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2019
08.21

あなたの物語であるためには。『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』感想。

dragonquest_yourstory
2019年 日本 / 総監督:山崎貴、監督:八木竜一、花房真

あらすじ
スラりん、むっちゃ伸びる。



魔物にさらわれた母を取り戻すため父パパスと共に旅を続ける少年リュカ。しかし魔物の親玉ゲマに目の前で父を奪われてしまう。やがて成長したリュカは数々の困難を乗り越えながら母を探すが……。1992年に発売されたゲーム『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』を原案にした3DCGアニメ。

1986年の第1作発売以降、国民的RPGとして不動の人気を誇るゲーム『ドラゴンクエスト』、その5作目である『天空の花嫁』を映画化。ドラクエはリアルタイムでⅧまでやったし(Ⅸの途中で止まった記憶)、なかでもⅤが一番好きなんですが、結構なボリュームのRPGを一本の映画にするといってもどうやるの?大丈夫なの?と往年のファンとしては不安ばかりが募っていた本作、恐る恐る観てきました。両親と別れ苦難の道を余儀なくされた青年リュカが、天空の勇者として魔王を討とうと冒険を進めるという基本ラインは、思った以上に原作に忠実。キャラクターもあのモンスターとかあの人物とか、もちろんあの女性たちも登場するし、オリジナル同様にすぎやまこういちが担当した音楽(というかほぼゲームの曲を流用)は強制的に剣と魔法の世界へと誘います。うん、忠実、なんだけど、でもどこか違和感が拭えない。キャラデザインが鳥山明じゃないのはまあ色々あるのかもしれないとしても、細かいところで何とも言えない居心地の悪さを感じるのです。そしてそれにはある理由があるんですね。

キャストには有名俳優陣をわんさか揃えてます。リュカ役の『亜人』佐藤健、ビアンカ役の『3月のライオン』有村架純、フローラ役の波瑠に、ヘンリー役の坂口健太郎。他にも安田顕、古田新太、松尾スズキなど多数出演。特にゲマ役が吉田鋼太郎というのは結びつかなくて驚きます。パパス役の山田孝之などはNHKで『ドラゴンクエスト30th そして新たな伝説へ』というドラクエ制作秘話を綴った番組のナビゲーターをしたほどだし、キャストに文句はありません。むしろ皆良かった。映像的には総監督に山崎貴、監督に八木竜一、花房真という『STAND BY ME ドラえもん』の布陣なのでCGムービーとしての映像もよくできてます(言いたいことは色々あるけど)。ビアンカもフローラも超カワイイ。何よりオリジナルゲームの生みの親である堀井雄二が監修してるので世界観は決して悪くないです。

しかし、ダイジェストかと思った冒頭からそのままのペースが続く駆け足な展開、ゲームを忠実に再現しつつも時折あれ?となる引っ掛かり、いまひとつ緊張感がない主人公と、なんか色々と微妙ではあるなあ、と思っていたら……。本作はドラクエⅤをやったことのない人なら素直に楽しめるのかもしれません。でもこれは明らかにかつてドラクエⅤをプレイした人に向けられているのです。捻りとしてはなるほど、と思うし、やりたいこともわかるんだけど……いやこれは、諸々が台無しなのでは。

↓以下、ネタバレ含む。








最初は懐かしさでいっぱいになるんですよ。まだ小さな主人公リュカがパパスに連れられ、モンスターを倒すパパスの陰に隠れたりしながらも、母を救うため親子二人旅を続ける。やがてヘンリー王子に出会い、パパスが敗れ、奴隷生活を送るという劇的さに、記憶の蓋が一気に開く感覚があります。キャラクターはアニメ的なデザインながら3DCGとも馴染み、おなじみのモンスターたちも次々登場。昔のゲームとは違い生き生きと動き回る様や、魔法や薬草を使ったときの効果の視覚化などには映像化の醍醐味があります。ルーラとかアガりますね。石化したまま年月が過ぎ去る絶望感などはなかなかのもの。キャラの表情の付け方が仰々しくて若干ギャグテイストなのが少し鼻につきますが、広大な世界を感じさせる背景の美術は美麗だし、あと音楽が(ずっと流れてるうるささも込みで)そのまんまで、宿泊とか呪いなどの短い効果音も多用して懐かしさに拍車をかけます。映画オリジナルの展開としてはやはりビアンカとフローラのシーンですね。フローラにプロポーズしちゃうくだりでは「えっ」と思うんですが、結局ビアンカとくっつく経緯に、リュカの気持ちに気付いたフローラが自らそれをリュカにわからせるという、単に選ばれるだけのお飾りではない動きが好ましい。あとスラりんに矢を引っ掻けて飛ぶというのも(ドラクエの)スライムの特性を活かしていて愉快です。

