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2018
12.21

孤独な怪物が生まれた理由。『メアリーの総て』感想。

mary_shelley
Mary Shelley / 2017年 イギリス、ルクセンブルク、アメリカ / 監督:ハイファ・アル=マンスール

あらすじ
クズ男は口が上手い。



19世紀のロンドンで小説家を夢見る少女メアリーは、詩人のパーシー・シェリーと出会い激情のままに駆け落ちするが、やがてとある悲劇に見舞われてしまう。その後、詩人バイロン卿の別荘に集まった際に、皆で怪奇談を書こうという話が持ち上がり……。ゴシック小説の古典『フランケンシュタイン』の作者メアリー・シェリーの半生を描くヒューマン・ドラマ。

怪奇小説として知られる『フランケンシュタイン』の作者、イギリスの女性作家メアリー・シェリーの波乱に満ちた半生が描かれます。メアリーが生きたのは、まだ女性の地位が確立したとは言い難い時代。詩人のパーシー・シェリーと出会って恋に落ちた16歳のメアリーは、女性はかくあれという束縛を逃れ、情熱に突き動かされるままに駆け落ち。しかし自由を得たつもりが言葉だけの男に翻弄され、耐え難い喪失を経験することになります。そんなメアリーが『フランケンシュタイン』を書いたのはなんと18歳のとき。彼女はいかにしてこの作品を書くに至ったのか?フランケンシュタインと言えば怪奇映画でもおなじみの有名モンスターですが(一応言っておくと正確には「フランケンシュタインの怪物」で、フランケンシュタインはそれを作り出した科学者の名)、原作は恐ろしい怪物としての側面よりも、実は創り出された異形の者の孤独や悲哀の方に焦点を当てているんですね。そんな怪物の物語へと彼女が込める思い、そして作家を夢見た少女が現実を見据えるに至る様を、もの悲しくも勇気ある物語として描きます。

メアリー役は『パーティで女の子に話しかけるには』『ネオン・デーモン』のエル・ファニング、その儚げなようでいて迸る情熱、か弱いようでいて強さのある佇まいが素敵です。メアリーが駆け落ちする相手パーシー・シェリー役は『高慢と偏見とゾンビ』ダグラス・ブース、繊細で軽薄な二枚目、という役柄を好演。メアリーの義妹クレア・クレアモント役は『マイ・プレシャス・リスト』ベル・パウリーで、この妹が結構アクセントになります。ウィリアム・ゴドウィン役のスティーブン・ディレインが見せる落ち着きと威厳、バイロン卿役のトム・スターリッジが見せる芸術家の狂気も良いです。あとポリドリ医師役を演じた『ボヘミアン・ラプソディ』のロジャーことベン・ハーディ、出番少なめながらぶっとい役でイイ。監督は『少女は自転車にのって』が第86回アカデミー外国語映画賞にノミネートされたハイファ・アル=マンスール。意外にもテンポがよく、また陰影の効いた美しい映像で魅せてくれます。

事実とは細部が異なるようなので悲劇の主人公に仕立てられてる感はありますが、脚色によりテーマは鮮明になり、孤独と苦悩を抱える女性が自分で立ち上がる姿へと繋げるのは好感。伝記映画と言うよりは一人の女性を追った人間ドラマという方が近いでしょう。19世紀の衣装や美術も壮麗で引き込まれます。モンスター映画の片鱗を期待すると肩透かしでしょうが、フランケンシュタインの物語に新たな視点をもたらしてもくれます。

↓以下、ネタバレ含む。








■一人の女性との一体感

メアリーは本を読むのも書くのも好きな、才気溢れる16歳の少女として登場します。19世紀当時のロンドンでは女性は家事をするのが仕事であり、文壇デビューなどは困難な時代。それでも小説家を夢見るメアリーは、家事や家の手伝いの合間に読書に没頭。母親は彼女を産んで亡くなったと言うので、家にいる女性は継母なのでしょう。実の母親は女性の権利に関する本を書くような先進的な人で、その自由を求める気風を受け継いだメアリーと保守的な継母との折り合いの悪さが、この時代の女性像の対比となっています。また一方で義理の妹であるクレアとは驚くほど仲良しですが、駆け落ちするメアリーと共に家を出るというところからメアリー以上に自由な女性に思われます(え、ついてくの?と驚きましたが)。しかし「私が詩人とは付き合えないと思った?」みたいなことを言うことから若干のメアリーへの対抗心があったかもしれず、またバイロン卿への態度からも男性に見初められたいという依存的な思いが案外強いようで、独立心の強いメアリーとの対比の役割も担います。

