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2018
12.04

見守る未練、求める執着。『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』感想。

A_Ghost_Story
A Ghost Story / 2017年 アメリカ / 監督:デヴィッド・ロウリー

あらすじ
いつも見ている。



郊外の一軒家で幸せに暮らす若い夫婦。しかし夫が交通事故に遭い命を落としてしまう。病院で夫の遺体を確認した妻。しかし死んだ夫は幽霊となり、シーツを被った姿で妻のいる自宅へと戻ってくる……。霊となった男を描くファンタジー・ドラマ。

とある夫婦の夫が事故死、夫は幽霊となり残された妻を見守るが……というお話です。ゴーストが出てくる物語、というよりはゴーストの視点で語られる物語。霊が出ると言ってもホラーという感じではなく、多少の不気味さがあったり心霊現象が起こったりはするものの、基本的には生者から姿は見えず、死者から見た生者の世界が描かれ、そこに語る言葉を持たない死者の思いを見ることになります。時には観念的であったり哲学的であったり、ある種のラブストーリーでもあったりするという不思議な作品。カメラ固定の長回しなど映像も独特で、静かすぎるシーンでは若干眠くなるという苦行だったりもしますが、それも意味があってのこと。人ならざる者の時間の描き方が未練を示し、この世への関わりが執着を示す、というのを映像で見せきる作りがスゴいです。

ゴーストは死んだときに掛けられていたシーツを頭から被り、目のところに穴が開いているという姿。子供がお化けの格好をしたようなスタイルは薄気味悪さは半減させるものの、実在感はあるのに目の穴は真っ暗というのが異質。このゴーストである夫(役名はC)を演じるのは『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『ザ・ブリザード』のケイシー・アフレック。顔を出してる時間は短いですが、独特な存在感で印象を残します。一方の妻(役名はM)を演じるのは『キャロル』『LION ライオン 25年目のただいま』のルーニー・マーラで、夫を失った女性をありきたりではない姿で魅せます。

監督は『ピートと秘密の友達』のデヴィッド・ロウリー。未見ですが主演二人とは『セインツ 約束の果て』でも組んでるんですね。カメラワークによる時間の超越が凄くイイし、まさかの展開には驚きつつも思いの強さに震えます。画面がほぼ正方形という画角、しかも角が丸いというのも独特。妻を残し死んだ男の孤独とせつなさが沁みます。


↓以下、ネタバレ含む。








■長い時間

本作で最も特徴的なのは、カメラで映す時間の長さや切り替え方によって普通とは異なる時間経過を表しているというところでしょう。前半は特に長回しが多く、二人が寝てるシーンではその長さが互いに慈しんでいることをわからせ、病院で横たわるCの遺体の前でMが立ちつくすシーンにはショックの大きさが表れます。Cがゴーストになってからはこれがゴーストの感覚に沿ったものになります。最も印象的なMがパイを食べるシーン、テーブルの前とキッチンの床に座っての二段階でひたすらパイを食べるMの姿には、他に何もできず気がふれたように同じ動作を繰り返すしかできない無気力さが滲み出してきます。そして最後には吐いてしまうMをゴーストはじっと見続けるしかできないのです。またゴーストはそこに留まったまま動かないのに、Mが何度もドアを出ていくシーンでは、ゴーストが何もできないまま日常が目の前で繰り返されていることが窺えます。見守っていると言えば体はよいですが、実際そこにあるのは痛々しいほどの無力感です。

そんなゴースト主体の時間経過なのでどれだけ時間が経っているのかわからなくなってくるんですね。他の男に送ってもらいキスされるMにゴーストが怒って癇癪を起こしますが、おそらくそこまでに結構な時間は経過しているのでしょう。ゴーストは既にこの世のものではないので、生者の世界の時間的法則には縛られないんですね。おそらく見たいものだけを見ている。だからMが引っ越していったあと不意に時間が飛ぶのも不思議ではないわけです。

