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2019
09.03

孤独な空で、歌おう君の歌を。『ロケットマン』感想。

rocketman
Rocketman / 20/9年 イギリス、アメリカ / 監督: デクスター・フレッチャー

あらすじ
黄昏のレンガ路を行けば。



イギリス郊外の町で育った少年レジー。音楽の才能に恵まれミュージシャンを目指した彼は「エルトン・ジョン」という名前で音楽活動を始め、作詞家のバーニーと出会い、成功への道を突き進む。しかし彼には言い知れぬ孤独があった……。世界的ミュージシャンであるエルトン・ジョンを描いた音楽映画。

並外れた音楽の才能でスターダムを駆け上がりながら、様々な困難や苦悩を抱えていたエルトン・ジョンの半生を、数々のヒット曲を交えて描かれる伝記映画です。ライブシーンで高揚させるような音楽映画になるのかと思いきや、これが体裁としては意外にもミュージカル。エルトン・ジョンの名曲の数々に合わせて歌い踊ったり、ステージシーンであっても一捻りあったりします。エルトンの内面に沿って描かれるので、おそらく比較されるであろう『ボヘミアン・ラプソディ』とはアプローチが異なっていて面白い。まさにミュージカルというべき楽曲で物語る構造と、現実と虚構の融合したファンタジックな映像で魅せます。音楽に愛されながら愛を得られぬ天才の孤独を様々に描き、名曲にアガって泣かされて引き込まれる。素晴らしかったです。

エルトン・ジョンを演じるは『キングスマン』シリーズのタロン・エジャトン(エガートン)。薄毛にしたり歯の隙間を開けるなどの見た目も似せつつ、動きも表情もファッションも奇行もエルトンに成りきった姿が迫真。何より全編本人が歌うのが上手いし凄いです。バーニー・トーピン役の『ファンタスティック・フォー』ジェイミー・ベルが与える安心感、ジョン・リード役の『シンデレラ』リチャード・マッデンが醸し出す腹黒感も良いです。ちなみにジョン・リードという人は『ボヘミアン・ラプソディ』でエイダン・ギレンが演じたのと同一人物なんですね。エルトンの母シーラ役の『ジュラシック・ワールド 炎の王国』ブライス・ダラス・ハワードの毒親っぷりも見ものです。

監督は最終的に『ボヘミアン・ラプソディ』を完成させたデクスター・フレッチャー。ワンカットで魅せるシーンなど映像の工夫も秀逸。こんな赤裸々に描いちゃってエルトン・ジョン的には大丈夫なの?と思うんですが、当の本人も製作総指揮に名を連ねているので問題なし。それこそ「老人やホームレスも口ずさむような曲」がわんさか出てくるのはやはり凄いですよ。浮き沈みの繰り返しが多いので少し長さは感じるものの、知ってるようで知らなかったエルトン・ジョンの半生が沁みて、終わったあとも思い出し泣きしちゃいます。

↓以下、ネタバレ含む。








自分の人生を取り戻そうとするスターの光と影の実話、というのはままありますが、その見せ方がミュージカル仕立てというのが上手いです。これにより若干の寓話性が含まれるし、ファンタジックで自由な映像で魅せることができるんですね。冒頭の悪魔と天使が混ざったような衣装のエルトンが、グループセラピーの場で自分の過去を語る(言葉では逆のことを言っているけど)という構成、そしてこれがラストに繋がるというのも面白い。それでいて使われる楽曲がそのときの心情にマッチしているので、感情に訴えかけてくる度合いが強いです。誰しもが抱えうる孤独をエルトン・ジョンの数奇な運命から画面に写しとり、たとえ才能があり成功した者でも苦しみがあるというドラマに昇華させる。共感しにくい天才の言動を、寓話性によって共感させてしまうというのがよくできているところです。

