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2019
08.07

雨を乗り越えて、今を駆け抜けて。『天気の子』感想。

tenki_no_ko
2019年 日本 / 監督:新海誠

あらすじ
2分がうまいんだよ。



家出して雨の降り続く東京にやって来た高校生の帆高は、たまたま知り合った須賀の世話でオカルト誌のライターの仕事に就く。そんなある日、帆高が出会った陽菜という少女。彼女は祈りにより雨を止ませることができる「100%の晴れ女」だった……。『君の名は。』の新海誠監督による長編アニメーション。

2016年に記録的な大ヒットとなった『君の名は。』に続く新海誠の監督作。観測史上類をみないほど連日雨が降り続く東京を舞台に、家出少年の帆高と、祈ることで天気を晴れにできる陽菜とのドラマが描かれます。平たく言えばボーイ・ミーツ・ガールの青春ものでジュブナイルであり、天気を操る特殊能力というSF要素もあって、その辺り『君の名は。』に通じるものがあるわけですが、一見似てるようでその帰結は結構異なります。世間との迎合だとか大人の事情だとか社会のシステムだとかそりゃあ必要なことなら従ってきたけど、それらに抗ってでも大切な何かを守りたいと思ったときにどうするか。結果的に世界を救うという大それた行動ではなく、あくまで救うのは少女であるということ、そしてそれが実は大それた選択であるということが描かれるんですね。悩んで苦しんでそれでも迸る若さが、世界など関係ないとばかりに見せる真っ直ぐさ。これが特異な設定のなか劇的に響きまくります。いやあ、好きだこれ。

帆高役の醍醐虎汰朗、陽菜役の森七菜という新鋭が思いの外良くて、キャラクター的には微妙に薄味なのに牽引力のある帆高と、そこまで目立たないのに中心的な存在となっている陽菜に合っています。帆高に仕事を世話する須賀役の『銀魂2 掟は破るためにこそある』小栗旬の力の抜け方と大人の事情に縛られた感じも実にしっくりくるし、須賀の事務所で働く夏美役の『鋼の錬金術師』本田翼は細かい言い回しによる表情の豊かさが素晴らしい。最高です。陽菜の弟である凪役の吉柳咲良はモテるけど子供っぽさもある感じが良かったし、すぐに平泉成とわかる安井刑事、子供扱いを象徴するような梶裕貴の高井刑事、重しとなる倍賞千恵子の冨美などのキャラクターの配置もいい塩梅。企画・プロデュースが川村元気、キャラクターデザインが田中将賀、音楽がRADWIMPSといったところは前作と同じ布陣で、特に曲の使われ方はくどいかなという予想を覆して効果的でした。

まあ受け付けない人もいるんだろうなと思いつつ、前作がまぐれ当たりではないことを証明する出来でもあるんじゃないですかね。度肝を抜かれるほど美麗な背景、様々な風景の切り取り方、モノローグの呼応、ご都合主義とも取れる鬱設定といった新海誠要素は前作以上に満載。でも笑いと涙と青臭さにアクションとスリル、伏線の張り方やキャラの立て方など前作からさらに進化していて、作家性と大衆性の融合レベルが高いです。そして天気というものが人の心に左右するという、普遍的なのに中心に据えられることは珍しい題材が、少年と少女のドラマにマッチしているのも良かったです。

↓以下、ネタバレ含む。








■風たちの声

背景の映像は写真かと見紛うほどリアルながらちゃんと絵であるというレベルで、恐ろしいほど美麗。新宿の風景なんてもうそのまんまで、知ってる人ならあそこだーとわかる景色が満載、マンボウとかバーニラバニラバーニラ♪とかそのまま使われてるのが凄い。それだけで物語に現実感が出てきます。そういったリアルな情景がある上でシーン自体が美しくて、冒頭の窓に映るヒナの顔に始まり、光がたまる虹の根本、廃ビル屋上からの景色、いなたい半地下の雰囲気などどこをとっても印象的。描き込みは、ビニ傘からそれを差す人の姿が透けて見えるなど微細にもほどがあります。また何より主題である天気の描写が凄い。降り続く雨も弱めのものから豪雨までバリエーションがあり、それだけに雲間から陽の光が差すシーンなどは本当に美しくてそれだけで感動さえします。突然怒濤の雨が打ち付けるという切り替えの凄まじさ、ビルの屋上での夕陽など、天気自体がドラマチックに描かれてるんですね。「なんか涙出るね」と言う気持ちもよくわかります。ちなみにそれを言ってるのが『君の名は。』の四葉らしいですね。他にも指輪売り場の店員が三葉で、フリマの観覧車に乗ってるのがテッシーとサヤちんで、瀧はどこかと思ったら冨美の名字が立花であり、あのメインキャラかのようにやたら堂々と登場する孫が瀧だったようです。まあこの辺りはサービスということで。

