FC2ブログ
2018
09.27

この価値観は奪わせない。『響 HIBIKI』感想。

hibiki
2018年 日本 / 監督:月川翔

あらすじ
文句があるなら私にどうぞ。



文芸雑誌「木蓮」編集部に届いた新人賞への応募原稿。応募要項を無視していたため破棄寸前だったその原稿を読んだ編集者の花井ふみは、その完成度に衝撃を受ける。それは15歳の女子高生・鮎喰響によって書かれたものだった……。柳本光晴のコミック『響 小説家になる方法』を実写映画化したドラマ。

文芸界に突如現れた天才小説家、15歳の女子高生・響を中心に、彼女を取り巻く友人や編集者の姿、やがて巻き起こる文壇の一大センセーションが描かれる、一言で言えば「天才もの」です。近年でも『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』の数学者、『博士と彼女のセオリー』の物理学者、『スティーブ・ジョブズ』の技術者(と言うよりはビジョナリーか)、『累 かさね』の女優、などがありますが、理系ではなく絵的にも映えない小説家というのが珍しい。小説なら読むのも書くのも好きという主人公の響、一見おとなしめの地味な女子高生ですが、これが敵と見なした相手は容赦なくブチのめし(比喩ではない)、破天荒に映る数々の言動を披露して度肝を抜いてくれます。そんな響の書いた小説「お伽の庭」がとんでもない傑作であったために、響の言動と相まって周囲に多大な影響を与えていきます。

響役はこれが映画初出演にして初主演となる「欅坂46」の平手友梨奈。原作に比べて顔がふっくらしすぎかなーとか思ってましたが、つっけんどんでキレ味のいい台詞回し、目付きの鋭さなどまさに響で、ともすれば『あさひなぐ』のようにアイドル映画寄りになるのでは、という心配を払拭してくれます。まあ響もある意味アイドル視されるキャラでありながらそれをブチ壊していくので、平手友梨奈のパブリック・イメージには合ってる感じでしょうか(欅坂ほとんど知らないので印象ですが……)。編集者の花井ふみ役には『探偵はBARにいる3』北川景子、響の入る文芸部の部長・祖父江凛夏役に『パコと魔法の絵本』アヤカ・ウィルソンですね。小説家の山本役に小栗旬、田中役に柳楽優弥という『銀魂』コンビが登場してますが、二人の絡みがないのは残念。また高嶋政伸は編集長役として嫌なヤツ度を底上げしてます。大作家・祖父江秋人役のまさかの配役にはちょっと驚き。監督は小栗旬と北川景子も共演した『君の膵臓をたべたい』の月川翔です。

原作からバッサリ切られた要素もありますが、脚色は上手くいってるんじゃないでしょうか。響の突飛な言動は人によっては引くだろうけど、好きなものには徹底して真摯、友人への侮辱は許さない、やられたらやり返す、というのを世間の常識より重要視してるわけで、それは自分の価値観を信じるということの究極の形でしょう。それを真正面からぶつけてくるのが痛烈です。

↓以下、ネタバレ含む。








天才小説家の話というのは珍しいと言いましたが、それはビジュアルで表現するのが難しいからなんでしょうね。画家とか写真家とか役者なら画や動きで見せることができますが、小説となるとテキストを見せるのか読み上げるのか、みたいになって映像としては地味だし、小説の世界を映像化して描くのもちょっと違うでしょう。元々絵であるコミックを題材にした『バクマン。』などとも異なり、読んだ人がそれぞれの世界を思い描くのが小説であるからです。そもそも「小説家」を描く「コミック」の「映画」化、というのもちょっとややこしい。そういうのもあってか、小説の内容そのものは脇に置かれ、その小説への評価やそれを書く人々のドラマになっており、小説よりも響のキャラクターがメインになっています。実際小説についてはぼんやりしたあらすじくらいしか語られず、作者のキャラクターが小説の内容と結び付くわけでもないですね。本作は響という天才を通して、文壇の抱える閉塞感、もっと言えば人が抱えている本心、といったものを露にする構造になっているわけです。

物語の中核を成すのは主に二点、一つめは天才ゆえの突飛さ、二つめは天才を目の当たりにした人々の反応です。一つめの方は常軌を逸した響の言動として山ほど出てきます。「殺すぞ」と凄んだ隆也の小指を折ったり、本棚の面白い本、つまらない本をわけるところにキレて本棚倒したり、鬼島にいきなり顔面キックかましたり。自分を守るためとか、つまらないものはつまらないと言うべきとか、友人を侮辱されたからとか、一応理屈は通っていると言えなくもないんですが、世間の常識とはかけ離れているし法的にはアウトなものもあるでしょう。空気を読まない、ということでもあります。ただそれらの言動は自身の価値観に基づいた結果であり、これが常人とは異なる発想を産む天才ゆえの価値観ということを表しているのでしょう。それはかつて天才だったいう鬼島が、芥川賞を取りメディアに頻出するようになってから失われた個人特有の価値観でもあります。また「私はあなたと話してるの」と言うように、世間とか大きな括りではない個と個の対話にこだわる辺り、対峙しているのは同じ人間だという意識が強いんでしょうね。先輩作家たちを呼び捨てにするのもそんなところから来てるのかも。