ミュージカル・シーンはどれも秀逸。「土曜の夜は僕の生きがい(Saturday Night's Alright for Fighting)」ではバーから飛び出し遊園地で踊るワンカット風の映像が躍動感に溢れているし、ステージの演奏ではカメラがピアノを弾くエルトンを回りながら次々衣装が変わっていったりと愉快。そもそも衣装が独特の奇抜さなのが映えますね。「ロケット・マン(Rocket Man)」では一人孤独な宇宙へ飛び立つ姿を実際のロケット打ち上げに見立て、宇宙から見下ろす地球によりひとりぼっち感を強調。ミュージカル・シーンだけでなく、「僕の歌は君の歌(Your song)」の誕生シーンなどは、バーニーの歌詞によりあの素晴らしいメロディが降りてくるのが感動的。吸い寄せられるように戻ったバーニーがエルトンと一画面に収まったところで「二人で住もう」と歌詞が重なるのもイイ。エルトン・ジョンのメロディメーカーとしての才能は本当に凄いなあと思うんですが、それにしてもタロン・エジャトン、生歌でも聴かせる素晴らしい歌唱力が没入感をも高めてくれます。思えばタロンは『キングスマン:ゴールデン・サークル』でエルトン(まさかの本人役)と共演してるし、最後に歌うのが『SING シング』での吹き替えで歌った「アイム・スティル・スタンディング(I'm Still Standing)」というのもまるで伏線だったかのようで面白いです。

5歳の子供時代から天才であり、よい耳と記憶力を持ち、王立音楽学院に入学するほど音楽に愛された男。しかし両親からの愛情には恵まれません。エルトンを認めようとしないまま家を出た父親は、再婚してできた子は可愛がるという理不尽さ。訪ねてきたエルトンにサインを求めるときに「父さんへ」と書くのをやめさせるのにはおぞましささえ感じさせます。また母親の心ない言葉の数々は自身の不遇さを嘆く苛立ちから来てるのでしょうが、意を決して母にカミングアウトしたのに「誰からも愛されない、孤独な人生を選択した」と言われるのなどは、もはや呪いです。唯一ばあちゃんが味方となりますが音楽学院に連れていきながら「一生に一度のチャンスだ」と激励するのは早く独り立ちさせるべきだと思ったのでしょうかね。あの家族四人で歌うシーンはことさらミュージカル的です。

エルトン・ジョンという芸名をバンドメンバーから取ったのも、一人ではないと思いたいから?と深読みしてしまいます(バンドメンバーとのエピソードがほとんどないのでわかりませんが)。ジョン・リードにハマるのも自分の才能を認めつつ愛をも与えてくれたからなのでしょう。やがてエルトンが薬物やアルコールに溺れたせいかジョンが金の亡者と化したためか、とにかく二人の関係はこじれ、愛情は得られないから求めないと殻に閉じこもるエルトン。両性愛者ではなくゲイであるのを隠して結婚したり、プールで溺れかけたりと、端から見ればエキセントリックながらその根本には常に孤独が付きまとっていたというのが描かれます。そんななかでバーニーだけが常にエルトンの側にいて、「違う愛だ」と言いながらそれでも曲を作り続けたことが救い。たとえ現実を美化しているのだとしても、終盤に療養所で会う二人が見せる絆の深さにはじんわりします。ただ、エルトンのバーニーに対するツラい心情を写し取ったかのような歌詞も当のバーニーが書いている、という事実は何とも言えないものがありますけど。

浮いたと思ったら沈むというのがわりと小刻みに続く人生を見続けるため、それなりに長さは感じますが、バラエティ豊かな音楽シーンとエルトンの緊張感ある他者との関係、それらが多彩な演出で彩られて退屈はなし。そして「自分が嫌いだった」と言うエルトンが最後に子供時代の自分をハグすることで、一人の人物が自らを受け入れるまでの人生の物話としています。天才の孤高というテーマはありがちと言えばそうなんですが、愛されないことを嘆く前にまず自分を愛することを知る、というのは本作の大きなポイントでしょう。波乱万丈の人生で間違いもあったかもしれませんが、水底の自分を自ら救いだすという点には崇高ささえ感じてしまうのです。

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