ともかく天気描写のドラマチックさが圧倒的なので、そこに空の魚というファンタジックさ、止まない雨という異常気象、陽菜の能力などが並行して語られていくのもさほど唐突感はないです。この天気の巫女という、ジョジョで言えばウェザーリポートのような能力がなぜ陽菜に与えられたのか、というのはハッキリしません。廃ビルの屋上で強く願ったことで空と繋がった、というだけで、その場所がそういう入口であったということでしょう。いつの時代のどの国にもそういう役割の者がいた、と住職が言うように(あの住職の髪型がエキセントリック)、それこそ天に定められたということなんでしょうね。「100%の晴れ女」というキャッチーな呼び名とは裏腹にそこには重い責務があるわけですが、その辺りは序盤からムーに人柱の記事があったり、占い師が「晴れ女は消える」などと言うように伏線がしっかり張られています。ちなみに占い師役が野沢雅子というのはエンドロールまで気付きませんでしたよ、粋なキャスティングだなあ。ともかく陽菜は自分の意思とは関係なく、人々のために天気を安定させるという定められた運命に従う役割を負わされたわけです。


■祝祭

シリアスな設定ながらコミカルな面も多いのは前作からの特徴です。帆高の初の女子部屋訪問、ハッキリして曖昧にするの極意にショック、初の告白などは必要以上にカメラが深刻に迫るのに笑うし、凪を先輩と呼ぶプライドのなさも愉快。でもずっと先輩呼びだったのが終盤に凪が安井刑事を止めるときには「凪」と呼ぶのが熱いです。また夏美の取材時のふざけてるような真剣さや、帆高のお試し仕事を体験入店と言ったり(アウトです)、アメを喋らせるのが可愛いかったり(アメの3年後はショッキング)、警察に追われながらのバイク爆走でよりによって白バイ隊員になると言い出したりと、実に楽しくて魅力的。もう本田翼の上手さには本当に目を見張ります。

一方でちょっと不自然だなと思う点も多くて、大量の水が落ちてきたり水の魚が目撃されたりする異様さがそこまで言及されないし、晴れ女にマスコミが気付いたのに取材攻勢されるという様子もないし、お天気屋の山ほどあった依頼をどうさばいていたのかも謎。屋上で陽菜が来月誕生日と言ってたから、わずか一ヶ月かそこらしかお天気屋はやってないんですよね。やめようとしたときの残り1件が須賀の依頼であったり、あれだけ話題になったお天気屋なのにその後サイトにあった依頼が冨美の1件だけだったりするのもさすがに都合がよいなあとは思います。ただこの辺りはちゃんとやるとノイズになるだけなのでまあいいかなと。


■グランドエスケープ

帆高は家出してきて新宿でフラフラしているところで陽菜と出会います。最初は帆高の東京ナメてる感が凄くて大丈夫かいなと思うんですが、須賀のおかげもあって何とかやっていけることに。まだ未成年なので制約は多いものの意外と順応していきます。ただ帆高には何か目的があるわけではなく、帰りたくないという理由だけでなんとなくその場をこなして生きている感じで、この辺りは「早く大人になりたい」と自立を願う陽菜とは異なるところでしょう。とは言え、陽菜を救う、お天気屋を始める、三人で逃避行する、と帆高の行動が物語のあらゆるトリガーになっているんですね。陽菜と凪が母を亡くしたことや、須賀が妻を失い娘と離されている話は出てきますが、帆高に関しては過去の出来事は語られず、登場時の顔の絆創膏で暴力がきっかけで家出したのだろうとか、光を追いかけたというエピソードがあるくらい。過去も未来も語られずひたすら現在を生きる人物です。また家出をした帆高には、逃避や稚気といったものと同時に、表立ってはいないものの若干の反骨精神があったと思うんですよね。船で雨が降るのを一人で喜んでたりするところにもそれは感じられます。でも現実の厳しさに取り込まれ順応するうちに「今」を変えようとする反骨精神は薄れ、「今」だけを守ろうとするようになります。その結果陽菜の「雨がやめばいいと思うか」に何も考えず「うん」と言ってしまいます。

