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2018
10.24

混沌に沈む街で、真実に手は届くか。『アンダー・ザ・シルバーレイク』感想。

Under_the_Silver_Lake
Under the Silver Lake / 2018年 アメリカ / 監督:デヴィッド・ロバート・ミッチェル

あらすじ
スカンク怖い。



ロサンゼルスのシルバーレイクで怠惰な生活を送るサムは、隣に住む美しい女性サラに恋をするが、ある日突然サラが失踪する。彼女を諦めきれないサムはロサンゼルスの様々な場所に潜り込んで行方を探すが、やがて街に潜む陰謀へと巻き込まれていく……。『イット・フォローズ』のデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督によるサスペンス・ミステリー。

多くのセレブやアーティストが暮らすロサンゼルスの街シルバーレイクで、コミックや音楽、ゲームなどポップカルチャーを好む青年サムが、姿を消した美女を探し回るうちに今まで知らなかった世界に触れて、大きな渦に巻き込まれていくというお話。非常に内容を言語化しにくい変な映画ですが、これがすんごく面白かったです。セレブや大富豪が姿を消す事件と重なるように消えた女の子、というミステリーであり、彼女ともっと親しくなりたいダメ男が彼女の行方を探すという一種の探偵ものなんですね。シルバーレイクという西海岸の明るげな景色にスルッと入り込むゴージャスでいかがわしい風景、様々なパーティで出会う奇妙で刹那的な人々。そんななかポップカルチャーに潜む暗号に気付いたサムは、やがて彼のアイデンティティを揺るがす世界の秘密へと導かれていきます。スリル、笑い、倦怠感、おっぱい、もうとにかく特濃。

サム役は『ハクソー・リッジ』『沈黙 サイレンス』のアンドリュー・ガーフィールド。仕事は?と聞かれまくるもののどうやら無職、アパートは家賃滞納で追い出される寸前。そんなサムの弛緩した表情がその日暮らしの心許なさを表します。クサいと言われまくったり、尻を出しまくりながらの奮闘が実に愉快。そんなサムが探そうとするサラ役は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のケイパブルことライリー・キーオ。彼女のキュートさがサムの動機に説得力を持たせ、物語の訴求力となっています。他、『エージェント・ウルトラ』のトファー・グレイス、『エイリアン:コヴェナント』のキャリー・ヘルナンデスらが出演。

監督は『アメリカン・スリープオーバー』『イット・フォローズ』のデヴィッド・ロバート・ミッチェル。少し捻った青春ものの描き方がスゴく好きなんですが、本作もまた幻想的な映像や尖った演出がやはり良いです。筋が通りそうで通らない、伏線かと思いきや回収しない、なんかワケわかんないし結構長い。でも全然飽きないし最初から最後まで面白いんですよ。これはカッコ悪さとせつなさ、虚無と情熱、エロスとタナトスが交錯する、サム自身を映す青春の旅路でもあるのです。

↓以下、ネタバレ含む。








■停滞し、妄想する男

サムは劇中明言されてなかったと思いますが33歳という設定だそうで、どうやら仕事もせずダラダラしているダメ人間のようだ、というのがわかります。タバコをくゆらしながら隣家のトップレス女性を双眼鏡で眺める怠惰な日々。「仕事は?」というのは普通なら挨拶代わりのなんてことない言葉ですが、サムにしてみれば会う人会う人に言われて追い込みをかけられているようなもの。それでも仕事をする様子は見られず、家賃滞納であと5日で追い出されるというのに友人女性(恋人かどうかは微妙)とセックスしてるだけ。サムの過去は語られませんが、母親からよく電話がかかってくることから地元民ではないのだろうし、友人に「自分の人生がとっくに失敗していると思うことは?」と聞くことからも、何かを夢見てこの街にやってきたが上手くいかず燻っている、という感じなのでしょう。友人とドローンで覗いていた女性が泣き出すのを見て帰ってしまうのは、現実のツラさに涙する彼女が自分自身に重なってキツかったからかもしれません。また無気力なようでいて苛立ちも抱えているのは、車に傷を付けた子供を本気で殴ったりジーザスを痛め付けたりという不意に見せる暴力性にも見てとれます。

