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2019
01.30

孤独と屈辱からの解放。『ミスター・ガラス』感想。

glass
Glass / 2019年 アメリカ / 監督:M・ナイト・シャマラン

あらすじ
最後は彼の物語。



誘拐された女性を探し町をさまようデヴィッドは、その犯人であるケヴィンへと辿り着くが、警察に捕まりケヴィン共々精神病院へと放り込まれる。そこにはミスター・ガラスと呼ばれるあの男も収容されていた……。M・ナイト・シャマラン監督・脚本によるサスペンス・スリラー。

全シャマラニストが待望していた一作が遂に公開。シャマランの前作『スプリット』のエンドロール後にこのタイトルが表示されたのには度肝を抜かれたものです。2000年『アンブレイカブル』で己の力を自覚したデヴィッド・ダンと、それを引き出したミスター・ガラスことイライジャ。そして2016年『スプリット』で登場した24の人格を持つケヴィン。その三人が一同に会する、まさかの続編にしてまさかのユニバースとなる本作は、『アンブレイカブル』公開から経過した年月と同じ19年後のフィラデルフィアが舞台。特殊な能力を持つ3人の男が集められた施設で、彼らは精神科医ステイプルにより、その能力が全て妄想であると言い渡されます。いやもう、『アンブレイカブル』『スプリット』、そしてシャマラン作品が好きな人にはご褒美のような一作!それらを観てなくても多分わかる作りではありますが、でも観てれば衝撃度が違う。映像も演出も演技も全て最高。あくまでも現実世界でスーパーヒーローを語るその矜持には震えます。

デヴィッド・ダンはセキュリティ・ショップを営みながら息子と共に自警団的な活動をする日々。演じる『デス・ウィッシュ』ブルース・ウィリスの少しくたびれた感、それでいて力を感じさせる佇まいが19年の時の流れを思わせます。高いIQを誇りながら先天的な骨の弱さで今まで94回も骨折したというミスター・ガラスことイライジャは、あの頃から精神病院に入ったまま。『キングコング 髑髏島の巨神』サミュエル・L・ジャクソンはあの髪型も復活。そして24人もの人格を持つ多重人格者ケヴィンがこの二人それぞれと絡むことに。『アトミック・ブロンド』ジェームズ・マカヴォイは前作以上の人格を演じ分けてて凄まじいです。そんな三人を「診察」する精神分析医エリー・ステイプル役に『オーシャンズ8』のサラ・ポールソンです。

話的には荒唐無稽になりそうなところを、現実への浸透のさせ方に長けた演出で全く陳腐に見せず、人とは違う者たちが新たな存在意義を見出だすという見事な着地。このシンプルなタイトルを掲げたことの意味するところが素晴らしい。本作がネタバレ禁止案件なのは言うまでもなく、『アンブレイカブル』と『スプリット』のネタバレも込みなので観てない人は注意ですが、観てれば極上の物語を堪能できます。シャマラン好きでよかった……!

↓以下、ネタバレ含む。








■続いていた物語

シャマラン初の続編なわけですが、主演の三人はもちろん、『スプリット』のケイシー役アニヤ・テイラー=ジョイ、『アンブレイカブル』のイライジャ母役シャーレイン・ウッダードまでみんな続投なことによる地続き感があります。特にデヴィッドの息子ジョセフ役であるスペンサー・トリート・クラーク、最初気付かなくて終盤にカットインされる子供の頃のショットで「本人なのか!」とようやく気付いて驚き。父の力を知ったジョセフがその後も父親の協力者として一緒に活動してたとか、イライジャ母が息子を見捨てずにいたとか、19年間のドラマが垣間見えるのも胸熱です。シャマラン自身も『アンブレイカブル』での元ヤクの売人が更正した姿で登場してますね。作品のトーンも近いし舞台が全てフィラデルフィアということもあって前2作は今作にすんなり融合します。

演出も冴えていて、ハッとするショットの連続。デヴィッドの見る犯行場面は過去作同様監視カメラのように俯瞰した画であることが既に起こってしまった手の届かなさを思わせ、「群れ(この呼称もイイ)」の誰かからビーストに変化するときには空気が冷えるような感覚を味わいます。捕まったあとはほぼずっと精神病院の敷地内で話が進むので閉塞感がありつつ、ラストの対決では長い距離をパンするカメラに広大なフィールドの解放感をも抱かせます。不意に回想シーンが始まり不意に終わる独特のテンポもスリリング。回想シーンと言えば、子供の頃のイライジャが遊園地のグルグル回る系に乗り込んだときの怖さといったらないですよ。共に乗ったぬいぐるみが彼の手からスルリと逃げてしまい、案の定ポキポキに折れる少年のなんと悲しいことか。


■ヒーローとヴィラン

デヴィッドは巷で「緑男」などと呼ばれますが、緑のレインポンチョはヒーローのコスチュームということなんですね(弱点の水に対して一応防水の意図もあるのか?)。施設を脱出するときにポンチョの裾がマントのようになびくショットには無茶苦茶アガります。まさに「監視者(Overseer)」という名のヒーローそのもの。緑男と言うとハルクを思い出しますが、それに近いのはむしろケヴィンです。必ず上半身脱ぐし(これもまたヒーローもののスタイルということでしょう)、そう考えると『スプリット』はハルク誕生の話だったんだなあと思います。マカヴォイの人格入れ替え演技はさらに磨きがかかり、今はパトリシアだ、デニスだ、ヘドウィグだと本当に姿が変わって見える気がするのがスゴい。エンドロールで役名を20人分表示するのも納得です。

