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2019
10.15

静かで激しい、駆け足の友情。『サラブレッド』感想。

Thoroughbreds
Thoroughbreds / 2017年 アメリカ / 監督:コリー・フィンリー

あらすじ
ゴロゴロゴロ……(うるさい)



個性的すぎて周囲に馴染めないアマンダと上流階級で暮らすリリー。正反対に思えたものの心を通わせるようになった二人の少女は、やがてリリーの継父の殺害を企てる。ドラッグの売人ティムを雇って計画を実行に移そうとする二人だったが……というサスペンス。

感情のないアマンダと感情が暴走するリリーという二人の十代少女が企てる継父殺害の行方を、クールな演出で描くサスペンスです。アマンダは病的に感情が欠如し、何を言われても平気な代わりに自分もズケズケと物を言うという人物。対してリリーは表向きは富豪の令嬢として振る舞いながら、心の奥で義父への恨みを膨らませています。幼なじみながらしばらく疎遠だったこの二人が、アマンダがリリーに勉強を教わる形で再会。最初は反りが合わないと思われた二人は、アマンダの歯に衣着せぬ言い分で距離が近付き、やがて凶暴性を共有しながら生きる意味を問いかけることになります。論理的な判断と感情的な扇動、突き放しながら抱く思いと大切なのに捨て去る思い。友達とは言えないのに運命共同体な二人に、何とも言えない喪失感とある種の解放感を味わいます。

アマンダ役は『レディ・プレイヤー1』のオリビア・クック。あまりにも無表情なら美人でも不気味さが増すというのは新鮮です。リリー役は『スプリット』『ウィッチ』のアニヤ・テイラー=ジョイ。お人形のような美しさが歪む情熱が見もの。二人が計画に巻き込むドラッグ売人のティム役には『スター・トレック BEYOND』『グリーンルーム』のアントン・イェルチン。2016年に交通事故で他界したイェルチンにはこれが遺作となります。小者なのにそう見せないように頑張って、でもギリギリで失敗してる、みたいなバランスがとても良くて、改めて惜しい才能。ほか、義父のマーク役に『グレイテスト・ショーマン』ポール・スパークスら。

監督・脚本は舞台演出家・劇作家でこれが映画監督デビューになるコリー・フィンリー。四つの章立てでスタイリッシュに綴る演出はクールでありながらじわりときます。主演が美少女二人なのが眼福なんですが、百合とは少し異なる通じ方に心を捕まれ、二人がある意味解き放たれる奇妙な友情に余韻が残ります。

↓以下、ネタバレ含む。








本作では全4章の章立てとなっていて、1章はアマンダとリリーの再会、2章はマークのクズっぷりとリリーの殺意、3章は殺害計画とティムの裏切り、4章は自らケリをつける結末と、わりとしっかり起承転結になってます。長回しによるワンカットや攻めたアングルのカットなどアート系的な美しさがありつつも、伏線は回収するし説明は随所でさりげなく成されるしで、意外と丁寧でロジカルな作りである印象を受けました。冒頭のアマンダと馬のシーンはアマンダが馬殺しをしたことが後に語られるわけですが、これが今度はラストでリリーが殺しをするのと対になっていたりします。マークはライオンとのツーショットや剣道のキメポーズなどの写真を飾っているところからも自己顕示欲の強さが窺え、ハッキリ支配的なクズ野郎として描かれ、母親は「マークが小麦色が好きだ」と言って肌を焼くように隷属的と、キャラクターも明確。それゆえに主人公の二人のエモーショナルな部分がより浮かび上がる構造、ということなのでしょう。