ただ気になるのは展開がやたら駆け足な点。最初の方はダイジェストでそのうち落ち着くのかと思ったらずっとそのペースなので、イベントのポイントは押さえているものの、旅をして遠くまで移動したという実感がわかずロードムービーらしさは皆無だし、戦闘を重ねて強くなったという気もしないのでいきなりブオーンと戦えるというのには違和感。まあこれは尺の都合もあってしょうがないのかな、とは思うわけですが。あとやたらゆるーいコメディ風味なのも気になって、父を殺したゲマを探しに行くのをなんかめんどくさそうにしてたり、敵との戦いもやたらコミカルだったりとどうも緊張感に欠けるんですが、そんなほのぼの感もドラクエの側面としてはまああるかなと好意的に解釈してたのです。クライマックスのゲマ軍との大激突はスケール感があるし、これで復活したラスボスのミルドラースを皆で協力して倒せば、ひとまずはやりきったと言えるかな、と観てたわけですよ。ところが、ここでそれを全てひっくり返すとんでもないアクロバットをブチ込んでくるわけですね。いやもう「やめてくれ!」と叫びそうになりましたよ。

これによってそれまでの全ての違和感に説明がついてしまうわけです。展開の早さやいきなり強くなってるのはまさにポイントだけ押さえて体験するためのものだし、リュカにいまいちやる気がないのもパパスを殺されたことがどこか他人事なのも、そこにあまり興味がないからなのでしょう。何年ぶりかで会っていきなりフローラにプロポーズするのは追加プログラム「じこあんじ」のためであり、薬を飲んで本当の気持ちに気付く際に「選択肢」が出てくるのは比喩表現ではなかったわけです。ブオーンを倒さず仲間にするのも追加キャラのオプション。「ロボットがいる」に「今回はそういう設定」と言うのは楽屋ネタではなく文字通りの意味。そうなるとキラーパンサーの名前が最初に出てくる候補のゲレゲレなのも、適当さの表れなのでしょう(ちなみに僕はプックルでした)。子供がアルス一人しかいないことも、自身が天空の勇者となることも、全て時短と自己満足のためのサービス。そりゃゲーム内ならずっと音楽も鳴るだろうし、せっかくのドラクエのメインテーマ曲が、旅立ち、天空の剣を抜くところ、ラストの喝采と三回も流れていい加減くどいのも、ゲームを盛り上げるためなのだと言えてしまうのです。

「僕は勇者だったんだ」という最後の台詞からもやりたいことはよくわかります。要は、あの頃夢中になった情熱を思い出せ、ということですね。タイトルの意味もまさにそこにあります。だがしかし、それならば、この語り方はあまりにもマズい。それまでの(薄いながらもそれなりに)胸踊る旅や出会いや戦いといった冒険が、全て嘘っぱちだったことになってしまうのです。「僕は勇者だったんだ」の「勇者」に至る冒険を否定してるんですよ。ゲームには現実を忘れて楽しむという側面もあれば現実の息抜きという側面もあるのに、「大人になれ」と言って現実を思い出させるのは余計なお世話もいいところ。ドラクエの物語への純粋な期待を悪い意味で裏切り、ゲーム版の至高のシナリオを台無しにしながら、重要イベントを全てネタバレしてるようにしか思えないのです。山崎貴版『ソードアート・オンライン』とも言えますが、あちらは最初から現実が示されて虚構のなかで成長する話だから真逆ですね。

ぶっちゃけこれが普通に戦いに勝って終わったとしたら凡作になっただろうとは思います。ラストのツイストは予想を裏切るという点ではこれ以上ないほどインパクトが大きいし、これがドラクエじゃなかったらここまで文句を言うこともなかったかもしれません。ただ諸々の微妙な点や、話を全部詰め込むためだと思った薄味さを、全て最後の大仕掛けのせいにしてしまえる、というのが誠実さに欠けると思うのです。ゲームだから、という点を逆手にとって、だからこそ現実でもやっていける、というテーマに結びつけるのはわかるんですよ。ただ、コミックや小説などの実写化は原作と違ってもわりと受け入れられるんですが、ゲームには、特にドラクエには、コミックや小説とは違いその人自身の「体験」がある、と思うのです。例え決まったストーリーがあるとしても、プレイスタイルは人により異なります。ゲームであることを前面に押し出したがために、本作にはその体験から一人一人が得るもの、それこそが個々人の「ユア・ストーリー」である、という視点が欠如しているんじゃないかと思えて仕方ないのです。無茶を言ってる自覚はあるんですけどね……ファン心理って厄介。

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