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2019
06.26

少女が臨む海の果て、空の彼方。『海獣の子供』感想。

kaiju_no_kodomo
2019年 日本 / 監督:渡辺歩

あらすじ
ジュゴンは人魚です。



周囲とうまく馴染めない中学生の少女・琉花は、夏休みに父親の働く水族館に行った際に、ジュゴンに育てられたという不思議な少年・海、その兄である空と出会う。同じ頃海の生物たちに不思議な現象が起こり始め、やがて大きな変化が訪れる……。五十嵐大介による同名コミックをアニメ映画化したSFミステリー。

大海原を舞台にした壮大な物語で数々の賞にも輝いたコミック『海獣の子供』が『鉄コン筋クリート』『ハーモニー』のSTUDIO4℃制作でアニメ映画に。学校にも家にも居場所がない瑠花が、ジュゴンに育てられ保護されたという不思議な兄弟、海と空に出会ったことで、やがて生命の大いなる神秘に関わっていきます。原作は前々から気になってたんですが結局未読で鑑賞。まずはとにかく、微細な描き込みで動きまくる映像がひたすら圧巻。特に海洋の描写はひたすら凄いです。それはもう語彙力なくなるくらい凄い。色鮮やかな浅瀬の明るさと深海の暗さ、昼の陽光と夜の灯火、ジンベイザメやザトウクジラのデカさといった生命の持つ迫力など、とんでもない映像の力に圧倒されます。孤立した一人の少女と謎めいた兄弟とで辿るミステリアスな一夏にはジュブナイル的な味わいもあって没入してしまうし、『2001年宇宙の旅』を彷彿とさせる荘厳さと祝祭感には息を飲みます。

主人公の安海琉花の声は『パシフィック・リム』では「怪獣」と絡んだ芦田愛菜。実年齢的にも瑠花と同じくらいですね。近年は吹替も多くやってるのもあってか、最初は声優の人かと思ってたほど上手くて驚き。海役は『リメンバー・ミー』のミゲル役だった石橋陽彩、空役は『エイプリルフールズ』浦上晟周。対照的な兄弟のどことなく人間離れした雰囲気がよく出てます。『レディ・プレイヤー1』森崎ウィンによる海洋学者アングラードの謎めいた言動にも引きずられるし、ジム役の『ちいさな英雄 カニとタマゴと透明人間』田中泯、デデ役の『散り椿』富司純子といったベテランも重厚。瑠花の父役である『少女』稲垣吾郎、母役の『ペンギン・ハイウェイ』蒼井優というのも上手いですねえ。芸人枠はどうかと思いますが……。監督は『映画ドラえもん』シリーズや映画版『宇宙兄弟』などの渡辺歩。久石譲の音楽にも引き込まれます。

海の話だったはずがいつの間にか宇宙にまで話が広がるスケール感と、琉花を取り巻く現実的な話との対比も面白いし、米津玄師の歌うエンディング曲のハマり方もイイ。放り込まれた大きなうねりのなかで奇跡的な誕生の瞬間を垣間見るような、神秘的で壮大な命の叙事詩に身を委ねるのが快感です。劇中の「思いは言葉にできない」という台詞の通り、凄まじい絵力で描かれる海洋冒険SFです。

↓以下、ネタバレ含む。








瑠花は自分を上手く表現できず、言葉で示すこともできずに、苛立ちがそのまま行動に出ちゃうような要するに不器用なタイプで、思春期にはよくあることながら他者との距離感が上手く計れないんですね。「飛べる」と思った矢先に翼を失い、長い夏休みを学校でも家庭でも楽しめないという孤独感から、水族館で偶然出会った海と関わりを持つことになります。何度も映される膝のすり傷が心の痛みも表しているかのよう。こちらに駆けてくる瑠花の周囲で風景が流れていくシーンなどは、ワンカットの壮絶さと共に瑠花の壊れそうな危うさも感じられて引き込まれます。こういった海洋シーン以外の街中の描写も描き込みが本当に細かくて、水溜まりを踏んだ直後の道の足跡とか、タンクローリーの後ろに花が映るカットなど、そこまで描くかというのが盛りだくさん。水の表現も多彩で、水族館の巨大水槽の幻想的な様相から海の中の華やかな風景など、制作に6年かけたというのも伊達ではない画の密度があります。またクジラの巨大感や発光するジンベイザメ、水中を行くオキゴンドウの群れなど、海洋生物も実在感ある迫力です。

この画の密度というのが、物語の密度ともマッチしてるんですね。冒頭から話に上がる「ソング」や「誕生祭」といった言葉の神秘的な響きがやがて大いなる地球の意思とも言うべき展開へと繋がっていきます。「火の玉」が飛び去るのは何かが起こる前兆としてのインパクトがあり、そこから海の生き物が大挙して押し掛けたり、目のような紋様を持つ巨大ザトウクジラが跳び跳ねたりと異様さが膨らんでいくのがスリリング。浜に打ち上げられたメガマウスや延々と並んだリュウグウノツカイの死骸には不穏さまで煽られます。そんななかで関わる海と空に、徐々に親しくなっていく瑠花。実際には空は一定の壁を崩さないし、海は親しみやすいように見えて超然としているわけですが、彼らの異質さが同様に異質扱いされる瑠花にはかえって馴染みやすいのでしょう。「海の幽霊」と呼ぶ発光するジンベイザメを見た瑠花と、同じものを海も見ていたことで繋がりは強固となり、空も瑠花を認めたことで、瑠花もまた誕生祭の参加者となっていきます。(空が最後に超高速で泳ぎ出すのは『アクアマン』か!と思ったけど)。

何やら難解な話に思えますが、あくまで瑠花に寄り添った形で進むのでそこまで不可解というわけでもないかなと思います。序盤から星の誕生について触れられるように、誕生と死というものを描いているという認識でよいのでしょう。クジラに飲まれたあとは不可思議なシーンの連続でそれこそ『2001年』じみてきますが、瑠花が空に口移しで隕石を与えられたり、海が瑠花の中に手を突っ込んで隕石を抜かれたりするシーンは性的なニュアンスも含むため、より生命の誕生を暗示していてわかりやすいと言えばわかりやすい。海の話から宇宙の星々、果ては銀河誕生にまで話が及ぶスケールにはクラクラしてきますが、海から生命が生まれ陸に上がって死を迎えるという命のサイクルということを示していると見て取れます。どうにも言葉にしにくいんですが、それこそ台詞にあるように言葉にできないことを映像として提示していると言えるでしょう。

アングラードは泰然と海獣の子供たちを見送り、ジムは事の終わりに嘆息し、デデは瑠花を祭りに送り出して役割を終えます。軍の上層部など利権を求める輩を除けば、皆が大きすぎる事態をただ見守り、神秘的な誕生祭は終わりを告げ、瑠花の夏休みもまた過ぎ去っていきます。それでもこの祝祭は「言葉にできないことがある」ということを瑠花に教え、生命の価値を彼女に知らしめたと言えるでしょう。だからこそケガをさせた部活仲間と再会した瑠花には、新たなスタートを切るかのような眩しさが感じられて心地よいです。そして瑠花の父が瑠花も母もただ不器用であることに気付き、再び寄り添うことで新たな命も生まれます。へその緒を切るのが命を絶つ感触だと言いますが、それは命は生まれながらに死へ向かうものであるという達観であると同時に、死があるからこその生であるという讃歌でもあるかもしれません。

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