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2018
07.29

響けこの歌、届け魂の叫び。『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』感想。

sino_cyan
2017年 日本 / 監督:湯浅弘章

あらすじ
路上デビュー!



高校1年生の大島志乃は、上手く言葉を話せないために周囲となじめない日々。しかしある日の校舎裏で同じクラスの岡崎加代に話し掛けたのをきっかけに、彼女と一緒に過ごすようになる。加代にバンドを組もうと誘われた志乃は少しずつ変わっていくが……。押見修造の同名コミックを実写映画化した青春ドラマ。

原作は作者である押見修造の実体験を元にしているようです。新たに始まった高校生活、しかし吃音のためまともに自己紹介もできず、授業で指名されても上手く答えられず、悪ノリが過ぎるクラスの男子・菊地にからかわれ、ますます喋れなくなってクラスで孤立してしまった大島志乃。そんな志乃がちょっとした切っ掛けで話し掛けたのは、これもまた周囲に馴染めずにいたクラスメイトの岡崎加代。この二人を中心に物語は進みます。音楽好きの加代に誘われ、加代のギターに合わせて歌を歌うようになる志乃。二つの孤独な魂が寄り添い、かけがえのない時間を共有していくなか、やがてある事態が訪れます。これは爽やかさよりも痛みを感じる青春映画。愛しく、せつなく、胸に突き刺さります。

時代設定は80~90年代というところでしょうか、まだケータイもなくリアルで人と話すしかない時代、喋りたいのに喋れないというのがどれほどツラいか。上手く言葉にできないという経験のある人には迫ってくるような演出の数々。志乃役の南沙良は、吃音という、ともすればわざとらしくなりそうな難しい設定をよくこなしています。鼻水垂らしながらの熱演が素晴らしい。加代役の蒔田彩珠はつっけんどんな感じとは裏腹に人を蔑まないという面、そして秘めた情熱を持っている面などがとても好ましい。時折見せる笑顔がたまらなく可愛いです。この子スゴくイイ。そして菊地役の萩原利久、なぜお前はそういう……と思わせつつふと見せる本心が響きます。ちなみに志乃の母役である奥貫薫、相変わらず年齢不詳な美しさ。あと渡辺哲がとてもイイ味出してます。

コンプレックスにより上手くできない苦しみ、繋がりたいのにそれができない悲しみ。女子高生同士が音楽を通じて繋がり合う『リズと青い鳥』とも、人との差異に孤立しながらも自分らしくあろうとする『ワンダー 君は太陽』とも違い、百合っぽいとか人との違いを乗り越えるとかいう先入観だけで観るとかなりツラいです。二人に絡むドン引き野郎の菊地に怒りを覚えながらも、気持ちもわかるというのがまたやるせない。『あの素晴らしい愛をもう一度』や、THE BLUE HEARTS『青空』などの楽曲を歌う彼女たちに惹き付けられ、音楽の持つ力が感情にドライブをかけていきます。そして、甘くはない、それでも生きるのだという言葉の重みが響きます。

↓以下、ネタバレ含む。








自己紹介の順番がどんどん迫ってくる緊張感。追い込むようなカメラワーク。何度も練習したのに全く出てこない自分の名前。単に緊張しているからではないし、頑張ってないわけでもないのに、大勢の視線を浴びると話せなくなってしまう。吃音(その言葉は劇中では出てきませんが)のために苦しむ志乃の姿はとても痛々しいです。親とは普通に話せるのに、思わず姓名を逆に言ってしまったり、言いやすい英語混じりの言葉を使ってしまって笑われ、余計喋れなくなってしまう。これを面白おかしく囃し立ててしまう菊地のようなヤツのため、志乃の傷はさらに抉られます。担任教師が緊張してるとか馴染んでないとか理由付けするのは、理解を示そうとして理解してない感が満載。暗に志乃に問題があると言ってるようなもので、正しさという名の暴力であることがわかってないんですね。

