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2019
12.24

神話の終わりと希望の結実。『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』感想(その1)。

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Star Wars: The Rise of Skywalker / 2019年 アメリカ / 監督:J・J・エイブラムス

あらすじ
遠い昔、はるかかなたの銀河系で……(第9章)



ファースト・オーダーの最高指導者となったカイロ・レンにより銀河の支配が進むなか、大打撃を受けたレジスタンスは体制を立て直そうとする。敵陣にいるスパイから情報を得て、未知の宙域に黒幕がいることを突き止めたフィンとポーは、ジェダイの修行に励んでいたレイと共にその宙域への道を探そうとするが……。『スター・ウォーズ』シークエル3部作の完結編。

新たな3部作として始まった2015年『スター・ウォーズ フォースの覚醒』、2017年『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』に続く3部作の3作目であり、正史としてはエピソード9となるスカイウォーカーの物語の完結編。監督は降板したコリン・トレボロウに代わり『フォースの覚醒』のJ・J・エイブラムスが再登板。前作で壊滅的なダメージを受けたレジスタンスにもたらされた情報は、ある人物の存在。ルーク・スカイウォーカーからジェダイの極意を受け継いだレイと、その仲間であるフィンとポーらは、敵の居場所を知るために銀河を駆け回ることになります。前作のEP8『最後のジェダイ』は色んな意味で革新的な展開で驚かされましたが、それをこのEP9でどう決着を付けるのかというのは非常に不安もありました。でも1977年に始まったオリジナル3部作からずっと楽しんできた身としては、どんな形であれ受け止めようという思いで鑑賞。

結果、あまりに熱い展開にやられまくり。正直前半のうちは、大丈夫かな?と思わなくもなかったですが、徐々にそれも薄れていきました。前作のねじれ(のように見えたもの)を解きほぐし、オリジナルの精神を受け継ぎ、レイの物語として最後まで描き切るJJのリカバリ力には驚嘆!全てのキャラに道を示し、今まで出た要素を全部ブチ込み、ジェダイとシスの対立、レイとカイロ・レンの関係にも決着をつける見事な結末です。

レイ役の『オリエント急行殺人事件』デイジー・リドリー、フィン役の『パシフィック・リム アップライジング』ジョン・ボイエガ、カイロ・レン役の『ブラック・クランズマン』アダム・ドライバー、ポー役の『エクス・マキナ』オスカー・アイザックらすっかり馴染みとなった面々が最後の戦いに挑むのには、これで終わりかという寂しさもあって目が離せません。加えてルーク・スカイウォーカー役の『ブリグズビー・ベア』マーク・ハミルや、嬉しいことにオリジナル3部作のランド・カルリジアン役ビリー・ディー・ウィリアムズが再登場。また2016年12月に急逝したレイア・オーガナ役のキャリー・フィッシャーも『フォースの覚醒』で撮影した未使用映像により帰ってきます。ほかマズ・カナタ役の『アス』ルピタ・ニョンゴ、ハックス将軍役の『ピーターラビット』ドーナル・グリーソン、ローズ役のケリー・マリー・トラン、チューバッカ役のヨーナス・スオタモ、C-3PO役のアンソニー・ダニエルズらも続投。

着地点へ持っていくための強引さや、そこに至るまでのお使い感などもなくはないんです。が、それらを帳消しにしてもいいと思えるほどのエモーショナルな展開の数々にはひたすら感動。一本の映画として完璧とは言いません。ファンへの迎合、サービス過多という側面も多分にあるでしょう。でもそれらを承知で、それでもスター・ウォーズの完結編として最高だったと言いたい。とりあえず、今までのスター・ウォーズで一番泣きました。

