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2019
03.11

揺るがぬ優しさ、負けない強さ。『ビール・ストリートの恋人たち』感想。

If_Beale_Street_Could_Talk
If Beale Street Could Talk / 2018年 アメリカ / 監督:バリー・ジェンキンス

あらすじ
ブルースが生まれた街を想って。



1970年代、ニューヨークのハーレムに生きるファニーとティッシュの若き黒人のカップル。しかしファニーは身に覚えのない罪で逮捕されてしまう。妊娠中のティッシュは彼の無実を晴らそうと奔走するが……。ジェームズ・ボールドウィンの小説『ビール・ストリートに口あらば』を映画化したドラマ。

『ムーンライト』で第89回アカデミー作品賞を受賞したバリー・ジェンキンス監督が描く愛のドラマです。黒人の青年ファニーが婦女暴行の冤罪で収監されてしまい、幼なじみで婚約者のティッシュは彼が無実であることを証明しようと、家族一丸となって駆け回ります。しかしそんな若い二人に襲い掛かる、根強く残る人種差別、加えて貧富格差、そして言われなき罪。試練は多く、理不尽がまかり通り、それでも強く生きようとする黒人カップルを、その差別に抗うかのように美しく叙情的な映像で映し出します。ただ愛情を持って生きようとしているだけなのに生きる辛さに苛まれる二人には幸せを願わずにいられません。黒人視点から見た差別と偏見には胸が詰まりますが、差別的でない白人もちゃんと描かれるているのが救い。そしてこれが差別の問題以上にラブストーリーとして珠玉であるのが素晴らしい。

ティッシュ・リヴァーズ役のキキ・レインはか弱そうな姿がとても儚げで、見てるだけで心配になるんですが、やがて彼女なりの強さがあることを見せていきます。一方のファニーことアロンゾ・ハント役のステファン・ジェームスは落ち着いた頼れそうな雰囲気と、芸術家としての自由な気質が特徴的。この二人の苦しい目に逢いながらも真っ直ぐな愛が眩しいのです。ティッシュの肝っ玉母ちゃんシャロン役のレジーナ・キングが見せる逞しさも好ましく、第91回アカデミー賞では助演女優賞を受賞。また、部屋を紹介するレヴィー役に『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』デイヴ・フランコ、レストランのペドロシート役に『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』ディエゴ・ルナ、プエルトリコの男アルバレス役に『イコライザー2』ペドロ・パスカル、ベル巡査役に『アリータ:バトル・エンジェル』エド・スクレインらが出演。

現在の話に過去のエピソードを挟んでいくという構成が、幸せな時間と不穏な展開を経てのいま、という感じで物語の強度が増していくのが上手いところ。アフリカン・アメリカンの人たちが抱えていた不安や不満を出しつつ、それに負けまいと生きる姿にじんわりとします。

↓以下、ネタバレ含む。








70年代ニューヨーク、根強く残る黒人差別が若い二人にもたらした悲劇。なぜファニーが逮捕されたのかは最初は語られず、過去シーンを挟んでいくことで徐々に明らかになっていきます。でもむしろそこに至るまでの二人の積み重ねという方が丁寧に描かれており、それこそが重要なんですね。ティッシュが家族に妊娠を知らせるシーンでは家族の反応がとても暖かくて、特に父ジョーゼフの驚きと困惑からの祝福には泣きそうになります。画面の暖色系の色合いも効果的。ファニーの母と妹たちの心ない言葉は酷すぎますが、そこをピシャリとやり込める姉のアーネスティン、「あなたの孫なのよ」と諭す母シャロンも好ましい。ティッシュとファニーが初めての夜を迎える際も「怖がるな、俺は君のものだ、受け入れてくれ」というファニーの安心させようとする思いやりと愛情の深さにやられます。というように、主人公カップルや家族の優しさと愛情というのが根底にあることが、彼らの人間性を深く表しています。

