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2019
09.25

私は私に奪われる。『アス』感想。

Us
Us / 2019年 アメリカ / 監督:ジョーダン・ピール

あらすじ
ボートを買ったよーー!



家族で夏休みを過ごすため幼少期に住んでいたカリフォルニアの家にやってきたアデレードたち一家だったが、過去のトラウマを思い出したアデレードは帰宅することを提案。しかしそこに突如謎の侵入者が現れる。彼らの姿は自分たちと瓜二つだった……。一家の恐怖を描くサスペンス・スリラー。

『ゲット・アウト』がアカデミー賞にノミネートされたジョーダン・ピール監督による、これまた一風変わったホラームービー。夫のゲイブ、娘のゾーラ、息子のジェイソンと共にカリフォルニア州サンタクルーズの生家にやってきたアデレードは、かつて浜辺の遊園地で行方不明になりかけた過去が。そんななか、一家は「私たち」にそっくりの謎の人物に襲われます。序盤はなかなか話が転がらないもののそのぶん不穏さが募り、それが一気に動き出す瞬間からノンストップの恐怖が始まります。容赦ないスリルの連鎖、自分自身に襲われるという理不尽さ、すぐそこにあった異世界の恐ろしさ。一体彼らは何者なのか、何が目的なのか、不条理さを極めた命懸けの攻防に一家は追い詰められていきます。既存のカテゴリにはちょっと類を見ない、得体の知れない怖さが最高にスリリング。

アディことアデレード役は『それでも夜は明ける』『ブラックパンサー』のルピタ・ニョンゴ。二役なんですが、美しさと不気味さの演じ分けでほぼ別人にしか見えないのが凄い。夫ゲイブ役はウィンストン・デューク、見覚えあると思ったら『ブラックパンサー』のエムバクでした。お調子者な感じでずいぶん印象が異なります。娘のゾーラ役である『ライオン・キング』の幼ナラの声、シャハディ・ライト・ジョセフや、息子ジェイソン役のエヴァン・アレックスといった子供たちもかなりの追い込まれ方。

音使いにより不穏さを増しながら、時にブラックなユーモアも交えたりして、予想もつかない展開に引き込まれていきます。そして『ゲット・アウト』同様、こんな形でアメリカを描くか、という大胆さと独自性に驚愕。彼らが何者かという意味と、ラストの光景に身の毛がよだちます。

↓以下、ネタバレ含む。








序盤の遊園地シーン、父親からふと離れて浜辺に向かう少女時代のアディが、吸い込まれるようにミラーハウスに入るシーケンス、ここだけで楽しいはずの場所が不穏でしかなくなる、という描写が秀逸。ミラーハウスには当然鏡があるわけで、しかし鏡かと思いきや目の前にあるのは自分の背中、という表と裏の構造、曖昧な境界というのがここで早くも示され、これが本編の大きな意味となるんですね。そしてこのような、驚かすと言うより気付いたら目の前にある恐怖、という表現が全編に貫かれていて、これが怖い。始まりとなる家の外に並んで立つ四人の影、ゲイブが近付いても何の反応もなかったこの不気味な影が、不意に散開する瞬間には声が漏れそうになりますよ。暗いリビングで対峙する四人と四人というシチュエーションには、侵入されたという危機感と、そこにいるのが自分たちと同じ顔であるという理解のできなさにより思考力が奪われます。そして家族が一旦離ればなれになる心許なさ、さらにそれぞれが自分の影と対決しなければならないという有無を言わせぬ追い込み。この畳み掛ける展開が抜群のスリル。

