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2019
12.26

その居場所に光を。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』感想。

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2019年 日本 / 監督:片渕須直

あらすじ
謎のあいすくりいむ。



昭和19年、広島から呉に嫁ぎ、夫の周作やその両親らと新たな生活を始めたすず。戦況の悪化により生活が困窮するなか、ある日すずは偶然迷い込んだ遊郭でリンという女性と出会う。同世代の女性であるリンと仲良くなったすずだったが……。こうの史代の同名コミックをアニメ映画化した『この世界の片隅に』に新たなシーンを追加したロング・バージョン。

片渕須直監督がとてつもないこだわりで作り上げ、3年ものロングラン上映を成し遂げた2016年『この世界の片隅に』が、さらなるこだわりのシーンを追加した長尺版として登場。基本的な流れは変わらないものの、原作からカットされていたシーンや原作にないシーンまでも加えられ、また違う印象をもたらします。

前作(2016年版)の感想はこちら。
普通であること、愛しきこと。『この世界の片隅に』感想。

追加されたシーンは250カット以上、30分以上という驚異的なもの。もちろんただ単に間延びさせたわけではなく、むしろ作品のリズム感は変わらず。ではどういう違いがあるかと言えば、すずという女性の人生に新たな感触が加わるのです。大幅に追加されたすずと白木リンとの関係、新たに登場する遊女テルとの交流を描くことで物語はさらに奥行きが増し、細かなエピソードの追加でより広がりを見せるという、ただの長尺版になってないことに驚き。前作からさらに重ねたリサーチにより街の様子は以前にも増して微細になり、本当にあった情景が目の前に現れるよう。素晴らしい完成度です。

主人公すず役ののん、リン役の岩井七世ら前作のキャスト陣が続投し、テル役として『GODZILLA 星を喰う者』花澤香菜が登板。新たな細部の積み重ねが違う印象をもたらしたり、さらに深みを増したりして、上映時間168分も気にならない強度です。一つの作品をここまで掘り下げる片渕監督の気概には敬意しかありません。何度観てもツラくなるシーンもあるんだけど、それでも生きることを諦めない温かさと強さと優しさに泣きます。

↓以下、ネタバレ含む。








追加シーン、細かいところは観比べないとなかなか気付かない点もあるんですが、タイトルが出るところや、序盤のすずが歩く街並みなどは変更されてたような気がします。風景の描写は当時の様子を正確に再現するというのを前作でもやってましたが、さらに正確性をアップさせたらしく、スクリーンで観ると本当にその時代を生きてるかのような錯覚に陥ります。また細かい人物の会話や行動なども増え、子供時代の哲がすずの髪を引っ張るというのは哲の乱暴な側面とその後のギャップをより際立たせ、すずと晴美がそこら中に種を撒くのは微笑ましく、周作の父が仕事場で作ったエンジンを検証してたり終戦後に設計図を焼いたりというのには、軍人ではない技術者たちが仕事に打ち込む姿が垣間見えます。台風で大変な目に逢うエピソードでは、周作が屋根の雨漏りを修理しようとしてもう一つ穴を作ってしまうというオチが可笑しいんですが、監督によればこの昭和20年9月の枕崎台風では呉市の死者数が戦時中の死者数を超えてるんだそうです。確かにこの台風描写は近年実際に目の当たりにしてるだけに恐ろしさもあり、人が死ぬのは戦争だけではないと思い知らされます。

周作の叔父叔母が周作とリンの過去を話すところで、前作では軽く触れる程度だった二人の秘めた関係がより明確にされますが、これが今回の大きな追加点の一つです。たまたま出逢ったリンに絵を誉められ仲良くなるすずですが、リンに見せられた名前や住所を書いた紙片が周作に渡されたノートの裏表紙を切り取ったものであることがハッキリ示されます。これは前作でもエンドロールのイラストでわかるんですが、これによりさらにリンが深く関わってくるんですね。会ったことのない(とすずは思っている)周作に嫁入りし、それでも徐々に周作と絆を深めてきたつもりのすずにとって、自分は代用品なのではないかという疑念。すずが夜の営みで周作を拒むところまでも描かれます。でもすずがリンを嫌うわけでもない。竹槍持って遊郭に行くのにはちょっとギョッとしますが、周作がリンのために買った茶碗をわざわざ渡しに行くんですね。玉音放送で激昂する姿に見るように、すずは決して受け身な性格ではないわけで、リンとの問題にも自分なりにケリを付けようとするのです。

このリンとの関係性により、すずの一人の女性としての在り方が前作以上に深く響きます。所在なさと苛立ちと不安を感じながら、それでも周作もリンも嫌いになれないすず。花見のときにリンと再会したとき、すずはリンの艶やかさと奔放さの同居を見て毒気を抜かれ、リンと再会した周作があっさり「どうも」と言うだけですれ違うのには(観てるこちらも)呆気に取られます。すずが一人気に病んでいただけで、決して代用品ではなかったことを知るわけですね。だからこそ家にやって来た哲に自分をあてがおうとした周作に本気で怒りを覚える。前作のエピソードまでをさらに補強する作りになっているわけです。同時に、戦時中であろうが日常はあるのだという視点がより強く浮かび上がることにもなっています。焼け野はらとなった遊郭にリンに渡した茶碗が転がっている光景には、死ねば秘密もなくなると言っていたリンの姿が思い浮かんでせつないです。

もう一人、新たにすずと絡む人物として遊郭のテルが登場します。無理心中に付き合わされ風邪を引いたテルは寝込んでいる姿ですずと会うことになりますが、格子のハマった窓越しで苦しそうに話すテルは、どこにも行けず自由を奪われた者を象徴するかのような女性です。風邪を拗らせ肺炎で命を落とすテルにはやるせない思いが湧きますが、それだけにすずの描く南国の絵に喜んでいた姿が印象に残ります。すずの絵は要所で画面にも表れますが、その絵が誰かの心を救うこともあったというのが暖かい。と同時に、後にすずが絵を描けなくなる喪失感までも増しており、晴美が描いた魚の絵なども悲しみに拍車をかけることにもなります。それでも晴美ともリンともテルとも絵によって繋がることができたという、ポジティブな後味の方が大きく感じられるのです。それは芸術や娯楽といった表現による救いがあることを説いているかのようです。そして本作自体もそのような救いを内包するものであると言えるでしょう。

基本的な筋は前作と変わらないので全くの新作というわけではないのに、これほど新たな発見を促す作品はそうそうありません。この世界には人の数だけいくつもの片隅があり、その隅々に光を当てて誰しも居場所はあるのだと描こうとする監督のこだわりが、否が応にも感じられて感嘆。戦争により奪われた命、風景、生活、心抉る傷痕、そして戦争じゃなく病気や自然災害でも命は失われるという現実。それらが現在の我々にも地続きで感じられ、それだけに今生きている喜びと日常のかけがえのなさを実感する。本作はそういう作品なのだな、と改めて思うのです。

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