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2018
08.01

小さなお庭の大きな世界。『未来のミライ』感想。

mirai_no_mirai
2018年 日本 / 監督:細田守

あらすじ
ふしぎ!



住宅街の真ん中、木の立った小さな庭を囲むような家に、おとうさんおかあさんと暮らす4歳の男の子くんちゃん。ある日、家に生まれたばかりの妹、ミライちゃんがやってくる。両親の愛情を妹に奪われて面白くないくんちゃんだったが、そこに未来から来たという成長したミライちゃんが現れる……。細田守監督によるオリジナル長編アニメ。

『バケモノの子』の細田守監督が今回描くのは、監督作の主人公としては最も若い4歳の男の子、くんちゃんを中心とした家族ドラマ。まだまだ親に甘えたい盛りのくんちゃんは、新たにできた妹にかかりっぱなしの両親にご立腹。そんなくんちゃんの前に現れたのは、未来からやってきた成長した妹のミライちゃん。ということで、くんちゃんの不思議な体験を通して様々なドラマが描かれます。細田監督は『サマー・ウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』と一貫して家族や親子を描いてきており、本作もテーマ的には通じているのですが、それでも家族の物語をこうもあからさまにやるとはちょっと驚き。ひたすら展開される育児あるあるがちょっとツラくなったり、小さな子の冒険譚みたいなのを期待すると少々肩透かしではあります。でも実在感あるキャラや美術の良さと、過去や未来を行き来する不可思議さはとても良くて、下の子ができて親の愛情を奪われるという『ボス・ベイビー』などでも描かれた思いや、色んな人に出会って得るものなど、くんちゃんが幼いながらもちょっとずつ成長する姿が立ち上がってきます。

名の通った監督のアニメ作品となるとどうしても本職の声優ではないキャスティングになりがちですが、本作もご多分に漏れず。でもそんなにノイズにはならない実力者を揃えてきたという感じではあります。くんちゃん役の上白石萌歌は声優初挑戦とのことですが 、イヤイヤの仕方とか泣き声とか上手いです。他は声優経験済みのキャストが多く、ミライ役には『おおかみこども』を始め細田作品3度目となる黒木華、おとうさん役に『夜は短し歩けよ乙女』星野源、おかあさん役に『百日紅 Miss HOKUSAI』麻生久美子、祖父役に『バケモノの子』役所広司といった布陣。

積み重なるリアルな日常の風景をどう捉えるか、というので好みは分かれるところでしょう。最初観たときは、なんかなー、わかるけど、でもなーという少々複雑な心持ちでした。とは言え、小さい息子を持つ身としてはそこかしこで泣かされたのも確か。それにカメラワークであるとか、デザインや演出、特に小さい子供の動きや台詞などはスゴく良いんですよ。異世界への旅もファンタスティックで、特に東京駅のシーンなどはホラー味もあってとてもイイ。OP&EDが山下達郎というのはやりすぎ感もあるし、人によって受け取り方もかなり違ってくるだろうとも思いますが、色々思い返してみると結構これ好きかも。

↓以下、ネタバレ含む。








■育児と異世界

予告を観たときから危惧してましたが、やはりくんちゃんの声質が4歳の男の子の声じゃないのは気になります。自転車を一緒に乗ろうと言ってくる子たちの声は違和感ないだけに、そこはどうしても引っ掛かりました。ただ感情表現やちょっとした言い回し(「あっ」とか「やーだー」とか)など演技自体はとても良かったし、だんだん馴染んではくるので最終的には受け入れてましたけど。また、育児あるあるがちょっとツラいと言いましたが、正確には育児に関わる夫婦間の会話の、親なら誰もが言いそうな点とかが普通すぎてつまらないです。父親の家事育児ダメっぷりも酷くて、仕事に逃げてたとか、子供に興味出てきたーとかサラッと言う無責任さには、同じ父親としてイラつくんですよ。まあ似たようなことをしてきた父親たちに対し自覚を促すという意図があるのかもしれませんが。確かに子供が呼んでるのに返事が上の空とか、思わずイラついて怒っちゃうとか、親なら経験ある人も多いとは思うんですけど、だからといってそれを見せられてもなあという感じ。だから親も成長していくのだ、という視点は正直なくてもよかったと思うんですが、それも含めて家族のドラマと言われればまあそうなんでしょうが。

