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2018
10.09

受け入れるための赦し、生きるための癒し。『若おかみは小学生!』感想。

wakaokami
2018年 日本 / 監督:高坂希太郎

あらすじ
グローリーさまー!



交通事故で両親を亡くした小学6年生の女の子おっこは、祖母の経営する旅館「春の屋」に引き取られることに。そこでおっこは旅館に住み着く幽霊の少年ウリ坊に出会う。ウリ坊の勧めで春の屋の若おかみとして修行することになったおっこは様々なお客と接することになるが……。令丈ヒロ子の同名児童文学をアニメ映画化。

全20巻の人気児童文学シリーズでテレビアニメ化もされた『若おかみは小学生!』、その劇場版長編アニメ。「おっこ」こと関織子は花の湯温泉にある祖母の旅館「春の屋」で若おかみとして生活することになり、そこで出会った幽霊のウリ坊やみよちゃん、転校先の同級生でライバル旅館の娘である真月、春の屋を訪れる問題を抱えたお客たちと接し、失敗して落ち込むこともありながらも少しずつ成長していきます。これが子供向け小説原作と侮ると意表を突かれるほど、実に素晴らしい出来。凝った構図と質の高い映像が、緩急ある演出で次々と繰り広げられる心地よさ。どのキャラも活き活きとして、時に華やかで時にせつなく、喜び悲しみ苦しみとあらゆる感情を刺激してきます。温泉街の楽しげな雰囲気に浸りコミカルなやり取りを楽しみながら、いつの間にかおっこを応援せずにはいられなくなります。

監督はスタジオジブリ作品で作画監督を務め、『茄子 アンダルシアの夏』では監督を務めた高坂希太郎、脚本は『リズと青い鳥』『夜明け告げるルーのうた』『聲の形』など多くのアニメ作品を手掛ける吉田玲子。複数のエピソードそれぞれがおっこへのフィードバックとなる構成がとても滑らかで、出会いと別れのインパクトから親密さを示す細かい表現まで演出が行き届いています。おっこの声は子役の小林星蘭で、少しおっちょこちょいで元気な小6生を見事に演じています。ピンふりこと秋野真月役に水樹奈々、お客の木瀬役に山寺宏一のほか、おっこの両親に薬丸裕英と鈴木杏樹、お客の神田役に設楽統といった芸能人枠も違和感なし。特に占い師グローリー・水領役のホラン千秋はとても良いです。と言うかグローリー・水領さまが最高です。

両親を失うという、設定としてはとてもへヴィななか、旅館の一員として働くおっこは頑張りすぎではなかろうかとも思うんですが、その健気さを序盤で肯定し、過去と現実を認識し、ついには赦しと癒しまでを現出させるのがスゴい。死んだ人との関係を忘れず、生きてる人との関係を丁寧に積み重ねた結果の深み。素晴らしいです。というかですね、落ち着いた和室と広々とした温泉、超美味そうな料理……春の屋泊まりたいなー。

↓以下、ネタバレ含む。








■緻密な情報量と丁寧な深み

ほっこりした絵柄やカラフルな色彩による児童向けのキャッチーさというのはありつつ、極め細やかな作画と練られた演出というのが随所に見られて驚嘆します。温泉街の楽しげな雰囲気、春の屋の落ち着いた空気感、学校での和気あいあいとしたイメージなどが、微細に描き込まれた美術や人物描写によってそれぞれ臨場感を伴い、作品世界への没入感を高めます。また序盤こそおっこの明るさと慌てん坊なキャラに忘れがちになりますが、両親が現れておっこと会話するというシーンがシームレスに挿入されることで、おっこがまだ両親の死を受け入れきれてないことを思わせるし、布団に潜っての中からの構図は、自分に伸びてくる手が忘れ難い温もりとして観る者にも伝わってきます。オープニングは両親と共に舞を見るおっこの姿が描かれますが、これがラストで舞を踊るおっこと対になっているんですね。

ウリ坊が秘密の場所を見せるときの色とりどりの花のシャワー、みよちゃんが仕掛けるこいのぼりのダイナミック空中演舞などは派手な仕掛けにウキウキするし、グローリーさんが温泉でグラス取って湯に戻るときの動きなどはちょっと今まで見たことのないしなやかさと色っぽさで唸ります。オーバーすぎるおっこの驚きポーズとか、ウリ坊のサムズアップが他の者にも移っていくのなども愉快。過去シーンでウリ坊が峰子と会話するときに「パン・ツー・丸・見え」のジェスチャーをやっていたり、みよちゃんがおっこのランドセルをそっとなでたりといったさりげない演出にはシビれます。あと露天風呂プリンとか肉料理の数々が食テロなみに美味そう。包丁に素材が反射して写っているという調理シーンからしてリアル。緻密な作画による情報量と、丁寧に描くことによる深みが尋常じゃないです。


