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2018
11.07

無限の彼方に見る人類の行く末。『2001年宇宙の旅』感想。

2001_space_odyssey
2001: A Space Odyssey / 1968年 アメリカ / 監督:スタンリー・キューブリック

あらすじ
モノリス!(ドミノではない)



人類が月に住むようになった頃、月の地中から磁力を発する謎の石碑が発掘される。宇宙評議会のフロイド博士がその調査をした18カ月後、デビッド・ボーマン船長ら5人のクルーを乗せ、最新の人工知能「HAL9000型」を搭載した宇宙船ディスカバリー号は木星探査のため航行していた。しかしHALに不具合らしきものが発生し……。スタンリー・キューブリック監督によるSF映画。

まだCGのない時代に撮影されたとは思えない特殊視覚効果と、科学的な裏付けに基づく未来観、人類の来し方行く末を描く壮大なスケールの物語などで、誰もがタイトルを聞いたことはあるだろうという、映画史に燦然と輝くキューブリック不朽の名作SFです。今年2018年は本作の製作50周年に当たり、国立映画アーカイブで70ミリのニュープリント版フィルム上映が行われたりもしました。個人的にはソフトでは観ていたものの、数年前の「午前十時の映画祭」を観逃し70ミリ版も行けず劇場未体験。しかし2週間限定のIMAX上映でついに初の劇場鑑賞となりました。

随分昔に初めて観た時はワケわからんなりに圧倒されたもんですが、やはり何度観ても凄い。極端に少ない台詞、静寂も含めた音使い、どう撮ったかが謎の特撮、一瞬で時を越えるマッチカット、こだわりのメカや設備、緊迫感溢れる長回し、トリップしそうなクライマックス。体調整えて観ないと寝落ちしかねないと思ってましたが、スクリーンで観るとどのシーンもインパクトが絶大です。猿が人へ進化し宇宙に出て新たなる地平に辿り着く様を圧倒的な映像で見せきる、まさに天才の作品。黒い板がこれだけ神秘的ってのは凄いですよ。

今回改めて観て、よく言われるような「難解」な映画でもないのかな、と思えました。難しいと言うよりは説明がほぼカットされているのでわかりにくい、というのが正しくて、そのわからなさ故に哲学的思索や宗教的解釈などを持ち出したくなりますが、あくまで科学(SF的オーバーテクノロジー含む)がベースにある作品だと思います。とは言え様々な解釈ができる、という幅のある作りになっているのは確かで、そこが魅力でもあるでしょうね。

以下にネタバレありで感想を書いていきますが、初公開からもう50年が経つわけで(半世紀!)、その間多くの映画評論家やSF作家や様々な識者が語り尽くしているので何ら目新しいことは言えないし、二番煎じも甚だしい内容かもしれませんが、今回鑑賞を機に未読だったアーサー・C・クラークの小説版を読んで色々と理解できたところもあるので、まああまり深く考えずいつものようにつらつらと述べていきますかね。ちなみにIMAX上映、初公開当時の再現なんでしょう、上映前に音楽のみで何も映らないプレリュードの時間があり、上映半分くらい経ったところで15分ほどのインターミッション(休憩)があり、終わったあとも音楽が流れていて余韻抜群。とても良い映画空間でした。

↓以下、ネタバレ含む。








■体感する映画

最初は状況を説明したナレーションが付く予定だったようですが、公開直前にキューブリックが取り除いてしまったため、本当に説明があまりないんですよね。台詞で状況がわかるものでも、あるのはステーションでの会話で月で伝染病が発生しているということ、月基地でのフロイト博士のスピーチで何か重大な発見があったらしいということ、ディスカバリー号で見るインタビュー映像により木星に向かっていることと人工知能が船を制御しているということ、あとはボーマンとプールの会話でHALヤバいというくらい。サルたちはまあサルなんでね、人語の会話さえないです。

というわけで観る者は映像や音で話を知っていくしかないわけですが、でもこれってとても映画的なアプローチでもあるわけで、観て、聴いて、その表現するところを汲み取ろうとする、まさに「鑑賞」することを促されるわけです。そして言葉を使わないぶん、そのカットに含まれるニュアンスやちょっとした違和感、目の前に展開する不穏さや謎などを感じ取っていく。それが解釈に繋がったりときには体感となって、作品世界に引きずり込まれていくことになります(スクリーンで観るとこの「体感」が凄い)。