異世界パート自体は好きです。日常にスルッと入ってくる非日常がガラス窓ひとつ隔てて行われているというのがちょっとスリリングでもあり、時を越えるというSF的な展開も体験するのが4歳の子ということであまり疑問に思われずに進むのが心地よいです。常に「庭」が起点となるのが、衣装タンスを潜ったら別世界とか、そういうファンタジーのテイストを受け継いでてイイ。なぜくんちゃんにそれが起こるのか、なぜ時間を移動できるのか、未来のミライちゃんはどうして過去に来れたのかなどは謎のままですが、そこに余計な説明を付けないのはむしろ論理を越えたファンタジックさがあって、かえって良かったです。ただ、庭だけで完結せずに現実の部屋の中にまで入ってきちゃうのは線引きが曖昧かなあとは思います。同一人物が同じ部屋には存在できないというのはあるようですが、別の場所ではくんちゃんが同時に存在したりするし。ここら辺は好みかとは思いますが、個人的には庭の境界は超えられない、みたいな暗黙のルールがあってもよかったかなと。でもそれだとユッコやミライちゃんのエピソードが成り立たないんですけど。あと雛人形の杓を父尻から奪取するとき三人揃って近付くのは、コミカルさを優先したにしろ必然性がなさすぎてどうにも不自然。と言うか親父気付かなすぎ。


■斜め屋敷の幼児

映像のクオリティはどのシーンも素晴らしいです。実写のような空撮での街並み、魚の群れの奔流、戦後の日本の田舎道、馴染みがありそうなのに違和感に満ちた東京駅、インデックスの電子的空間などなど、美術も色彩も細部まで凝っている印象。特に舞台となるくんちゃんの家は、建築家が設計した家というコンセプト通りシャレてはいるけど異質なデザイン。ドアが少なく階段を多用した斜め屋敷な作りは、見た目の斬新さだけでなく人物のアクションにも活かされていて面白い。バリアフリーとは言いがたいですが、意外と住みにくくもないかも。あと奥に行くにつれ高くなっていくわけですが、その下の部分は何かあるんだろうか?と思って公開されてる平面図を見ましたが、何もなさそう。どうやらあれでも平屋の2LDKらしいです。

くんちゃんの本名はハッキリしませんが、親が「くん」と言うシーンがあるのでそのまんまなのか?成長したら「くん君」と呼ばれるのか?まあそれはともかく、小さい男の子の動きとか台詞などは相当リアルで、階段を一段ずつ登り降りする動作や「やーだー」とか「好きくない」という言い回し、指の動かし方、ほっぺの柔らかそうな感じに至るまでイイ。プラレールに夢中で、新幹線や列車の名前がスラスラと出てくるのなんてうちの子そっくりだな、とか思いますよ。赤子が泣いておにいちゃんも泣いておかあさん怒っておとうさんテンパる、という修羅場もあるあるでしょうね。細かいところでは、ガラスに顔を近付けすぎてすぐ曇っちゃうとか、東京駅で親の名前が言えないとかの細かさには感心します。降ってくる雪や目の前の赤ちゃんに「ふしぎ」って言っちゃうのもカワイイ。未来のミライちゃんによる「ハチゲーム」で妙な感覚に目覚めてるように見えますが、子供は楽しいスキンシップは何度も繰り返し要求してくるものなので、別に変ではないんですよ。まあ顔が上気しちゃってるのがアレですが……。その後赤子ミライちゃんがハチのオモチャを持ってるというのが愉快。ちなみにくんちゃんのいる場では、親や祖父母の互いの呼び方が子供目線の呼称を徹底してるんですね。


■5度の不可思議

異なる世界を行き来するのは細田作品の特徴でもありますが、くんちゃんには異なる5つの異世界体験が訪れます。だんだんスケールアップしていく冒険はそれぞれが結び付くわけではなく、その都度現実のくんちゃんにフィードバックされる、というのが繰り返されます。色々混ざってたりするので多少混乱するものの、それぞれにメインのテーマというのは見られますね。1度目は擬人化された犬のユッコにより、両親の愛情を奪われたことによる「嫉妬」の感情が提示されます。くんちゃんとミライの扱われ方の違いは、ユッコとくんちゃんのときと同じであり、嫉妬される立場もあるということをくんちゃんは学ぶわけですが、それよりは犬化して自由に走り回ることで機嫌が直った、という感じですかね。

2度目は未来のミライちゃんが現れ、雛人形片付けミッション遂行。ミライちゃんが「一緒に何かをすると仲良くなれる」と言うことからも、誰かと協力して事を成し遂げるということを描いているのはわかります。ただミライちゃんが婚期遅れの迷信を気にしているというのが、今時そういう理由でキャラを動かすか、とちょっと鼻白む気も。

3度目は子供の頃のおかあさんに会うことに。導入部の魚の群れは母の実家にある水槽の魚なんですね。子供おかあさんは子供らしくない言い回しも使うおませさんで、自分が一番愛されてるとか動物に好かれるとか思い込んでいる自信家で、くんちゃん以上の破壊衝動を持つパンクスです。一緒に羽目を外して散らかしまくり、祖母に叱られるのをドア越しに聞くくんちゃん。そんな子供母との邂逅を経て、「おかあさん好きくない」と言っていたくんちゃんは、寝ている母の涙を見て頭を撫でます。悪いことをして怒られるということの客観視、そして思いやりや他者への愛情を知る旅だったということでしょう。ついでにお願いの手紙は靴に入れるというテクも学びます。