それでいてドッグキラー(犬殺し)やフクロウのキスに怯えたりする臆病な一面も見せます。どちらも劇中のインディーコミック「アンダー・ザ・シルバーレイク」に出てくる虚構のキャラクターですが、不吉なものの象徴としてサムの前に姿を現します。冒頭から「犬殺しに気をつけろ」の文字がバーガー屋に落書きされていたり道路に同じ文句が書かれていたりしますが、これは犬を殺す人物に用心しろと言うよりは、サムに対して「犬殺しにならないよう気をつけろ」と警告しているようにも見えます。つまりドッグキラーはサムが犯罪者となる可能性の象徴です。フクロウのキスについては、作者であるコミック・マンのビデオに映っていたり、サムの部屋の中から突然現れたりします。これはコミックの中でも語られるように「死」そのものであり、作者が突然死んだ原因のようにも受け取れるため、サムじゃなくても恐怖の対象ですね(ちょっと『イット・フォローズ』みたい)。ただしドッグキラーもフクロウのキスもサム以外は姿を見ていないので、実在するかはわかりません。サムの妄想が映像となったものと考えてもいいでしょう。


■求め、拒絶される男

サムがサラを探すのは、そんな現実を変えてくれるという予感だったのか、夢中になれる対象を見つけたからなのか、単なる好きという感情だけではない何かに突き動かされているように見えます。あるいはサラの失踪にこそ世界の秘密が絡んでいるという陰謀めいた直感があったのか。「金持ちは自分が知らない何かを知っている」と取り付かれたように力説するサムには、自分が知らなかっただけで本当はもっと違う人生があったはずだ、という思いが透けて見えます。「ホームレスは嫌いだ」と言うのも自分がそうなりそうなことへの嫌悪感でしょう。それでいて彼の窮地を救うのはホームレスの王というのが皮肉。要するにサムは「何者にもなれない」でいるわけですが、それゆえに自分の知らない世界を探してサラを求め、ジーザスの歌詞に隠された暗号を解き明かしていきます。しかし真実は届きそうになるとスルリと逃げてしまうのです。またスカンク汁直撃のせいで会う人会う人に「クサい」と言われますが、これはサムに対して距離を置こうとするシルバーレイクの街そのものの意思のようにさえ思えてきます(あまりにクサい言われて笑いますが)。

そんな街からの拒絶、それは自分の意思ではどうにもならないという諦念の裏返しでもあります。そして諦めた分、誰かの意思で生かされているということでもあるでしょう。自分の人生を彩ってきた様々なポップカルチャーはソングライターという一人の男によりもたらされたものであり、ポスターを貼るほど好きなニルヴァーナでさえ虚構だった(サムにとっては)という衝撃は、彼に「操られてきた」人生を突きつけます。ソングライターが実在するのかといえば、ベートーベンまで自分が作ったと弾いてみせるのでこれまた妄想の可能性はありますが、それはもはや重要ではなく、そこに自分の意思は介在したのか、という問いになっているのです。そしてカート・コバーンのムスタングでソングライターを撲殺するサムは、まだ「自分の意思で追い求める」ことを諦めていません。結果「ゼルダの伝説」のマップとシリアルの箱から最後の暗号を読み解き、ついにサムは世界の深淵へと辿り着きます。


■落ち着かなさと好奇心

本作はとにかく情報量が多くて、ポップカルチャーの引用なのかオマージュなのかメタファーなのかというのが容易には判断できないです。逆に言えばいくらでも深読みできそうな要素ばかりではあるんですよね。ただ次々移り行く映像を観ているだけでも楽しい、というのが至極映画的だなあと思います。いきなり『めまい』ショットが使われたり『裏窓』みたいに双眼鏡で覗いたりとヒッチコックのオマージュがあったり、様々な音楽が場を盛り上げつつオリジナルのミュージシャン(ジーザスとドラキュラの花嫁たち)の楽曲まで作ってたり、コミックの絵柄がそのまま動くアニメーションがあったり、スーパーマリオやゼルダの伝説(どちらも1作目だ!)が大写しされたりもします。不穏さがありつつもポップでもあるというのが、落ち付かないけど好奇心を刺激されるという本作の求心力でもあるのかなあと。