本作は基本的にメアリーの視点を崩しません。これによりメアリーが求めた理想と現実とのギャップを共に体験することになり、メアリーへの共感度が高まります。パーシーとの運命めいた出会いに高揚し、既婚者であると知って怒り、それでも自分の心を信じるメアリーと共に進んでいきます。しかし一途な愛を求めたメアリーとは違い、パーシーは自由主義を掲げて他の女とも遊び、「理想と現実は違う」と自ら口にします。さらに親から勘当されて金に困り、借金取りに追われる始末。メアリーが産んだ娘はわずか11日で命を落とし、それは寿命のためだと言われますが、雨のなか赤子を抱えて走るシーンがあることでそのために死んだのだとメアリーとしては思わずにいられません。またクレアがパーシーとも関係を持ったかのように描かれますがそこをハッキリとはさせず、観る者がメアリーと同じく疑心暗鬼に陥るような作りになっています。そんな感じでメアリーとの一体感が強いため、彼女の不安、孤独、苦悩といった感情を共有することになるんですね。パーシーを「無責任」となじるのも当然!となります。


■悲しき怪物の誕生

メアリーが『フランケンシュタイン』を書くきっかけとなるバイロン卿の家での会話は「ディオダディ荘の怪奇談義」と呼ばれ、原作の序文にも登場します。そして総てはメアリーの筆により昇華されていきます。普通とは違うと責められたこと。愛する娘を亡くしたこと。母親が画家に捨てられたことを述べ、「強い母でさえそうなのに普通の人はどうなるのだ」という不安。「言葉や思想に囚われるな、自分の言葉を探せ」という父の助言。人間的には酷いが芸術家ではあるバイロンが「いつか君の書いた本を読みたい」と言ったこと。ここに至るまでの様々な苦難や他者との関わりがメアリーの創作意欲となって爆発します。まさに「爆発」という感じで走る筆がエキサイティング。

また小説のなかで怪物を創るために登場する自然科学については、カルバーニ電気(生体電気)の実演ショーを見ていたり、死者は蘇るのかというポリドリとの会話から着想を得たり、怪物誕生の瞬間を目撃する夢を見たことなどで、元々怪奇小説が好きというだけでなく他の下地もちゃんと描いてあるのが上手い。この夢に見るのが唯一フランケンシュタインの物語を映像で見せるシーンですね。内容に「救いや希望がない」と苦言を呈するパーシーに「今の自分たちを見てみろ」と言うのも、メアリーのこれまでの人生が物語に投影されていることを表しています。


■後悔しない生き方

孤独に苦しみ、幸せとは何かに惑い、女性だからと受ける差別や無責任な男に放置された思いを、人の身勝手で創り出された怪物に託す。その物語を完成させることはメアリーにとってのセラピーの意味合いもあったかもしれません。色々と苦難を味わいそれでもメアリーと共に居続けたクレアが、そのテーマを汲み取り「必ず出版して」と言うのが泣けます。しかし書き上げたところで18歳の女性が書いた怪奇小説はなかなか出版できず、匿名で、しかもパーシーの序文付きでようやく出版というところにもやはり付きまとう女性差別。それでも「中身で判断して」と主張するメアリーの声が、自分はここにいるという怪物の咆哮に重なります。匿名出版となったのは無名だったポリドリも同様。長編を書き上げたのは結局メアリーと『吸血鬼』を書いたポリドリだけですが、一人紳士的に接し続けたポリドリはメアリーのソウルメイトみたいな感じで良いですね。それだけに彼の末路は物悲しいです。

実際はメアリーがバイロンの元に来たときには生後3か月の息子がいたそうだし、『フランケンシュタイン』の脱稿はパーシーとの結婚後であったらしいなど、脚色はあるようです。一方でメアリーは最初の赤子を含め三人の子供を病気で亡くしているんですね。本作がどこまで史実に忠実かはわかりませんが、重要なのは物語を紡いだことが生きる力となったこと。可憐で聡明なだけでなく「自分の選択だから後悔しない」と言うまでに成長したメアリー、最後に作者がメアリーであることを明かすパーシー、そして娘の名が入った第2版の本を店頭に飾る父、そんな彼らの姿そのものに新たな時代の夜明けを感じさせます。

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