特に影の不気味さは秀逸。ゾンビのようでいて異なり、殺人鬼のようでいて異世界感があり、霊とは違って実態を持ち、そして容赦なく殺そうとしてくる。『遊星からの物体X』のような成り代わりに近いですが、単なる本能でもなさそう。それが家族全員どころか隣のタイラーさんのところにも同時に現れるので、一体何が起こってるのかも何が目的かもわからないまま進んでいくんですね。いわゆるドッペルゲンガーというやつでしょうが、でもこれが本人とは微妙に異なるのが謎を深めます。ゲイブの影は陽気さは欠片もなしで躊躇なくハサミを振るうし、娘ゾーラの影はゾーラが辞めたという陸上競技を思わせる追いかけ方でハサミを使いまくります。息子ジェイソンの影は火に魅せられており、マスクの下は事故なのか自分で焼いたのか火傷で口が塞がっている。共通してるのはまともに喋らないということで、唯一アディの影であるレッドだけが一応の人語を発します。あの掠れた声は地声なのか加工なのか、どちらにしろルピタ・ニョンゴの演じわけの凄さには震えます。

様々な恐怖演出にも驚かされます。ゾーラが車を挟んで影とやり合うところや、ジェイソンが狭い物置で影と対峙する際の緊張感、後ろに下がるジェイソンの脇の車から出てくるレッドや、アディが後ろから迫る際のレッドのどアップの怖さ。一方でタイラーの家で殺した人数を競ったり、「コール・ザ・ポリス」と言ったらN.W.A.の「ファック・ザ・ポリス」(『ストレイト・アウタ・コンプトン』!)をかけちゃうアレクサ(ではないけど)のウザさとか、ちょっとしたユーモアには思わず笑います。タイラー家の双子の娘は影が増えたら四ツ子だなあとか。スリラーやジョーズのTシャツが出てくるのも意味ありげだけど何だか可笑しい。また冒頭で映る大量のウサギは何なのかというのが予想以上におぞましい事実に繋がりつつ、異世界へ誘うアリスの白ウサギのようでもあったり、何度も出てくるエレミヤ書11章11節、「災いを下す、祈りは聞かない」という内容なんですが、これがまさに体現されていたりなど、細部まで凝ってます。

冒頭で示される、アメリカの地下に何千キロもの地下道があるという言葉、何の例えかと思ったらこれが文字通りの意味で、影たちはテザードと呼ばれる複製である、という大胆な設定には度肝を抜かれますが、ではテザートとは一体何なのか。「我々も同じ人間だ」と言うことから生物学的には人間であるということなのでしょう。「上が操る」みたいなことを言っていたので同じDNAを持つクローンが何らかの目的で生成されたのか、そこはハッキリ語られませんが、一つ言えるのは彼らが自由も人権も意思もなく、生きるための意味を持たせられなかった存在であり、闇に隠された歴史ということです。彼らは同じ赤い服を着て「我々はアメリカ人だ」と宣言し、地上の人々に成り代わろうとします。まるで蹂躙する征服者と戦おうとする原住民のように、あるいは黒人奴隷が解放を勝ち取ろうとするように。そうして解放戦争のように血が流されるのです。それはまさにアメリカの表と裏のよう。これはつまりアメリカの歴史の大胆な翻訳なのか?ならばタイトルの『Us』は「United States(アメリカ)」の「Us(私たち)」でもあるのでしょう。

そして他の影が獣のように吠えるなか、一人だけ喋るレッドの正体。1986年以降のアディは過去を忘れていますが、記憶も行動も影とはリンクしているようなので曖昧になっていったと思われます。アディがレッドである、というのは、つまり人はどちらにもなりうるということに他なりません。それを踏まえてアディとレッド、最終的に勝利したのはどちらか、というのがじわじわと効いてきます。そして大西洋から太平洋までアメリカを横断して手を繋ぐという「ハンズ・アクロス・アメリカ」、これは実際に行われた試みらしいですが、今では偽善的にさえ見えるそれを何の見返りも得ず成そうとする彼らは、むしろピュアなのではないかとさえ思えます。彼らこそ善性で地上の我々の方が駆逐されるべきなのか?ならば「彼ら」と入れ替わる「私たち」は一体何者なのか?数々の問いを突きつけられたまま、ラストの延々と手を繋ぐ赤い人々にゾッとするのです。

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