■肯定と認識

おっこが旅館で働くことになるのはウリ坊のたっての願いがきっかけですが、やると決めた後は自ら率先して働いており、決して強制ではありません。ただ、はたから見ればそこまで頑張らなくても、とは思うんですが、そこで関わるのが神田親子です。おっこと同様に母を亡くしたあかね君は全てに無気力になり、旅館の対応にも文句を付け、頑張っているおっこに対しても否定的なことを言います。あかね君が「あーあー」と毒づきながら我慢できずに涙を流すところなどは、抑えがたい傷心が見て取れます。これに対しておっこは客相手にも関わらず怒りをぶつけるんですね。その理由から大人たちが容認している独りよがりな振る舞いに、同じ立場の者として頑張ることを否定させまいとする、同情ではない接し方であり、これがあかね君の心を開きながら、同時に健気であることは惨めなのではなく生きるということの肯定なのだ、と描いてみせるのです。

グローリーさんとのドライブでは、事故のことを思い出し車内で過呼吸となるおっこ。飛び込んでくる車のフラッシュバックが生々しく、おっこが事故を吹っ切ったわけではなく記憶を封じ込めていただけであることがわかります。過去を認識することを強いられ、現実が変わってしまったことが否応なく突き付けられるんですね。かなりヘヴィな展開ですが、それでもグローリーさんのおかげで働く以外の楽しいことを満喫する、ということをおっこは知ります。グローリーさんの年の離れた友人っぷりがとても良くて惚れますね。グローリーさん激マブ。彼女をフッた奴がいるとか信じられんですな!

グローリーさんに限らずキャラクターは皆奥行きがあって良いです。最初こそイタい勘違い娘かと思われたピンふりちゃんが、実は誰より花の湯温泉のことを考え勉強している凄い子だというのが熱いです。ウリ坊は最初はデリカシーなく現れて若干のめんどくささがありましたが、峰子ちゃんラブな一途さに好感度がアップしてくるし、敵対していたみよちゃんがいつの間にか仲良しになってくるのも微笑ましい。みよちゃんは妹よりおっこにかまけすぎじゃないかと思うんですが、実家では彼女が見える人がいないという寂しさがあるんでしょうね。鈴鬼はウリ坊やみよちゃんとは異なり、人間界と霊界を俯瞰できる立ち位置にいます(食べ物も食えるし)。春の屋に(厄介な)客を呼び込む座敷童的な存在であり、そういう意味ではおっこに試練を与える立場でもあるので、すっとぼけた感じと裏腹に実はかなり重要な役回りであると言えるでしょう。


■前へ進む決意

そんな試練の最終段階が木瀬親子の逗留です。必死でおもてなしした相手が事故の元凶であるという運命のいたずらは、いくら何でもというさらにヘヴィな展開。しかも九死に一生を得てまた旨いものが食べられる、という木瀬を描いた後の真相発覚です。頑張ることを肯定し、過去の認識をしたうえで生活していたおっこへ「許せるか」という投げかけをしているのです。ここまで泣くことのなかったおっこが、ここでついに号泣するシーンは胸が締め付けられるよう。しかしおっこは結果的に逃げずに「春の屋旅館は誰でも受け入れ、誰でも癒す」の理念に立ち返ります。おっこが若おかみとして接した人々には心の傷を持つ者もおり、そんな人たちが現実を受け入れて前を向く姿を見てきたことが、おっこに生のエネルギーとして息づいています。決して乗り越えたわけではなく、悲しみが癒えたわけでもない、でも許すことで前に進むことを自ら選んだのです。「俺がツラい」と言って立ち去ろうとした木瀬が春の屋にとどまるのは、そんなおっこを見て彼もまた現実を受け入れる覚悟をしたからでしょう。赦しが癒しへと繋がり、生きることへと連鎖していきます。

一方でおっこには、ウリ坊やみよちゃんの姿が見えなくなるという別れが訪れます。これはおっこが「生」を意識するほどにその対極にある「死」も認識せざるを得なくなり、死んだ者にはもう会えないという現実を受け入れることで死者である二人の姿も見えなくなっていったのでしょう。とても寂しいですが、おっこが前へ進んだことの結果であるため、せつなくも晴れやかな結末となっています。

というわけで、本作はタイトルから感じるラノベ的なニュアンスとは全く異なり、生と死にしっかり向き合い、それを説明的な台詞ではなくキャラの動きや画の説得力で丁寧に描き、涙なくして観れないのに笑いと暖かさで楽しくも見せてくれるという、実に素晴らしい出来でした。繰り返して観るほど好き度が深まりそうな予感がします。

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