その美しさを際立たせるためのショットもまた美しく、夜のほんのりした街灯のなか歩く二人であるとか、ペドロシートの店を去るときに話をしながらもファニーが繋いだままのティッシュの手のアップであるとか、部屋の下見で逆光のなか微笑むティッシュなど、二人を彩る風景はどこまでも優しいのです。水のなかから外へと出る赤子のシーンなどは産まれてきたことの喜びに満ちています。一方で二人をとりまく差別的な状況を示すかのような不吉なショットもあり、地下鉄ホームで電車が通るときにはなぜか不安に駆られるし、ホームに一人のティッシュと入口を塞がれて入れないファニーという夢もティッシュの不安を煽ります。陽気なダニエルが刑務所の恐ろしさを「地獄だ」と暗い目で呟くバックでもの凄い不吉な音楽が流れるのも怖い。それは明日は我が身という怖さです。

しかし差別する者ばかりではないということが救いにもなっています。レストランでツケでも入れてくれるメキシコ系のペドロシートや、ベル巡査の横暴にうちのお客だと言ってくれるスーパーのおばちゃん、若造扱いされながらも本気で取り組もうとする白人の弁護士、部屋を借りることさえできない二人に物件を紹介し、冷蔵庫を運ぶ茶番にも付き合ってくれるユダヤ系のレヴィーといった人々も描かれます。特にレヴィーは、ファニーが「こんな黒人に親切な人は初めてだ」と言った際の「僕は母の息子だ。人の違いは母親が違うだけだ」という言葉がたまらなく素敵。ティッシュの家族もファニーを助けようと懸命で、ジョーゼフはファニーの父と金を手に入れようと話すので強盗でもするのかと不安になりますが、港の衣類を盗んで売り捌くという程度で一安心。いや、犯罪ではあるのでヒヤヒヤはしますが、おかげでシャロンがプエルトリコまで行けるようになったのでしょう。

しかし一方で誰もが味方になれるわけでもないという現実もあるわけです。プエルトリコに行ったシャロンが街の実力者らしきアルバレスに必死に願いなからようやく逢えた被害者女性。ファニーが逮捕されたのは、ティッシュに迫る男を追い払った際に反抗的な態度をされたベル巡査の作為的な罠でしょうが、その女性にとっては真犯人が誰であろうが傷を掘り返す行為でしかなく、シャロンの懸命の訴えに叫び出す姿の痛々しさにはもはや成すすべがありません。強気なシャロンが「しくじった」と悔いるのには彼女もギリギリの綱渡りだったことが窺え、彼女の今まで見せなかった一面が見られます。そういう点では、落ち着いた雰囲気だったファニーが面会で「ここがどんなに酷いところか」と激昂してしまうのもそれまでなかった姿だし、観客が「そもそもファニーは本当に無実なのか」と不安になったときに、ティッシュ自身が「本当に無実だと思うか」と漏らしてしまうのも、ファニーを信じながらも厳しい現状に打ちのめされた感があってやるせないです。

特にティッシュはか弱く見えるので見てて心配になります。香水売り場で黒人男性は心配して様子を見にきて、白人男性は手を触りにくる(これも酷い)、というのも何かわかるような心許なさ。でもティッシュは冤罪を晴らすために諦めないし、自宅で男の子を出産し、変わらずファニーに面会に来る。思えば冒頭で「心の準備はいいか?」とファニーに問う時点で、ティッシュは既に同じ質問に「私が躊躇するとでも?」と返しているんですね。か弱そうに見える19歳、でも彼女の強さは最初から示されていたわけです。一方のファニーは無実が証明されるのを待っていたものの、「それでも君の腕の中に帰る」ために司法取引に応じたということなのでしょうかね。ベッドで涙を流す姿や面会での顔色の悪さ、そこには諦めることの苦渋の決意が見てとれます。「他の黒人たちと同じように」という台詞が、同様の言われなき罪のでっち上げが横行していたことを示唆してもいます。

人種差別がもたらした悪夢のような現実、それ自体は忌むべきものであることは言うまでもないですが、本作で描かれるのは差別の悲劇よりも、むしろ純粋な愛情、そこに根差す強さと優しさである、と捉えたいところです。面会ですっかり成長した息子がずっと描いている絵は父のいる風景とのことで、ティッシュが「私が話したから」と言うことからもファニーの作ったテーブルで皆で食事をする風景なのでしょう。その絵が映されないのは、まだそれが確定していない未来だからでしょうか。でもその絵は同時に未来への希望でもあるだろうし、この家族が揃った美しい風景を思い描いてほしい、という監督からのメッセージなのかもしれません。

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