↓以下、ネタバレ含む。








■「らしさ」という指向性

やはり最初のジャーン!で、おおおおッ!となるのは正史の醍醐味。始まった感が凄いわけですよ。しかしタイトル直後のオープニング・クロールでいきなりパルパティーン復活を告げるという、そこ出し惜しみなしか!というのには驚きます。いや潔いけど。銀河皇帝ことダース・シディアスことパルパティーンは、これでシリーズ9作にまたがったラスボスということになります。そしてパルパティーンに迫るカイロ・レン、スパイから情報を得るフィンとポー、ウェイファインダーを見つけるべくファルコンで飛ぶレイたちへと話は転がっていくわけですが、この辺りは若干せわしないし、次々道を辿るお使い感もなくはないです。でも思い返せば歴代のシリーズもどんどん舞台が移っていき、その都度ピンチとアクションがあるという流れであったし、その度に新たな景観、新たな人物、新たな細部の補強が成されていったものです。事態の切迫した状態はありながらも、銀河を駆け巡る冒険を進めていく、この「SF冒険活劇」であるという「スター・ウォーズらしさ」を、本作はかなり意識していると言えるでしょう。

他にもスター・ウォーズらしさと言えるのが「善と悪の戦い」。ジェダイとシス、ライトサイドとダークサイド、青と赤というわかりやすい対比が本作でも根底にあります。ただこの二律背反は、現代の多様性にはそぐわないものかもしれません。そこに一石投じるかのように『最後のジェダイ』では味方と思いきや金を積まれれば平気で裏切る男DJが出てきて、善と悪の間のグレーゾーンというまれなケースを見せたりもします。でも元々ただの勧善懲悪というわけではなく、むしろその善と悪の境界を越えることでドラマを生んできたのがスター・ウォーズですね。ジェダイからシスへと墜ちたアナキン、ダークサイドから抜け出すベイダー、トルーパーからレジスタンスとなったフィンなど境界を越えた人たちがいて、一方でルークやレイがダークサイドに飲まれそうになったり、カイロ・レンがライトサイドに惹かれたりもする。レイアのように常に善でいようとする者や、パルパティーンのように悪に全く疑問のない者もいる。そんな境界の此方彼方に惑いながら、人は選択をし、信じた道を進み、ときに悩み苦しみ、それでも最後にはその選択に責任を負うのです。ジェダイ騎士が死してなお光であろうとするのもそのためです。

そして様々な星の様子やそこで繰り広げられるアクションの楽しさですよ。序盤のファルコン逃避行では連続ジャンプにより次々と情景が変わるなかで、宇宙船チェイスをしながらの銃撃戦が熱い。砂漠の星では、お祭りで大量の人が並んで踊るのは壮観だし、スピーダーで逃げるレイたちを追うトルーパーがバットポッドみたいな太タイヤのバイクだとか、そこから宙に飛ばしてそのまま飛ぶトルーパーとかアガりますよ。エンドア星系の海の星では怒濤の荒波をジェット付きの舟で乗り越えるのが新鮮。チューイ救出作戦では何度目だという侵入作戦ながら、レイのマインド操作は『フォースの覚醒』から段違いにスマートになったし(俺らも操られる?と言うポーが可笑しい)、絶体絶命かと思いきやまさかのハックス!旗艦に乗り込むフィンたちがスピーダーじゃなく馬(的な生物)で駆け抜けるのも痛快。ただちょっと残念なのは艦隊との対戦シーンが少々盛り上がりに欠けるところでしょうか。とは言え、らしさに溢れた展開はスター・ウォーズ観てる感が随所にあります。


■神話を終わらせるために

もちろん、その「らしさ」による引っ掛かりというのはあります。そのせいで過去作の焼き直しだと言われるのも否定できません。また、終わりに向かって強引に舵を切った結果、特に前半はせわしなく、チューイが死んだと思ったらあっけなく生きてたり、C-3POが記憶を消されるもバックアップで元通りというのもスリルには欠けます。デス・スターやスターキラーだから出来た惑星破壊をスター・デストロイヤーでやっちゃうのはどうなんだと思うし、そんな船をファイナル・オーダーはどうやってあんな大量にそろえたのかというのもあります。ローズはジャージャー・ビンクスのように出番が減り、パルパティーンはなぜ生きていたかの説明もなく、それ以上に殺そうとしてたレイに玉座を譲ろうとして拒否されたら力吸いまくって自分が放電とか一体何がしたかったんだ。終わらせるために辻褄を合わせていると言われてもしょうがないでしょうし、実際それは確実にあったでしょう。