落ちつかなさという点では、サムの母親がジャネット・ケリーが好きだと言ったらサムがジャネット・ケリーの墓の前にいたりとか(ひょっとして母親は『サイコ』オマージュ?)、野外シアターでミッチェル監督の『アメリカン・スリープオーバー』が女優差し替え版で流れてたり、なんてのもそうですね。子供と大人の境界を描いた『アメリカン・スリープオーバー』を本作に組み込んでしまうことで、かつて描いた線引きさえ曖昧となっていきます。様々な意匠はポップカルチャーに限らず、「静かにしていろ」「ここは安全ではない」といった放浪者のサインに見る拒否感や、遠くに見えるハリウッドサインの手の届かなさ、なんてのもあります。ただジーザスのトイレのアレを映したのはキツいですね。お前の求めるものは所詮はクソだってことなのか?にしてもエグい。そんななか、たまたま再会した昔の彼女が婚約したというのはストレートに世知辛いです。彼女の顔が載ったコンタクトの広告コピーに「クリアに見えるようになる」みたいなのがあるのは自分と別れたからだ(だから成功した)、とサムは思ったことでしょう。

登場人物もやたら個性的。とにかくアンドリュー・ガーフィールドが脱ぎまくりのケツ出しまくりでヤりまくりなのが笑えます。サラのライリー・キーオは意外と出番は多くないんだけど、序盤のベッドでのイチャイチャやそこで見せる足のタトゥーとか、全裸プールがセクシーすぎる(ワンワンは怖いが)などでしっかり印象に残ります。サムと見上げる季節外れの花火、という落ち着かない美しさも。あれはお篭りを始めるための合図だったんですかね。部屋にライフマスクを飾るコミック・マンの偏執狂的な異様さだったり、女性もののシャツを着るサムの友人アランが普通なのに異質だったり、役者をやってるというシューティングスターのショートの子がエロかったり、墓石のテーブルであっけらかんと誘ってくるバルーン・ガールなども面白い。バルーン・ガールと会う際にサムはクスリ入りビスケットを丸ごと食して吐きますが、あれはサラの真似なんですよね。あくまでサムの求めるのはサラってことなんでしょう。


■混沌へのダイブ

知らなかった世界を知り、街に拒否され続け、それでもサラを求めたサム。そこには好きだった彼女の飼い犬に犬用ビスケットをあげて楽しかったあの頃に戻りたい、という過去の記憶にも繋がる思いがありました。それは現実の厳しさに疲弊した男のノスタルジーであり、救済を求める悲痛な叫びでもあります。一歩間違えればドッグキラーになっていたサムは、その点ではサラに救われたとも言えます。しかしようやくサラに会えたものの、事態は既に手遅れ。何も解決しないまま、サムの手はまたもや求めたものに届きません。サラが「早まった?」と言うのが、一緒になれたかもしれない可能性を思わせてせつないです。しかしモニターの向こうのサラは「生きてる間楽しむ」と宣言します。操られた結果だとか、先に待ち受けるのが死であるとか、そんなことは意に返さない真っ直ぐさ。サムも「僕もだよ」と返すしかないのです。

全ての謎が明かされ伏線が回収されるというわけではなく、わからないものはわからないままで終わります。コミック・マンは自殺だったのか?セブンスの娘を殺したのは誰か?などなど。あるいはヒントが示されているのかもしれませんが、一度観ただけではさすがに解釈しきれないです!もっと細かいところまで言及できそうだし。ただサムは、楽しかったあの頃には戻れないことを悟り、トップレス女性の部屋に転がり込んでホームレスになることを拒み、この混沌とした世界の中でそれでも生きていくことを選択します。トップレス女性の飼うオウムが何と言っているのか、何か意味がある言葉のように思えますが、結局何かは分かりません。それこそこのオウムは、意味ありげな言葉で惑わす世界のカオスそのものを表しているのでしょう。物語は混沌へと沈み、サムはやはり何者にもなれていませんが、その混沌にシルバーレイクの下に眠るサラも含まれるということが、サムにとっては何がしかの灯となるのかもしれません。

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