そんな帆高らを必要以上に律しようとしてくる大人たちに、現実の厳しさと不自由さ、枠組みといったものがどんどん露になってきます。世界は複雑で、ただ一緒にいたいという思いも叶わない。追っ手から逃げる三人の行動が響くのは、まさに自分たちの「今」を懸命に守ろうとすることの尊さなのか。ドラマのような逃避行の果て、ラブホで三人で摂るジャンクな食事シーンに泣けてくるのは、「今」にすがる少年たちの姿が幸福すぎるからでしょう。しかし陽菜はもっと大きな枠組み、多くの人のために犠牲になるという宿命により、空に囚われてしまいます。そこは過去も未来もない、ひたすら他者の「今」のために生かされる牢獄。そんな陽菜を救うため走り出す帆高には、閉塞した「今」を打ち破る疾走感があります。警察署で物を倒しまくり、滑って転んで股を抜けるというアクションまで見せる。高井刑事は威圧的なリーゼント頭のように現実に縛る大人の代表格として追ってきます。そこに現れる夏美は大人と子供の中間に位置する者として帆高の逃走を助け、廃ビルに現れた須賀は世間と折り合いをつける大人として接しようとするものの、帆高の「もう一度会いたいんだ」の言葉に自身の喪失を思い出してハッとします。


■大丈夫

そうして鳥居をくぐり陽菜の元に辿り着いた帆高の選択は、世界より陽菜を取るというもの。もうずっと雨がやまなくても構わない、という思いきった選択は若さゆえの勢いなのかもしれないけども、「今」を生きる象徴だった帆高はここにおいてひとつの「未来」を選び取るのです。枠組みに囚われない、「今の子はかわいそう」などという余計な同情も必要としない、そして誰か一人の犠牲を拒否する選択。世界より自らの意思を守るため、帆高は再び反骨精神を取り戻します。実は年下であった陽菜に全てを背負わせていたという後悔もそれに拍車をかけたでしょう。そこから三年の時間が飛ぶのには驚きますが、水に沈んだ東京はそれでもしぶとく生きているし、冨美さんは「元々東京は海だった」と言い、須賀は「思い上がるな」と言って帆高の選択を誰も責めません(須賀が「気にするなよ青年」と呼び方が「少年」から変化してるのがイイ)。それでも「世界の形を決定的に変えてしまった」と思いながら帆高が再会した陽菜は、何かを祈っています。もう天気の巫女ではない陽菜が三年経ったいま何を祈っているのか。恐らくはかつて帆高が「自分のために願って」と言ったことを彼女は実践している、と見ることができます。

そして人のためではなく自分のために祈る陽菜を見て、帆高は「大丈夫」と言うのです。この「大丈夫」という言葉は、アパートから出ようとするときに陽菜が安心させようと強がる「大丈夫」とも、ホテルで帆高がこれ以上足さず引かずを願うときの干渉を断ちたいという「大丈夫」とも異なり、こんな世界でも二人なら平気だという希望に満ちた「大丈夫」なんですね。異質な設定の障壁により様々な距離に隔てられた男女を描き、せつない結末を迎えることの多かった新海誠作品としては、ここまで個の選択を肯定し、『君の名は。』以上に希望的でポジティブな終わり方をするのはちょっと意外。元々狂っていた世界をさらに狂わせて、それでも最後にわずかに顔を見せる新たな「陽」の光に「帆」を張るのです。Weatherには「困難を切り抜ける」という意味もあるので、「Weathering With You」はまさにラストの二人にふさわしいタイトルだと言えます。

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