■最初の進化

映画は『ツァラトゥストラはかく語りき』の荘厳な音楽と共に、太陽と月と地球が並び浮かぶシーンで幕を開けます。この背筋が震えるオープニングは、個人的には後の『スター・ウォーズ』に通じるインパクトがあるなあと思うんですが、そこから一転、「人類の夜明け」では自然音だけで展開していきます。まだヒトとは言えないサルたち、そのなかで「月を見るもの」という名(小説版より)のリーダーが引き入る群れがクローズアップされていきますが、荒涼とした大地は渇き、わずかな水場は他の群れとの奪い合いになり、草の根や地面に蠢く虫などで飢えを凌ぎ、夜は猛獣の脅威に怯える日々。食糧難により人類の祖先となるはずの種が滅びかけているわけです。すぐ横をバクらしき動物が悠々と歩いているんですが、それを食料にしようという発想もない。そこに現れるのがモノリス(直立体)で、これによりヒトザルたちは「進化」を遂げることになります。ちなみに小説版では最初のモノリスは黒ではなく透き通っていて、進化はモノリスがヒトザルたちを色々操作した結果なんですが、映画ではモノリスに触れたことがトリガーであるように見えて、そこがハッキリしないのがむしろ良いですね。

サルがヒトに進化する大きな要因は道具を使うことを覚えたからですが、手に持った道具を使うことでほぼ二足歩行になっており、水場を奪い返す際には骨を持った者はもはや別の種族に見えます。それほどの劇的な変化。しかしそれと同時に道具は武器にもなりうるということも描かれます。投げた骨が人工衛星に変わり400万年をすっ飛ばす有名なシーン、初見では気付かなかったんですが、そこで映される人口衛星群が実は核兵器を積んだ各国の軍事衛星であり、バックに流れる『美しく青きドナウ』の優雅な旋律とのギャップもあってなかなかシニカル。骨を武器として使った400万年前から人同士の争いの歴史が始まったことも示唆しているんですね。それでもこの宇宙空間からステーションに至る一連のシーン、たゆたうような心地よさもあって宇宙時代へのワクワク感を抱かずにいられません。空中に浮いたペンをCAがフロイド博士の胸ポケットに戻すシーンなどは、無重力にしか見えなくてスゴい。


■そこは宇宙

ステーション内では真っ白な空間が近未来感を煽りつつ、壁には「ヒルトン」のロゴがあったり、今では当たり前となったカメラ付きの電話があったりと現実との地続き感も。月基地へ向かうロケットでは、その場で歩きながら回転するCAのシーンなどは仕掛けとしてはカメラを固定して床を回してるんでしょうが、わかっていても面白い。あと無重力トイレの説明書きの多さ!一つ間違えれば大惨事なのでね、これは納得ですね(緊急時は読んでる暇ないと思うが)。ちなみに小説版では髭剃りの際に出る細かいヒゲの危険性も指摘されてたりします。またロケット内だけでなく外の映像も良いんですよ。月基地に着く際に月基地のドームが開いていく画などは印象的で、このような幾何学的なショットは、モノリス、太陽、月または地球を見上げる構図などにも見られます。また、宇宙空間では反射物がないために光と影のコントラストがクッキリしており、空間に何もない心許なさがスゴく宇宙っぽく感じられるし、音使いに関しても宇宙空間では全くの無音というのが随所に出てきて、後半では不穏な画に無音というのが逆に緊張感となってサスペンスを盛り上げています。

フロイド博士たちは月で発見されたモノリスの元へとやってきますが、モノリスの存在感というのはなんであんなにスゴいのか。未知なる宇宙のワクワク感に馴染まない異質な佇まい。光を反射しない漆黒の闇のような表面。シンプルでありながら神秘的なんですが、しかしモノリスの三辺の比率は1:4:9で、これは1の二乗、2の二乗、3の二乗ということらしいんですね。この正確性が知的生命体の存在を裏付け、神秘の裏に潜む何らかの意思を感じさせます。このシーンは甲高い音が鳴り響いてフロイドたちが苦悶したと思ったら突然ぶった切られて16カ月後に飛ぶので、一体何だったんだと思うんですが、小説版によればここから木星方面に向かって強烈な磁力が発射されたことがわかります。ということは最初のモノリスとは別の機能を持つわけです。そしてこれがディスカバリー号の航行目的となります。


■暴走する知能

木星有人探査に挑むディスカバリー号、その描写も細部が面白い。リング状の廊下をジョギングで一周するシーンは実際に巨大な輪を回して撮ってるんだそうで、リングの遠心力により重力が発生しているように見えて何とも不可思議な光景。プールが座っている場所と反対側の梯子を水平に降りてきてそのまま歩いていくのはどうやって撮ったんだろう?宇宙食の見た目が不味そうなのはちと気になりますが、それよりボーマンたちが地球のニュースを見るのがまんまタブレットなのには驚き。現実の2001年では宇宙に行けるのはほんの一握りの専門家でしたが、現実が追い付いた点もあるというのが面白いです。あと冷凍睡眠中の三人のカプセルがちょっとエジプトの棺みたいな形だなと思うんですよね。この後の彼らの運命を表しているかのよう。

