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2019
03.15

信じることは僕らの力。『映画ドラえもん のび太の月面探査記』感想。

dora_getsumen
2019年 日本 / 監督:八鍬新之介

あらすじ
月のウサギはちょっと特別。



月で探査機がとらえた白い影、それを「月のウサギだ」と言い張り笑われたのび太は、ドラえもんのひみつ道具で月の裏側にウサギの国を作ることに。そんななか不思議な転校生の少年ルカが現れ、のび太たちと一緒に月のウサギ王国に行くことになるが……。アニメ『ドラえもん』の劇場長編シリーズ第39作目。

今回のドラえもん映画は月が舞台。これは劇場版では意外にも初なんですね。月にはウサギがいると言ってクラス中にバカにされたのび太は、いつものごとくドラえも~んと泣き付き、ひみつ道具で本当に月にウサギをこしらえることに。しかし月面にはのび太たちの知らない秘密があった、というお話。今作の話題は、直木賞作家であり藤子・F・不二雄ファンを公言もしている作家の辻村深月が脚本ということでしょう。作家が脚本担当というのは過去にも真保裕一や川村元気がいましたが、個人的に辻村深月は苦手で、特にドラえもんのひみつ道具を各章のタイトルにした『凍りのくじら』で決定的に嫌になって以来読んでなかったので不安もあったんですが、しかしこれが予想以上に面白かったです。いやホントに良かった。

人と違う発想を肯定することで新たな世界が拡がり、その発想が友達を救うこともあるという捻り方、これがとても良いんですね。また単に友達だから救うのではなく、考え抜いた末の決断という、ちょっと今までなかった演出にもシビれました。過去作を彷彿とさせる点もなくはないけど、舞台が月というのは馴染み深いだけに難しそうなところを上手くクリアしていたし、ひみつ道具の使い方も上手い。ウサ耳少年ルカは少々あざとさはあるものの悪くないし、マスコットキャラがメガネ君というのが意外ながらもこれが良いキャラ立ち。そして説かれる想像力の重要性は、ドラえもんまでをさらに近しく感じさせることにも繋がっている、というのが上手いです。

ゲスト声優には広瀬アリス、柳楽優弥、吉田鋼太郎らに加え、半年間テレビアニメ版で月にまつわるコーナーをやってきたロッチ中岡も登場。最近では『ファースト・マン』でも描かれた近そうでいて遠い月の世界、そこに大胆な異世界を作り上げながら、友情と勇気、想像と創造を描き出したのは見事です。

↓以下、ネタバレ含む。








物語の中心となるひみつ道具が「異説クラブメンバーズバッジ」というのがシブい。定説とは異なる異説がバッジを付けたメンバーだけに現実になるというこの道具、天動説のビジュアルが意外なほど迫力があったりして面白いです。機能的には「もしもボックス」に似ていますが、特定の人にだけ効果があるというのがポイント。「動物ねんど」でモービットを作り、大胆に月をテラフォーミングしながら、でもバッジがなければ見えない国。それが隠れ場所にもなるし、ラストの一大決戦にも活かされます。何より終盤での「異説を定説にする」という捻り方が素晴らしい。信じることが力になるわけですね。あと月でのび太のバッジが外れてしまったときには、思わず声が漏れそうにもなりました。動物ねんどで作った生物は子供まで作れるというのはブッ飛んでますが、最初に作った失敗作が怪物として襲ってくるというのは予想できても、後に仲間になるというのが捻ってあってナイスです。

ルカはウサ耳ながら、宇宙で美少年というのが『宇宙開拓史』のロップル君を思い出しますよ。ススキが揺れる高台での登場シーンが絵になります。ルカやルナは人造人間的な作られた存在というのがなかなかヘヴィで、かつて自由のために故郷の星を飛び出した追われる者たち。そんな彼らがのび太たちと交流して仲良くなっていくわけですが、声パワーがスゴいアルと歌声パワーでは負けないジャイアンの組合せ、スネ夫がルカにメロメロになるいう組合せはちょっと面白い。このような少しだけパターンから逸脱した箇所が新鮮で、モービットでも一番目立つのは勉造さんメガネのノビットだったりします。またのび太たちを逃がすため一人残るルカというのがせつないですが、逃がした直後にどこでもドアが爆発するというのが深刻さを表し、かつ出入口を断たれたことが「もう会えないのでは」という悲愴感を醸し出します。

最も意表を突かれたのが、ルカたちを救うため月に向かう出発までの準備シーン、命懸けの行動になることをそれぞれが認識し、本当に行くべきか悩むというのは、これまた今まであまり見たことがないシーン。橋の上で泣きながら逡巡するスネ夫とかこっちが泣きそうです。これ、スゴく日常を感じるんですよね。『ドラえもん』は日常ギャグマンガであり、そこに「すこし・ふしぎ」な要素が入るのがキモなんですが、映画版の大冒険はこの日常から大きく逸脱する場合が多いので、その落差を感じさせるシーンを入れるというのは良いなあと思うのです。学校の校門から校舎に向かうという何気ない登校シーンがあるというのもわりと珍しくて、これも日常を感じさせる描写です。一方で非日常の最たるものであるひみつ道具についても使いどころが上手いです。エスパー帽子のようにギャグとシリアス両方で活躍したり、攻撃時にジャイアンとアルの声デカい組がコエカタマリンを使ったり。地平線テープで敵を謎空間に閉じ込めるというのは斬新です。

クライマックスのムービットたちを使った逆転劇は痛快。この千のウサギ攻撃によって、大軍による決戦というスペクタクル感はあるのに、もふもふだらけで血生臭さが皆無なんですよ。争いはラスボスv.s.マスクの人という大人たちに任せちゃうわけですね。そして平和を維持するために記憶を消すという選択。わすれろ草が持つ忘れてしまうせつなさという要素をグッと膨らませてるのには驚き。そして、たとえ離ればなれになっても想像力があればいつだって会えるんだと、想像力の大切さが示されます。これはそもそも想像の産物である「ドラえもん」そのものにも掛かっていると言えるでしょう。月の裏側にウサギがいるように、ドラえもんもどこかにいるかもしれない、と想像してみることの楽しさ。大げさに言えば、それは心の豊かさとなり誰かを救うかもしれないなあと思うのです。

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