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2019
05.29

若さが苦さに変わる一線。『アメリカン・アニマルズ』感想。

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American Animals / 2015年 アメリカ / 監督:バート・レイトン

あらすじ
鳥は見ている。



ケンタッキー州の大学生スペンサーとウォーレンは、退屈な日常に鬱屈する日々。そんなある日、大学図書館に保管された画集が1200万ドルの値がすることを知った二人はこれを盗み出すことを計画。知り合いのエリックとチャズも引き入れ、変装をして図書館へと向かうが……。実際に起こった強奪事件を描いたクライム・サスペンス。

2004年に4人の大学生が時価1200万ドルのビンテージ本を狙った、実際の窃盗事件を映画化。冒頭で「これは実話を元にしたのではない、実話だ」というキャプションが出るんですが、実際にこの強奪事件を起こした犯人自身がインタビューされる形で登場するからですね。当時の状況や心情を本人が語る映像を交えながら、事件の様子が描かれていくという一風変わったサスペンス。でもこれが意外なことに、単なるドキュメンタリーや再現ドラマにはなっていないというのがスゴい。大学で芸術を学びながらもパッとしない日々を送るスペンサーが、悪友のウォーレンに話したレアで高価な図録の存在。二人では作戦遂行は難しいとさらに二人を加え、完璧とも思える作戦を立てて犯行に及びます。アーティスティックな映像にヒリヒリするような演出、そしてケイパーものとして期待したのとは全く違うスリルが、思いもしなかった凄まじい緊張感をもたらします。いや面白い。

スペンサー役の『ダンケルク』『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』のバリー・コーガン、何を考えてるのかわからない大人しさがありながら、そこに抑圧された自我が見え隠れするのが秀逸。この人は毎回インパクトを残してくれますね。ウォーレン役は『X-MEN:アポカリプス』のエヴァン・ピーターズ。計画を引っ張っていくものの強引でお調子者な感じが危ういです。FBIを目指す秀才のエリック役はジャレッド・アブラハムソン、若くして実業家として成功しているチャズ役はブレイク・ジェナー。監督のバート・レイトンはドキュメンタリー出身ということですが、それを活かしたリアリティある描写はもちろん、映画的なストーリーテリングもとてもイイ。

スタイリッシュな映像に紛れて揺れまくる心理は実に秀逸。置物をテーブルに打ち付ける音が心音のような音楽に重なったりなど、音楽とその使い方も良いです。そして人生が変わるかもしれない、自分は特別だ、それを証明する機会が訪れたと思ってしまった若気の至りが、一線を越えたことで見せる予想外の構造に打ちのめされます。『15時17分、パリ行き』とは違う本人たちの使い方もあって、実録ものとしてはちょっと観たことのない類いの面白さ。これは事前情報入れずに観るべき。

↓以下、ネタバレ含む。








若者なら誰でも抱く、自分は他のやつとは違う、何か特別な人間なのだという思いがまずこの犯行にはあるわけですが、冒頭スペンサーは大学の面接で「何を目指すのか」みたいに聞かれて何も答えられません。たとえ自分は特別だと思っていても、実際には何者にもなれていない、という現実があるわけです。そして周囲に馴染めずルームメイトとの会話もなく、昔からの悪友ウォーレンとつるむ日々。ウォーレンの登場シーンがとりあえず肉をかっぱらうというのが馬鹿でイイんですが、そこで廃棄される無駄という変な理屈を付けるのが彼の調子のよさも語ります。ウォーレンもまたアメフト推薦で大学に入りながら部に顔を出さないというなじめなさがあることがわかるんですが、そんなときに12億円がすぐそばにあるという事実と中年女性の司書が一人いるだけという警備体制を知ったことで「いけるかも」と思ってしまったわけですね。最初はなんとなくのノリだったのが、計画を本気で練っていくうちにどんどん現実味を帯びていき、やらない理由がないように思えてしまいます。それは錯覚ではあるんですが、当然渦中の本人たちは気付けない。そして仲間を追加するに至って歯止めが効かなくなり、ウォーレンは両親の不和や勢いで大学を辞めたこともあって引くに引けず、事態は進んでしまいます。