そして何と言っても人工知能「HAL9000型」、通称HALの存在感。至るところにあるHALの赤いカメラが目のようであるのはもちろん、普段の喋り方はごく普通なのに赤い目を映しながら何も喋らないときが怖い。部品の故障予測を間違ったときの「心配してませんよね?」という決め付けたような言い方とか、まさかの読心術には震えます。そしてプールが乗るGポッドにもHALの目が!プールが船体から6メートルも離れた位置でポッドから出るのはポッドのジェット噴射でアンテナがひしゃげたりするのを防ぐためですが、どう見ても命綱なしでEVA(船外活動)してるように見えて、それはさすがに無茶すぎでは……。フッ飛んで行くプールが船内の窓から見えるシーンは取り返しのつかなさが凄いんですが、それを回収するボーマンの手腕も凄くて驚きます。しかし焦っていたとはいえメット着けずにGポッド乗っちゃうボーマンのうっかりには冷や汗です。ポッドの扉にある爆破の文字がこういう形で使われるとは思わないですよ。

HALがおかしくなったのはHALだけが知る秘密の使命をクルーたちに知らせないことで論理矛盾を起こしたからですが、このHALの暴走って本筋にはあまり関係ないような気が今まではしてたんですよ。でも人工知能が感情に近いものを持つようになったということは、ボーマンではなくHALが宇宙人に招かれて地球の新たな支配者になってた可能性もあるんですよね。小説版では実際この宇宙人たちも肉体から機械に意識を移し、やがて物理的な体を捨てエネルギー体になった者たちだとあるので、そう考えると生物の定義とは何かという思いも沸いてきます。HALが止められるときに歌を歌うところなどは人間そのものが喋っているかのようで、なんとも物悲しいです。


■無限の彼方

木星に近付いたボーマンはポッドに乗って巨大なモノリスへと向かい、そこから無限の彼方へと旅立つことになります。ちなみに小説版では目的地は土星で、木星はフライバイ(近傍通過)で通過するだけなんですが、映画版ではそれだと冗長だったのか、土星を映像化するのが大変だったからなのか。ともかくモノリスから光の帯のなかへと飛び込んだボーマン。いわゆるスターゲイトですが、このシーンが一見ワケがわからない映像が延々と続くので眠くなりがちですね。でも光ったり弾けたり蠢いたり、やがて木々や海の上を飛んだりしていくシーンの連なりには、何かが生まれ形を作っているのだ、ということが窺えます。それはボーマンが、気付けばホテルの部屋の中におり、いつの間にか年を取ったボーマンが別の老いたボーマンを眺め、ふと見るとベッドに横たわる瀕死の自分がそこにいるという、人生が一瞬で過ぎ去る姿を見ることになることからも、膨大な時間の経過を圧縮して見せられたのだと思われます。

宇宙人たちは一度も姿を現しませんが(もしエネルギー体ならそれもそうなんですが)、滅びかけていた地球人類に彼らが授けた知恵は何百万年もかけて熟成され、彼らの元へと辿り着かせます。しかしせっかく400万年前に飢えから救ったのに今また人類は食糧難で危機を迎えており、生活のための道具は殺し合いの核兵器となり争いの火種として燻っています。選ばれた人類となったボーマンは、無垢なる完全な存在=スター・チャイルドになりますが、その何もかもを見通すような瞳に真正面から見つめられると、嫌でも畏怖の念を感じずにはいられません。それはスター・チャイルドが地球を見守っているのか滅ぼそうとしているのかわからないからなのか。あるいは知恵を授けられながらも滅亡に向かおうとする人類の原罪に対して恥じる気持ちなのか、はたまた人智を越えた存在にすがりたくなる人の弱さなのか。

アーサー・C・クラークの小説版にはほぼ全てが明確に書いてあり、最後にスター・チャイルドが現れたのがいつの時代のどこの星で何をしようとしてるのかもわかるんですが、映画製作と同時進行で書かれた小説版は原作というわけではなく、映画公開から3ヶ月経ってからの刊行であることからも「正解のひとつ」ではあっても映画版と全く同じという保証はないのです。それは映画版が様々な解釈が可能なように作ってあるからです。優れた芸術作品が人によって捉え方が異なるように、この宇宙の旅の行き先は観た人の数だけ到着地が違ってくるのでしょう。個人的には、スター・チャイルドは人類を見守るもの、と言っても信仰の対象ではなく因果応報の象徴であり、科学の行く先に飢餓や争いや孤独に打ち勝つ未来はありうるのだ、それを実現することこそが進化なのだ……というロマンティックな見方を採りたいんですが、でもHALが人に取って変わる可能性もあるよなあ……などと散漫なことを思ってしまうのでした。

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