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2019
10.23

世界を鳴らす者。『蜜蜂と遠雷』感想。

mitsubachi_to_enrai
2019年 日本 / 監督:石川慶

あらすじ
栄伝さん、時間です。



優勝者はその後世界的に活躍することになるという芳ヶ江国際ピアノコンクール、その予選会場に集まった元天才少女、市井の才人、名門音楽校のホープ、謎の少年という4人のピアニスト。互いの演奏に刺激を受け、高め合っていく4人だったが……。恩田陸の同名小説を実写映画化した音楽ドラマ。

直木賞を受賞し本屋大賞まで獲った恩田陸の同名小説を実写化。かつて天才少女と呼ばれながら7年のブランクがある栄伝亜夜、家庭と仕事を持ちながらピアノを弾き続ける年齢制限ギリギリの高島明石、名門音楽校に在籍するマサル・C・レビ=アナトール、世界最高峰のピアニストからの推薦状を持つ風間塵。芳ヶ江国際ピアノコンクールに集まり観る者を圧倒する演奏を見せるこの4人を軸に、それぞれが思惑を抱きながら優勝を目指す様をほぼコンクールだけを舞台にして描き出します。原作は未読ですが(スゴく読みたかったんだけど……)、小説で描かれる音楽、という最も重要であろう要素を具現化するというのは相当な難題だったろうと思うんですよ。でもその点は音を映像と共に語っていてとても良いし、加えて台詞に頼りすぎず4人それぞれの生き様を見せるのは見事です。繊細な描写で心情を、迫力の演奏で高揚感を刺激する。音楽映画としても非常に見応えのある出来です。

役者陣が皆素晴らしい。栄伝亜夜役は『勝手にふるえてろ』松岡茉優。あるきっかけでピアノが弾けなくなったかつての天才少女を、苦しみと悲しみと喜びと儚さを併せて見せる、というのがさすがです。高島明石役は『居眠り磐音』松坂桃李、楽器店で働きながら家族を養い、これが最後のチャンスとコンクールに挑む姿に時折見せる気迫が秀逸。マサル・カルロス・レヴィ=アナトール役は『レディ・プレイヤー1』の森崎ウィンで、名門ジュリアード音楽院在籍の技術も感性も完璧な男として魅せます。日本語での演技もとても良かった。推薦枠の謎の少年、風間塵役はこれが映画初出演となる鈴鹿央士。広瀬すずに見出だされてデビューというのも凄いですが、無邪気な天才としての存在感には驚きます。ほか、斉藤由貴、鹿賀丈史、平田満、福島リラなど脇を固める人たちもイイ。

監督・脚本は『愚行録』の石川慶。結構な分量の原作を一本の映画にまとめながら、極力言葉での説明を廃し、心象風景までも取り込んで映像で見せる手腕には感嘆します。同じ舞台が続く話を少しずつ見せ方を変え、ピアノだけで様々な思いを浮かび上がらせて飽きさせません。スリリングなコンクールの行方と各人のドラマが密に絡み、予想外の解放感に包まれます。

↓以下、ネタバレ含む。








おそらく原作から削られた要素やエピソードも多いだろうとは思うので比較はできないんですが、実際に聴こえる音として多様な演奏を見せ、ピアノへの向き合い方を通して心情を綴っていく、というのを実に映画的に作り出しているのが素晴らしい。演奏シーンはもちろん吹替でしょうが、役者本人が弾くシーンとの繋ぎ方も秀逸、かつそれぞれの演奏時の演技が堂に入っていて不自然さがないのは見事です。一次審査では演奏シーンをカットし講評だけで出来を示してテンポを上げ、二次審査ではそれぞれのカデンツァをじっくり映し、スリリングな演奏と各人の違いでも魅せたりします。誰のカデンツァが良かったか、みたいなコンテスト会場の観客と同じような感想を言えてしまうのも映画版ならではじゃないですかね。亜夜のピアノに写る母との思い出とか、心をさらけ出していく会話のような連弾の撮り方とか、水や馬で音のイメージを表したりなど、繊細な演出が随所に見られて、勝負の行方とは別に4人がどうなっていくのかに引き付けられます。

