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2018
12.09

正当化された暴力に正義は歪む。『バスターズ』感想。

ACAB
A.C.A.B.: All Cops Are Bastards / 2012年 イタリア、フランス / 監督:ステファノ・ソッリマ

あらすじ
仲間は兄弟。



常に危険な現場の最前線で働くイタリア国家警察機動隊。個性的な面子が揃うなか、新人隊員のアドリアノは戸惑いながらも徐々に仲間として打ち解けていく。ある日、暴動で仲間が重症を負わされ、隊員たちは犯人を探し始めるが……というクライム・サスペンス。モスクワ国際映画祭で国際批評家連盟賞ほか3冠を受賞。「のむコレ2018」上映作品。

ステファノ・ソッリマが『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』の前に撮った、イタリアの機動隊を描く警察ドラマ。デモや暴動といった危険な現場で、人々に犬と呼ばれても耐えるしかない警察の機動隊員たち。加えて私生活は問題ばかり。そんな男たちが仲間との結束のみを信じ、いつしか歪み、正義の名の元に振るわれる暴力に快感すら覚えていきます。現実にあるイタリアの移民問題、フーリガン暴動の深刻さが予想を越えてへヴィに映されるなか、「仲間は兄弟」といって支え合うベテランたちが見せる危うさ。彼らに馴染み始めた若手が、行きすぎた正義に対して見せようとする正しさ。ハードなドラマに重々しさとやるせなさが響きます。

『ラッシュ プライドと友情』のピエルフランチェスコ・ファビーノが演じるコブラは仲間を何より大事にするのに市民への過剰防衛で裁判中、フィリッポ・ニグロが演じるネグロは仕事に入れ込みすぎて妻に家を追い出され、マルコ・ジャリーニ演じるマジンガは息子が極右組織に出入りすることに悩みます。アンドレア・サルトレッティの演じるカリエットは、いざというときは兄弟たちのために駆けつけるも既に機動隊を辞めた身。そんな問題を抱えたチームに加わったドメニコ・ディエーレの演じる跳ねっ返りの若手アドリアノ。最初こそ説教臭いおっさんどもにイラつきながらも、徐々に仲間意識を高めていきます。

延々と続く緊張感と不穏さ、命懸けの男たちが露にする歪さは、同監督の『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』の通じるものがあります。コブラが歌う「機動隊はクソ野郎ばかり(A.C.A.B.)」という自嘲的な歌に、建前の正義が空しく浮かび上がります。

↓以下、ネタバレ含む。








機動隊が扱うのは犯罪行為の捜査ではなく、主に民衆のデモを防いだりスタジアムで暴動が起こらないよう見張ったり、要するに一般市民を相手にすることが多いんですね。そして暴動が起きた際にはこれを鎮圧しなければいけない。コブラは不当な暴力を振るわれたとして裁判を起こされますが、その裁判中に「もっと我々の仕事を理解してほしい。好きで暴力を振るっているとでも?」と訴えます。実際毎週日曜のスタジアムで一触即発のサポーターたちを押さえたり、デモを防いで唾を吐かれ物を投げられても先に手は出せない専守防衛が基本。何かあれば矢面に立つ自分たちがなじられ、人一倍強い正義感は言われのない責めに歪み、そうして彼らが行き着いたのは正義の名の元に合法的に振るえる暴力、そしてそれを共有する仲間との絆です。

確かにものすごいストレスに苛まれるのが想像に難くないシーンが多々映されます。しかしそれと同等に、これが俺たちの権利だと言わんばかりの暴力性というのも描かれるんですね。そもそもコブラは事故を起こして逃げた若者を徹底的に追いかけ、手錠をかけた上でブン殴ったりします。仲間から金を脅し取った不法入国者を皆で脅して公園から追い出すことを「公園掃除」と称すのはまだマシな方ですが、それでも「公園掃除が楽しかったか?」「それでも辞めたいか?」というのが本音なわけです。悪人というわけではないのは、アドリアノの母親が住むはずの公団を占拠した不法移民を脅しに行ったときにドアホン越しに聞こえる赤子の声で退散するのからも窺えますが、しかしこれは暴力しか解決手段を持ってない、ということでもあるんですね(アドリアノはドアホンをガムで固定するという嫌がらせをしますが)。階下で騒ぐ奴らにツバを落とそうとしてギリギリで止めるコブラに危うさが垣間見えます。

他の仲間も似たり寄ったりで、ネグロは娘を放りっぱなしにして公園掃除に行った結果娘に会えなくなり、裁判所へ怒鳴り込んで権利を主張するという愚かな行為に走り、さらには元妻の職場に押し掛けたり「マジンガの息子を殺したくなる」と間接的な脅しで娘に会うことを強要したりします。そんなネグロをかばうあまりコブラはその元妻に娘をダシにした説得をしようとしてクズ呼ばわりされます。マジンガは息子に対しても高圧的に振る舞うことでかえって息子に距離を置かれてしまいます。自分たちは命懸けで頑張っているが周りは理解しないという思いに仲間意識はますます強まり、市が撤去を約束していた違法移民キャンプにいる男が女性へ暴行するという報道にやるせなさを感じつつ、そのキャンプを警備することに耐える現実への不満。そんなときにマジンガを刺した犯人の情報を得たことで、頂点に達した仲間意識と不満、そして自分たちの暴力は正義であるという慢心が、彼らを私的制裁へと走らせます。結果、マジンガは見られてはいけない姿を息子に見られ、アドリアノは最後まで通さない正義に訣別することになります。

若手のアドリアノは最初は金のために警察に入ったと言うし、コブラからの指導も「演説」と揶揄したりしますが、仲間を大事にするコブラたちの姿に次第に心を開いていきます。でもコブラたちの正義がもはや自分らの正統性の主張でしかないことに気付いてしまうんですね。コブラに言う「仲間や自分をかばうたびに失われていくもの」というその失われるものこそが、アドリアノが心を開く理由となったものでもあるのでしょう。それはつまり、誇りであり、正しさです。裏切者となじるコブラに「警察官はまっとうな生き方だと思った、だから警察官になった」と返し、言い返せないコブラ。そしてアドリアノは機動隊の雄々しい姿が描かれた絵を見やって去っていき、コブラは駆け付けたマジンガとネグロと共に、暴力が幅を効かせる戦地へと戻っていくのです。

劇中で言及される「ジェノバの学校のツケ」というのは、2001年7月にG8、ジェノバ・サミットで、実際に機動隊員がデモ参加者に対して暴力と過酷な取り扱いをしたとして告発された事件に関することを指していると思われます。つまり本作のような内容は決して絵空事ではなく、過去にも起こっており今も起こっているもしれない現実なわけです。正義と暴力、誇りと屈辱、相反する内面との戦いを冷徹に描くシビアな物語でした。「機動隊はクソ野郎ばかり(A.C.A.B.)」と歌っていいのは機動隊員だけなのかもしれません。

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