そんなデヴィッドとビーストの対決。拉致されたチアリーダーたちの鎖をバキバキ外していくデヴィッドの力強さ、そして天井を這いながら襲いくるビーストの異様さを経ての激突はまさにヒーローとヴィランの邂逅であり、『アベンジャーズ』に劣らぬクロスオーバーの興奮を覚えます。しかし捕まった後は彼らはステイプルに、実際はただの精神を病んだ患者なのだと言い含められます。放水装置のある部屋に閉じ込められそれを信じかけるデヴィッドと、ライトの点滅により人格を操作されるケヴィン。ステイプルの「説得」は、デヴィッドは少し力の強いだけの妻を亡くしてくたびれた中年であり、ビーストのパワーは気のせいで病気なだけだと、彼らの姿を観てきたはずの観客にまで信じさせようとしてきます。


■黒幕としての目覚め

それを覆すのがイライジャ。19年間閉じ込められてきたはずの彼は、薬漬けにされながらも決して諦めていなかったのです。ケヴィンに名前を聞かれたイライジャが名乗る「ファーストネームはミスター、ラストネームがガラス」という台詞には、自分が何者かはわかっているという強い信念があってシビれる!イライジャは自分とは逆の肉体的な強さを持つ者を求めていたわけですが、その根底には「普通でない者の気持ちなどわからんだろう」という思いがあり、その他人との違いこそが素晴らしいということを生涯かけて追い求めています。そのなかでデヴィッドという好敵手を得て、いままたケヴィンという理想のヴィランを見つけるのです。

しかもケヴィンは父が消えたことで母から虐待を受けて他の人格を生み、ケヴィンの父は大事故を起こしたデヴィッドと同じ電車に乗っていたという驚きの偶然。このシーンには久々に背筋が震えましたよ。ケヴィンの父のことを調べていてそれを知り天を仰ぐイライジャは、これが偶然ではなく運命だと思ったことでしょう。「私がヒーローを二人も作った」という、全てを操る黒幕としてこれ以上ない誉れです。そして再び激突するデヴィッドとビースト。その超人的な戦いを現実をギリギリ超えるくらいの範囲で映像とするのがものすごくアガるんですよ。ヒーローの弱点である「水」、ヴィランの弱点である「少女」がしっかり用意されているのもニクい。オオサカタワーで戦う姿も見てみたかった気がしますが、それがミスリードであるというのがイライジャのスゴいところなわけですね。

ちなみに雑誌の表紙に「Oosaka Tower is marvel」とか書かれていたり、「復讐する」の意味で「avenger」という言葉を使ったりもしていて(だったと思う)、まさかのMCUへの目配せ。コミック店では昔のバットマンの映像が流れていたり、ステイプルが真相に気付くのがそのコミック店だったりというところでも、本作がヒーローものの面を持つことが強調されます。


■世界の新たな局面

『アンブレイカブル』では「もしヒーローが現実にいたら」という話をあくまでリアリティを崩さすに語り、それだけに説得力があるのが面白かったんですが、今作では「なぜヒーローやヴィランが現実にはいないのか」という問いへの解が示されることになります。イライジャは「コミックは記録だ」と言うのにコミックに溢れているヒーローが現実にはいない理由、それがステイプルが所属する秩序を守る謎の組織の暗躍。特殊能力者を排除することで混乱を防ごうとする超保守派組織です。「三つ葉」のクローバーのタトゥーというのが、マイノリティを駆逐するマジョリティの象徴として秀逸。

そして超人ビーストは、やっと自分を取り戻し「僕が照明を仕切る」と決めたケヴィンに戻ったところで、たった一発の銃弾に倒れます。不死身で怪力のはずの壊されない男デヴィッドは、ほんの小さな水溜まり(なんてこった)で窒息死させられます。ケイシーの腕の中で息を引き取るケヴィンと、泣き叫ぶジョセフの声を背後に事切れるデヴィッド。イライジャもまた怒りに駆られたビーストの一撃が致命傷となり死を迎えます。「用済みじゃなかった」という言葉に多少の報われた感があるにしても、あまりの悲しい結末に泣きましたよ。

しかし「終わりではなく誕生だったのだ。最初から」というイライジャの最後の言葉がやけに希望的にも聞こえます。その不可解な言葉が示すのは、デヴィッドとビーストの戦いの映像を流すことで「普通でない者」の存在を世界中に知らしめることでした。動画をばらまいて終わりというのはちょっと物足りない気もするし、疑う者の方が多いのではという懸念もあります。でもそれが加速度的に広がることは、人々が「能力者はいる」と認識する前の状態には戻れなくなったということであり、他の能力者が「自分だけではない」と思えることに繋がるのです。イライジャ母の「新しい宇宙が始まる」という言葉は今までと全く違う価値観の共有ということであり、それが凄まじく快感。そして見知らぬ女性がデヴィッドの動画を観ているのを見たジョセフは「おまえは正しい」と言った父のことを、イライジャ母は息子にコミックを送ったあの日のことを、ケイシーは「群れ」の中にケヴィンを見つけた日のことを思い出すのです。

多くの犠牲者を出しながら己の存在意義と信念のために生きたイライジャは、デヴィッドというヒーローを見い出し、しかるべきヴィランとしてビーストを引きずり出し、彼らの存在を世間に知らせます。その手段は歪んだものですが、自らが真のヴィランとなってでも世界を変えた彼こそが本作の主人公。それは異端者としての孤独と屈辱の叫びからの解放です。だから『アンブレイカブル』がデヴィッドの物語であり、『スプリット』がケヴィンの物語であるように、イライジャの物語である本作は『ミスター・ガラス』と銘打つ必要があったのです。悲しみの涙は感動の涙へと劇的に変貌し、その深みには「何てものを作ってくれたんだシャマラン!」と思わずにいられません。最高です。

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