ここでふと気付くのは、Mは一度も泣くシーンがないということ。実感がなくて涙が出なかったのか、あえてゴーストが泣き顔を見なかったのかはわかりません。ゴースト目線ではあっけなく引っ越してしまうようにも見えますが、でもずっと二人の家にいたことが彼女の愛情を表しているとは思うんですよね。それでも亡くなった者は戻らない、だから前へ進むために居を変えるのでしょう。それは生きているから。そして死者だけがその家に取り残されます。Cの作った曲を聴きながら寝転がったMの手が、ゴーストに触れそうになる、でも触れることはないというのが、二度と交わらない二人の関係を思わせます。


■過ぎ去る時間

Cが病院でゴーストになったとき、天へと続いているのであろう光の扉が開きますが、Cはそこに入らずさ迷える霊となることを選びます。それは妻への未練のためなのでしょう。そして妻が去ったあとは、彼女がドアの隙間に隠した手紙を見ることに執心します。しかしなかなか取り出せないうちに、カメラを振ったらメキシコ人の母子がいるという、一瞬で時間を経過させるカメラワークには惚れ惚れします。また、それまでほとんど動かなかったカメラがこの母子の前では動揺するようにあちこちを動き回るんですね。それでも見続けるのはこの家族に興味があったのか。しかし夜中に子供の元を訪れたときにオモチャの銃で撃たれ(無垢ゆえに見えた?)、お返しに皿を全部割って追い出します。自分の存在を否定されたから、ということなのでしょう。

そこでまた時間が飛び、新たな住人の元でパーティーの喧騒に興味を持ったのか現れるゴースト。そこで延々と自説を語り出す一人の男。結論を出してはそれをひっくり返す一人語りのせいで非常にわかりにくいですが、要するに何かを作り出したところでそのうち全て滅ぶのだから無意味です乙、という厭世的なことを言ってるわけですね。これまた音楽家だったゴーストを否定する言葉。電気ビカビカさせて追い出したのか、次の瞬間には家は廃墟となっています。ようやく手紙を取り出せると思ったら今度は家が取り壊しに。跡にはオフィスビルが立ち、もはやゴーストが追い出せるような状況ではなくなります。ここでゴーストが屋上から転落するのは自殺?などと思いますが(いやもう死んでるけど)、ここでまた生者とは違う時間の流れが。不可逆であるという時間の流れさえゴーストにとっては法則になりえないのでしょう。そして時は遡り、セカンド・ステージが始まります。


■繰り返す時間

そこはフロンティア・スピリッツ溢れる時代、ここに家を建てようという家族。しかし次の瞬間に原住民にあっけなく殺されて、その直後には骨になる。諸行無常。そして、ひょっとしてこれはループするのでは、と思ったら本当にまた始まるのです。Cが生きていたときの家鳴りはC自身の仕業だったわけですね。ゴーストとなった自分を見るゴースト、という多層的な次元の在り方にはクラクラします。画面が正方形に近くて角が丸いのはまるでテレビのブラウン管みたいだなあと思ったんですが、今の状況は常にどこかの位相にいるゴーストが見ている、ということなのかもしれません。

なぜゴーストはそこまでこの地にこだわるのか。その理由は生きていた自分が「なぜここが好きか」と妻に聞かれて「歴史かな、二人の歴史」と言うことでハッキリします。二人が重ねてきた時間の集積がこの地にあるから。お隣にいた花柄シーツのゴーストは、思い出の詰まっているのだろうその家でずっと家族を待ち続け、家が取り壊されたときに「もう来ないみたい」と悟り、その瞬間に消え去ります。しかしCにはそれが納得できない。そしてCがこの世にいたという証左はもはやドアの間の手紙にしかないのです。二人が過ごしたこの家で、「また戻ったときに読むのだ」というMの言葉に、手紙を読めさえすれば妻が戻ってくると言わんばかりに。だから、ついに手紙を手に入れてそれを開いた瞬間、Cのゴーストは消え去ります。Mは詩のようなものを書くといっていましたが、そこに何が書かれていたのかはもはや重要ではなく、その手紙への執着が達成されたからこそ消えるのです。Mの言葉を知ることもなく。

無駄な説明は省き、生きている者とは異なる死者の時間感覚を映像で表し、表情のないゴーストの感情が見えてくるようなシーンの数々。それら計算された演出により、静かな情熱とせつない思いを描き出したゴーストの物語でした。とても良かったです。

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