4度目は若きひいじいじに会って、乗り物に乗るときは遠くを見るという教えを受け、見たことのない景色を見る感動を知ることに。これは未知のものに自ら立ち向かう勇気をもらうということですね。おかげで自転車に乗れるようになるシーンは泣けるし、ひいじいじと見た景色が時を超えてそこに在るというのもじんわり。劇中最も成長を見せるエピソードでもありますが、ちょっとね、いくら何でもひいじいじカッコよすぎるだろう。と思ったら、声は福山雅治というダメ押しまでかましてくるの何なんだとは思いますけどね。あとひじいじをおとうさん呼ばわりしてたために、実の父が自分のことかと思って涙ぐむのはさすがに不憫。

5度目は家出したくんちゃんが未来の東京駅へ。氾濫する情報と顔のない大人たちで溢れる駅は見知らぬ世界、と言うかもはや魔界っぽい。そしてそこだけ平面な遺失物届出係の駅員が超恐くて、メガネをチャキチャキ言わせながら次々質問してはダメ出ししてくるし、ひとりぼっちの国行きって何だよ怖いよ。本作の登場キャラで最もユニーク。さらには幽霊列車(from 鬼太郎)か漆黒の新幹線(a.k.a. ブラックシンカリオン)かという地獄味満載の電車まで。このパートでは、自身の存在意義、いるべき場所、そして兄としての自覚といったものが見られます。なくしたのは自分自身、とか言われると自意識とかそういう話かと思いますが、さすがにそこまでは行ってないですかね。必死にミライちゃんを助けながら「くんちゃんはミライちゃんのおにいちゃん!」と言うのはね、それは予測できる台詞ではあったんですけどね、でも泣きますね。


■親のような視線

といった感じで、ちゃんとその前後で前振りとか説明とかしてるのもあって、それぞれのパートの役割みたいなものは何となく伺えます。むしろ説明は多すぎるくらいで、事前に写真で小さい頃のおかあさんを示しておいたり、戻ってから写真を見てひいじいじと気付かせたり、ホームで出会った青年が成長したくんちゃんだというのもミライちゃんを使ってわからせたりしますね。正直その辺りは誰だったのかは匂わすくらいにして明確にしない方が想像の余地があって面白いと思うんですが、くんちゃんがわかる必要があるのでやむなしか。

あと、簡単に言えば行って戻っての繰り返しという構成なので、それが少し退屈に思えてくる、というのはあるでしょう。しかしそこにはそれぞれが独立していて繋がらないと思っていた異世界が、実は一族を通したドラマとして繋がっていたという大きなうねりが仕掛けとしてあるわけで、「あのときああしなければ、今の自分たちまで繋がらなかった」という、血脈というテーマが広がっています。おとうさんは子供の頃自転車に乗れなかった。ユッコは親と別れてもらわれてきた。おかあさんはひな鳥の死を見て猫が苦手になった。そんな過去があって今日に至っている、というわけですね。ただしこれも少々説明過多というか、最後に無理やりねじ込んできた感がなくもないです。ひいじいじの走る姿には泣けますけど。

じゃあ結局何を一番伝えたかったのかと言われれば、それはもう「くんちゃんは私の宝」ということでしょう。と言ってもくんちゃんの両親が中心ということではないです。なぜここまでくんちゃんの描写が事細かに映し出されるのか、なぜくんちゃんにいくつもの異世界体験が訪れるのか。そこには幼い息子の成長を見守る親のような視線(親の視線、ではなくもっと俯瞰的に見守るような視線)が常にあります。それぞれの世界での学びについては、くんちゃんが幼すぎるのもあって自転車以外は明確な成長をしたかどうかが見えにくいんですが、実は色んな経験からちょっとずつ吸収しているからある日突然ポッとできるように見えるわけです。妹ができて共に過ごすようになる過程にも、実際は様々な感情のせめぎあいや気付きがあるわけですね。そんな成長の一部始終を見ていたい、いろんなことを教えてあげたい、はじめてのおつかい的な姿も見たいという、つまりこれは細田監督の親としての情愛そのものです。

だから「ちゃんと親をやれているのか」に対して「ほどほどでいいんだ」みたいなエクスキューズはむしろ余計に感じるのですよ。だって親としてどうかという以前に、くんちゃんが健やかに育っていく姿を見守ることの幸せがメインだからです。そのために付け足し感が多くバランスが歪であったり、タイトルのわりにミライちゃんの比重が少なかったりしますが、息子ラブ度だけは抜群に感じられる作品になっていると思います。

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