エモーショナルと言ったものの、アマンダは自ら「感情がない」と言います。笑うことも涙を流すこともテクニックであり、常に冷静(という言い方もそぐわないけど)で、それだけにリリーにも「感情的な状態で決めるな」と言うように論理的な判断を下します。何度もジョブズの名前を出すのは一瞬ディスってるのかと思いますが、それが有名で伝わりやすいからなのかも。対するリリーは最初はアマンダにも気を使うものの、煽られた結果「不気味」とか「臭い」とか本音を言ってしまったり、それこそ感情的に「殺す」と言い出したりタバコを吸って反抗したりと結構感情が迸ります。住んでるのがスゴい大豪邸(ティムがアベマリアをバックにうっとりしちゃうほど)ですが、父を失ったことで何かが欠けてしまったらしく、学校は何かを盗用したとして除籍、インターンもウソと偽りだらけ。二人に共通しているのが、この「何かが欠如している」ということですね。

二人ソファーで古い映画を見たり、涙を流すテクニックに驚いたりと、二人とも言いたいことを言い合いながらも一緒に過ごすようになりますが、それは互いの欠落を埋めるためであろうし、それでいて口論になったりする同族嫌悪的な面もあり、なかなか複雑。でもティムに対する畳み掛けは息ピッタリで笑います。ティムは「同世代は怖いから子供にヤクを売っている」とか散々な言われよう(でも図星っぽい)ですが、必死に強がろうとしてもアマンダに頭殴られ出血したら「病院行かせろ」とか、「親父に何と言えばいいんだ」とか小者っぽさ丸出し。案の定逃げ出すわけですが、二人に比べればよほどまともな判断ではあります。と言うかティムがセンサーのライトつける前から目を覚ましていたマークの動物的カンが恐るべし。マークはゴロゴロ言うアレ(トレーニング器具?)が本当に嫌がらせなのかはわかりませんが、リリーにとっては自由と財産と母を奪った明確な敵であるだけに、頭上から響くゴロゴロが威圧であり支配であることは間違いないのです(リリーにとっては)。

リリーはアマンダに、「感情がないなら幸せも感じられない、そんな人生に意味があるのか」と問います。リリーがその話をしたのはわざとなのか?でも睡眠薬入りドリンクを飲むことは一度止めています。それでもアマンダがそうするだろうと予想しての発言なのか?アマンダの方は、感情がないなら自分の人生の無意味さに悲観することはないはず。であれば自分が罪を被ることが意味あることだと思ったのか?リリーの思惑を知ってそれでも飲んだのか?ここだけは、わりとハッキリ語られる本作のなかで、唯一明確にはされないところではあるんですね。でもアマンダはリリーにチャンスを与え、ナイフを持ったリリーが二階に上がり、果たしてゴロゴロが止まるのかと待つ間の長い緊張感のあと、戻ってきたリリーがどうするかと言えばアマンダの腕に抱かれるように寄り添うのです。

アマンダは馬を殺した理由について、「一番長い付き合いだからだ」と言います。馬を苦しみから解放させるのが自分の役目であり、繋がりだからなのでしょう。リリーに対してもきっと同じで、リリーを苦しみから解放することが正しい行動であり、かつアマンダの人生との繋がりである、と気付いたのかもしれません。自らは空腹感というものを感じられないが、リリーが幸せになることに意味を見出す。それはリリーへの友情という「感情」の芽生えとも言えるものです。アマンダは手紙で、人の代わりに馬が暮らす世界の夢の話をします。馬になってどこまでも駆けていくという言葉と共に、恐らく幼い頃のリリーと二人馬に乗る写真を見ながら微笑むアマンダ。誰も見ていないのだから、あれはテクニックではないわけです。そしてリリーは、再会したティムに手紙のことを聞かれて「読まずに捨てた」と言います。リリーがアマンダを利用しただけのようにも思われそうですが、でもそれは逆で、手紙の内容が二人だけのものだから言わなかったのでは、と思えるのです。それはアマンダが解放されたと手紙でわかったから。原題である「Thoroughbreds」は互いに解放させるべき存在であることを示すのでしょう。だから複数形なのであり、それは他の誰にも理解できない関係なのです。

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