同じ舞台に立つ4人のどこにスポットを当てるか、というのもそれぞれで異なります。亜夜はまだ幼い頃に母親を亡くし、そのためにピアノのステージから逃げ出したことがトラウマとなっています。そこから脱却する最後の試練としてコンクールに出たわけで、この自分を縛る過去から解き放たれるのか、というのが焦点になっていきます。マサルは昔から今までずっとピアノに向き合ってきたものの常に完璧さを求められ、自分が本当に良いと思う演奏をした結果、師に非難されます。現在の自分の在り方に足掻き、未来を掴もうとしているわけですね。明石もまた現在の自分の在り方を世に問おうとします。「生活者の音楽」という言葉を連呼し、音楽だけをやってきた奴らには辿り着けない境地があることを示そうと躍起になっている様が、インタビューや家族とのシーンにもよく表れています。それは過去から現在に至る自分を肯定しようとしているようにも見えるんですね。塵はその無邪気さが無意識の天才っぷりとイコールであり、視線は遥か先を見ています。それは音楽を鳴らす世界そのものであり、「世界中に一人になってもピアノの前に座ると思う」と言うように、今に拘泥せず未来だけを見ているかのよう。

亜夜は過去、明石は過去と現在、マサルは現在と未来、塵は未来と、それぞれの抱えるドラマが見据える時制は異なりながら、この4人がコンクール中にたまたま繋がることで心情の変化に繋がり、他の人々との関わりも受けながら少しずつ変わっていきます。嵯峨女史を演じる斉藤由貴は流暢な英語にも驚くんですが、演奏者たちを厳しく見ながら自身の過去も漂わせる辺りとても良くて、彼女が亜夜に告げる現実は亜夜への忠告でもあり戒めでもあってなかなか複雑。福島リラのチャンは亜夜に「どうしてあなたなの」と言うことで持たざる者の思いを見せ、塵は亜夜の迷いを見抜いて純粋な疑問をぶつけてきます。明石が若干の狂気さえ目に滲ませて言う「生活者の音楽」は、嵯峨の言う「神童を探す理由」、つまり自分が天才じゃないというコンプレックスに通じてしまいそうな危うさがあったりするし、鹿賀丈史の演じる小野寺はむっちゃ怖いんですが、亜夜はその威圧感に怖じ気づき、マサルは果敢に立ち向かいながら跳ね返されたりする。これだけの静動合わせてぶつかり合う激しさを、コンクールの僅かな期間で見せるのが面白い。

4人が揃って浜辺に行くシーンはやや唐突すぎる気もしますが(あとブルゾンちえみは演技どうこうではなくブルゾンにしか見えないのがノイズ)、ここでタイトルの「遠雷」が映し出され、それを見た塵は「世界が鳴ってる」という言葉を口にします。遠くに響く雷の荘厳にして手の届かない様子、その奏でる音を「世界」と表現するんですね。塵にとってはそれこそが音楽であるのでしょう。ではタイトルのもう一辺「蜜蜂」は何を指すのか?これが劇中では一度も出てこない言葉なのでよくわかりません。あえて意味を見出だすなら、蜜蜂の羽音もまた音を奏でるものであるけども、蜜蜂は巣という世界の周囲を集団で飛び回るものである、ということでしょうか。世界を鳴らす遠雷と、世界のなかで鳴る蜜蜂。彼らはそのどちらを目指すのか、ということなのかもしれません。ちなみに片桐はいりの演じるクローク係?、あれは仕事の合間にコンクールの演奏をこっそり聴いてるんですかね。演奏者とは別に、音楽を愛する人がいるという視点を入れたのはとても好ましい。片桐はいりは映画館が好きすぎて「もぎりさん」をやってるほどなのでナイスなキャスティングです。

本選のオーケストラでの演奏シーンもみな素晴らしい。マサルはリハで引っ掛かっていたフルートを受け入れ乗り越えてその先へと進み、塵は木の鍵盤を弾いていて指先を怪我したものの迷わず進み続け、彼らを見る明石も過去の証明へのこだわりではなく未来を見据えた眼差しへと変わります。そして亜夜が思い出した「あなたが世界を鳴らすのよ」という母の言葉。それは音を楽しめる者だけが至る境地でもあるのでしょう。亜夜は今の自分自身を見つめ直すことでようやく過去を乗り越え、未来を見ることができたのだと言えます。そうして遠雷であることを選んだ亜夜を見て、塵は師に言われていた世界を鳴らす人を「見つけたよ」と言うのです。松岡茉優のラストの笑顔に、観ているこちらが泣きそうになるほど様々な感情が溢れているのがたまりません。最後にささやかに示されるコンクールの結果が、この物語においてはもはやさしたる意味を持たないことは言うまでもないのです。

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