二つめの他の人々の反応については、明らかに自分より優れた才能に出会ったとき人はどうするかという同業者の視点、この才能を世に出すべき、あるいは金になるという編集者や出版社の視点、史上最年少での賞の受賞や奇異な行動が格好のエサに映るマスコミの視点、話題性に踊らされる世間など、様々な視点が描かれます。特に同業者にとっては才能の差を目の当たりにするという試練になるわけですが、それが自分自身を見つめ直すことに繋がっていくんですね。思うようにデビュー作を書けなかった凛夏は響との差に愕然となりながら、それでもやはり書きたいという思いに至ります。鬼島は自身が失ったものを思い知り、響に未来を託します。田中は晴れの舞台にパイプ椅子でブン殴られながらも、見知らぬ人へ「俺は読んだよ、魂が震えたぜ」と賞賛するまでに。響の作品は文学界に新たな光を当て、各人が抱えるもやもやをも吹き飛ばしていくのです。ただ山本だけは、己との戦いに敗れて死のうとするのを、作家としての響ではなく人間としての響に結果的に救われます。この辺りに響の人間性と作品が与える影響とが微妙にリンクしてるように感じられて、作品自体を描かない薄さが緩和されているんじゃないでしょうか。

どの視点に対しても響の態度は変わりませんが、対マスコミに関しては会見入場時のフード姿がボクサーの入場のようで、これから戦いが始まるみたいな雰囲気満点です。案の定一大バトルが展開されますが(それはふみを侮辱されたからなんですが)、ここで平手友梨奈が見せる飛び蹴りシーンが凄い。蹴りを入れてから着地するまでの滑らかさ、最後の立ち姿まで決まりまくりなのが素晴らしく、思わず『マトリックス』のキアヌ・リーブスを思い出しちゃいましたよ。平手友梨奈の身体性の高さが実感できます。凛夏と殴りあうシーンでは響の方は殴られても体の軸がブレなかったりするのもあって(これは演出でしょうが)響って格闘家か何か?とも思うんですが、一方で「あなたの作品好き」と言うときやアルパカにもふもふするときの笑顔は実にキュート。彼女をはじめ役者陣は皆良いです。北川景子はちょっとわざとらしい感じもしますが、アヤカ・ウィルソンの張り付いた笑顔がはがれる瞬間とか、小栗旬の追い詰められた雰囲気とかイイ。小栗旬の演じる山本は、耳栓してタイピングしてる音がまるで深い海底にいるようで息苦しい、という演出や、周りがスマホのなかガラケーなのが本当に電話とメールでしか使わないんだろうなという世俗を離れた感じも良かった。あ、祖父江秋人役が吉田栄作というのはブッ飛びました。

残念なのは原作にある文芸部回りが削られていることですかね。本来はもう一人花代子というキャラがいるんですが丸ごとカットされてるし、涼太郎は実際はもっと気持ち悪いヤツなんですがなぜか隆也と仲良しになってコミカルさアップ、部のエピソードも最小限に抑えられて、主に凛夏との関係に絞っています。まあこの辺は尺の関係もあってしょうがないところだし、単体の映画作品としては上手くアレンジされていると思います。ただマスコミが家まで押しかけて来てるのに両親の描写がない、というのはちょっと不自然ではありますかね。

響は別に自分の価値観を押し付けているわけではなく、自分の道理を曲げないだけです。むしろ他者とそれを共有したいというのはあるのでしょう。新人賞に応募したのも人が読んで面白く思うか知りたかったからだし、つまらない小説をつまらないと断罪するのも本当に小説が好きだからです。どうしたって主観なのでそれが正しいとは言えないし、若さゆえに暴走したり許されたりもしてるんでしょうが、「他人に言われてやめるのではなく、自分が好きだから書く」という止められない熱意には、確かな正しさと若さがあるんですよねえ。天才ゆえに孤高、しかし見えない熱さが周囲を変えていく。そこが響の魅力だと思うのです。

スポンサーサイト



トラックバックURL
http://cinemaisland.blog77.fc2.com/tb.php/1436-e5b8ddc1
トラックバック
back-to-top