『オーシャンズ11』(昔の方)を観ていたり『レザボア・ドッグス』を真似たコードネームを付けたりと、ケイパーものの名作が持つ華麗さを夢想してしまう一味。後に本物のエリックが『レザボア』が大嫌いだと言うのちょっと笑っちゃうし、ウォーレンがスマートな犯行を思い描いて悦に入るのもアホすぎるんですが、それでも車の移動時間を計ったり、ブツを手に入れた後のバイヤーの当ても付けたりと着実に進む計画。オープニングで入念なメイクをするのがスタイリッシュだったのもあって、決行当日は結果失敗はするんだろうけどなんかいいところまで行けちゃうんじゃないか?とも思えるんですよ。ところが予想外に人がいっぱい詰めていたことで犯行は中止。図書館から出てきたスペンサーが世界が違って見えたというのは本当にそうだったことでしょう。でも、いいところまでいった、やろうと思えば出来た、そんな自尊心で止めておくべきだったというのはやはり部外者の感覚なのでしょう。後のスペンサーが、どこかで何かしらの理由で計画は止まるだろうと思っていたと語るように、本当の犯罪者になることへの忌避感はあったはずなのに、一度は自分の意思で抜けようとさえしたのに、それでもそれが「後悔」になるかもしれないと思ってしまったのだから。

皆犯罪ができるようなワルではなかったわけですが、それ以上に皆犯罪者には向いてなかったことが二度目の実行で露呈します。何の練り直しもなく翌日の決行、あれだけ凝った変装もせず素顔のまま、学校の試験があるというアリバイさえない。しかもエリックがウォーレンに呼ばれて向かったら、"処理"されてるはずの司書が普通に座っている、というのにはブッ飛びますよ。エリックと一緒に「えええ!?」ですよ。しかもエリックが入ったタイミングでスタンガン食らわすのには重ねて「えええ!?」です。さらにはスタンガンの電圧が低すぎて気絶もさせられず。ここからは計画とは程遠いグダグダさが酷すぎて直視できないほど。手早く縛れない、鍵が見つからない、いちいち「目的は本だ」「傷付けない」と言い訳がましく言う、顔は見られまくり、獲物を全部包む余裕がない、エレベーターで地下へ行くはずが1階押しちゃうし、地下に行ったら出口が見つからないし、挙げ句に強行突破しようとして貴重な本を落としてしまう。これほど思ってたのとは違うスリル、どこまでやらかすのかという緊張感は見たことがないです。一応成果はあったものの、鑑定家に自分の携帯番号を教えたり、送ったメールアドレスが犯行で使ったのと同じだったり。そもそも大して親しくもないエリックとチャズを仲間にするのからしてどうなんだ。いやスゴい。

本人たちから聞いた話が元になっているわけですが、人によって証言の食い違いがあるのが面白いです。男のマフラーの色が青から紫に変わったり初老の男になったり。最初に犯行を言い出したのがどちらなのかも定かではない。ウォーレンが本当にオランダまで行ってバイヤーに会ったのかまで疑うことになります。しかもこの期に及んで本物ウォーレンは真実を語らないんですね。車の運転席にエヴァン・ピーターズ、助手席に本人を乗せて「スペンサーがそういうならそうなんだろう」とも言わせる。一つの事象を見る視点によって違うという多面的なことまで演出に取り込むのが巧みです。あとオーデュボンの鳥の絵が随所で引用されるのが印象的。冒頭のメイクシーンにも鳥の絵を重ねたり、エンドクレジットにも鳥が映されます。あとスペンサーの前にオーデュボンのピンクのフラミンゴが現れますが、実はスペンサーは芸術家としてあの図録に魅せられて、これを手にすることが自分を越えることという思いもあったんじゃないかとも思えます。

逮捕前夜、エリックはバーでケンカをし、チャズはひたすらトレーニング、スペンサーは車で追突してそのままフラフラ離れてしまい、ウォーレンは脳裏をよぎる司書を襲った記憶に苦しみます。そして爽快感も達成感もない杜撰すぎる犯行が、当然のように迎えた破滅。なぜウォーレンは「傷付けたくはなかったのに傷つけてしまった」のか。なぜエリックはFBIに入るために勉強してたのにそのFBIに捕まったのか。なぜチャズは12歳で起業するほど優秀だったのにこの話に乗ったのか。なぜスペンサーは車に乗って通りすぎる自分をいま見つめているのか。ウォーレンが「特別なんてない、あんたは特別なんかじゃない」と画面にむかって言うのは過去の自分への言葉であろうし、襲われた司書のBJさんが「彼らは一線を越えてしまった」というのもその通りなんですが、既に起こってしまったことは変えようがない事実。親たちの映像、特にウォーレンの父親でしょうか、泣き出してしまうのもツラいです。

序文のダーウィンの言葉が「アメリカの動物は地面から洞窟へと移った」というように、アメリカの鬱屈した若者4人は、日の当たる場所から暗闇へと追いやられます。そうして7年の懲役を経てそれぞれがやり直そうとしているいま、ドキュメンタリーとも再現ドラマとも異なる本作で、皆が顔出しで出演している意味とは何なのか。それは若気の至りが人生を台無しにしたという教訓であると同時に、4人の犯罪者が己を振り返り前へ進むためのセラピーの意味合いもあるのかもしれません。

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