。その後ろでアキが二人を見ている、というのがまたせつない。それにしてもカナはぶっつけ本番でフェスで演奏するというのが凄いな!

アキは死んでるくせにやたらポジティブで、ズケズケと入り込んでくるのがウザいし笑いますが、「一生、ずっと、そばにいる」と微笑みながら言うのがなかなかサイコで怖いです。一人でいるのは自分のペースを守るため、と自分に言い聞かせる孤独な颯太とは真逆なので、全く合わないと思える二人ですが、そのギャップが面白い。VRのデータを上書きされるのはたまらんですけど。颯太は自分とは真逆だからこそアキのような生き方への憧れはあったのでしょう。「俺にこじ開けられない扉はない」というアキの言葉は、扉を閉ざし続けてきた颯太には眩しいんですよね。だからアキがバンドメンバーに無理やりアタックしていくうちに、颯太自身も仲間との繋がりを感じるようになり、カナとも通じ合うようになります。虫干しのように陽に当たる場所に出ることで変わっていくわけです。ただ、カナとの三角関係は実にせつない。アキとしてはいくら昔のように接しても颯太の体だし、颯太はアキの彼女だからとキスをするのを躊躇したりして、どちらも苦しい感じが常にありつつ、一番ツラいのはカナだというのも描かれるんですね。颯太とカナの影が手渡すカセットテープの影で繋がるけど、そのカセットテープはアキなのだ、というのがよりせつなさを増します。

そのカセットテープ、正確にはウォークマンも含むんでしょうが、今どきカセットテープをここまでフィーチャーするのは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』か本作か、というくらい重要なアイテム。アキの正体が霊ではなくカセットテープに重ねられた記憶の具現化である、というのは面白いところで、ハードディスクやスマートメディアとは違い物理的に音を刻み込むというのが、思い出が積み重なっているという実感として感じられるんですね。颯太の父の「昔はカセットが最も身近な記憶媒体だった」という台詞がそれを補強し(確かに昔はカセットにデータ入れてたのよね)、「カセットテープにはぬくもりがある」というアキの言葉は触れあえる関係性を示し、松重豊が「カセットテープには音が層になって重なっている、だから音は残っている」と言うところで、デジタル的な削除とは違う、今という時間に積み重ねていく"上書き"というのがしっくりきます。またこのウォークマンがオートリバースが効かない、というのが戻れない一方通行を思わせ、やがてくるアキとの別れを予感もさせて上手い。一年も屋外に放置されたウォークマンが動くというのはちょっと引っ掛かりますが、まあマジックアイテムなのでね、電池とかも関係ないってことで。

そんなカセットテープの精ことアキですが、颯太と入れ替われる時間が徐々に短くなっていくことに気付きます。入れ替わるほどに色褪せていくテープに見る、ひしひしと迫る別れの予感。心を開かなかった颯太も、ついにはアキを「上書き」したくないと告げます。そんな二人の共同作業が、カナのための曲を作ること。アキの死後一度も涙を見せなかったカナが、颯太だけに見せたアキのための涙、その悲しみを越えてバンドに戻ってもらうための一曲。「真昼の星座」というタイトルは、陽光の似合うアキと星を見る颯太という二人が合わさったようです。そうして迎えるフェスでアキと再会した颯太は「ごめんなさい、僕がやりたいから来た」と、カナに言うふりでアキに告げます。バンドはもうアキだけじゃなく颯太の居場所でもあるのです。でもそれはアキがいたから辿り着けた場所。だからこそ"上書き"したくない颯太は「替わって」と言われても再生することを躊躇します。それでいて、そこがアキの目指したステージであることもわかっているのです。

最後に入れ替わったアキがいつもの調子ではなく"颯太"としてステージに立つのは、颯太に後を託すことを決めていたからなのでしょう。客席からアキのステージを見ていた颯太がカセットテープが止まって入れ替わったとき、アキの姿を探すのには落涙。最後の入れ替わりさえ劇的さはなくさりげないのに、そこにいるはずの人がいないという喪失感の強さには打ちのめされます。それでも仲間と共に今度は中身も颯太として曲をやりきるのが、寂しさと爽やかさが交差して素晴らしく、ラストのキレがよいため余韻もとてもイイ。言えなかったサヨナラはカセットテープの新たな層として刻まれ、今度は颯太の思い出と共に未来の30分を回り始めるのです。

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