それでも否定したくないのは、これがスカイウォーカーの物語として結実しているからです。前作ラストで名もなき者もフォースを扱える、という示唆がありますが、個人的にはそんな話をこのEP9に求めていたわけではないんですよ。アナキンから始まったスカイウォーカーの物語を、ルークやレイアやチューイらの行く末を、レイやカイロ・レンことベン、フィンやポーたちの結末をこそ描くべきであり、それを実現しているのが良いのです。そもそもオリジナル3部作のメンバーを『フォースの覚醒』で登場させた時点でバトンが渡されるような展開になるのは予想できたし、『最後のジェダイ』ではジェダイを一旦は否定するというアクロバティックを見せましたが、それでも9作かけてスカイウォーカーの話をやってるのだから、ここにきて誰でもフォースは使える、皆が主人公だ!と締める話にされたら、ジェダイの精神性は亡きものにされ、それこそ宇宙の神話として始まったスター・ウォーズを全く違うものにしてしまう。神話から引きずり降ろすのではなく、神話は神話として一度ケリを付けたことが喜ばしいのです。


■その名は魂の継承

そのケリの付け方を、出自が逆であるレイとベンで描いたということがこのシークエル3部作での美しさです。レイがやられそうになったときにベンに呼びかけるレイア、その隙をついたレイの一撃でカイロ・レンは一度死に、ベンとしての生を受けます。その前に現れた幻影のハン・ソロに『フォースの覚醒』と同じようにセーバーを差し出しながら「怖い」と言うベンが、さらに何か言おうとして言葉に詰まったときのハンの「I know」。自分がパルパティーンの血筋と知ったレイが、それを知りながらルークもレイアも自分を鍛えたと聞き、血ではなく魂を受け継いで最大の敵に立ち向かうクライマックス、ジェダイとして戦い倒れたレイに、次々と語りかける歴代ジェダイマスターたち、そして「私はシスの全てだ」とのたまうパルパティーンに、共に戦ったベンが残したセーバーとの二刀流で「私はジェダイの全てだ」と言い切るレイの勇姿。

予定調和であろうが雑であろうが、これらのエモーショナルな衝動に僕は抗えませんよ。そんな瞬間的に爆アガりするシーンが多すぎて、何度泣いたかわかりません。横たわるレイアのそばで寂しそうな声を上げるR2-D2。レイアの死を聞き、泣き崩れるチューイ。Xウィングをヨーダのように浮上させるルーク。友の姿を目に焼き付けると言うC-3PO。二人で修行をする若き日のルークとレイア。救援が来なかったトラウマを抱え折れそうになるポーの前に現れる、とんでもない数の増援。艦隊を掃討したポーがフィンに促され「we did it!」と快活さを取り戻す勝ちどきの声。空間を越えて物を移動させるというフォースの新機軸で、首飾りを取られて居所を知られるというピンチが、最後にベンにライトセーバーを渡して逆転させるという熱さ。もう一つのフォースの新機軸、生きる者の傷を治すという力でレイはベンを救い、最後にベンがレイを救う。そしてベンが見せる最初で最後の笑顔。

善悪を選択し、正しいと信じる道を全うしたことで、レイは最後にスカイウォーカーを名乗ります。精神性が正しいならパルパティーンを名乗ってもいい、ということはありません。そもそもレイは自分がパルパティーンであることを知らなかったのだし、両親はその名からレイを救うために犠牲になったからです。何より、我々はスカイウォーカーという名を胸に刻みながらこのシリーズを観てきたのだし、自分を形作ったその名を受け継ぐことこそが魂の継承の証でもあるからです。こうしてジョージ・ルーカスが始めた神話はついに幕を閉じ、けじめをつけたことで神代は終わりを告げたと言えるでしょう。これでいい。これからもスター・ウォーズは続いてはいくでしょうが(既にドラマシリーズ『マンダロリアン』が待機中)、ここから先はもう神話にこだわらなくてもいいのです。『ローグ・ワン』のように名もなき者の話でもいいし、全く別の物語でもいい。スカイウォーカーの戦いの歴史は夜明けを迎え、全く新たな世界が始まる。むしろそうであってほしい、と思うのです。


 ※

細かいところを全然語れてないので、第2弾を書きました。

もう一度EP9を振り返ってみよう。『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』感想(その2)。


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