そんな志乃に対し、加代は志乃の言葉を基本は遮らず最後まで聞きます。そして決して笑わない。そして「話せないなら書けば」と鉛筆とメモ帳を渡します。否定はせず、同情もせず、言いたいことがあるなら聞こうという、それだけの対応。愛想はよくないけどとてもフェアな態度だし、優しい。加代自身が大好きな音楽をやりたくても音痴のために歌えないという悩みを抱えているから、というのもあるでしょう。だから加代の歌を思わず笑ってしまった志乃に激怒するんですね。それが加代をどれだけ傷付けたかがわかったから、泣きながら謝る志乃。ここで志乃の言葉がスムーズなのは、どうしても伝えなければいけないという思いがあるからでしょうか。同じことがラストにも表れます。

そんな経緯があるので、加代が志乃をバンドに誘うところには本当にじんわりするし、二人が路上デビューするところなんて観てるこちらもドキドキもんですよ。加代の歌が壊滅的に下手なのはともかく、最初の橋上でのギターまで上手く弾けないのには、加代もまた緊張しているというのがスゴく伝わります。そんなステージを何度も重ねて二人で乗り越えていく姿を、「しのかよ」の歌に乗せて描くところが本当に観てて幸せで、そりゃ無愛想な渡辺哲も微笑みますよ。志乃の歌はそこまで上手いというわけではないものの透明感ありますね。そもそも志乃は「何か面白いこと書いて」と言われていきなり下ネタぶっ込むような、本当はよく笑う愉快な子なわけで、加代も普段の不機嫌そうな顔からは想像もつかないような明るい笑顔を見せるし、そんな加代の前でなら志乃もあまりどもらずに会話できるようにまでなっていて、本当もうこの二人が愛おしくてしょうがないです。

そうして寄り添っていた二つの孤独な魂を、もうひとつの孤独が結果的に裂いてしまうという悲劇。加代はその優しさゆえに中学の頃いじめられて友達もいない菊地に声をかけたわけで、本当にイイ子なんですが、自分を笑いの対象としていた菊池を志乃は許せないし、そんな菊池に加代を取られたという思い、なぜ菊池なんぞに構うのかと言う加代への苛立ちで、また上手く喋れなくなってしまいます。菊地は調子に乗りすぎるのが悪い癖だと自覚はあるし、周囲から浮くような喋り方しかできないという点では志乃と同じように悩んでおり、だから周りに迎合せず楽しくやっている志乃と加代に混ざりたいと思うわけで、「やっと見つけた居場所だからなくしたくない」というすがるような気持ちもわかります。でもそれは志乃にとっては身勝手さでしかないし、それでいてそう思ってしまう自分も身勝手だとも思っている。頭ではわかっていても心がついていけない。だからツラい。加代の「言ってくれないとわかんないよ」に対し何も言えず、「こんなにツラいなら一人でいい」という結論を出してしまう志乃。菊池の「お前ダセェよ」という精一杯の思いは志乃に届いていないわけではなく、志乃もそう思っているけどどうしようもできないのでしょう。

序盤では加代のあとをカラオケ屋までついていった志乃の姿が、終盤では志乃のあとをついていく加代に重なります。しかしバス停で並んで夜を明かしながらも、「バイバイ」と言って去り行く加代と、それを追えない志乃があまりに悲しい。でも加代は学園祭で一人で歌う「魔法」で、人と同じに喋るのも人と同じに歌うのもいらないと、志乃とのことを歌い上げます。あの音痴の加代ちゃんが音を外さぬよう必死で歌っているその歌は、志乃に向けられた志乃のための歌です。だから志乃は本当の思いを加代にぶつけるために現れます。喋れれば私だってもっと上手くできると。でも怖いのだと。私を笑うのは、バカにするのは、追いかけるのは、私自身なんだと。加代が歌ったのは志乃への別れと激励の歌であり、志乃の言葉は加代へ自分の弱さをさらけ出す魂の叫びです。涙と鼻水でグシャグシャの志乃、静かに微笑む加代、二人を称える菊池。カッコ悪いけど、だからこそとても熱いです。

ひょっとしたら志乃が戻って二人で歌う姿が見られるのでは、などという甘い展開にはせず、より現実的な帰結を迎えるのは非常にシビア。しかも学年が変わってクラスも離れてしまったのか、菊池は校舎の隅で一人弁当を食べ、加代は屋上で一人曲作りに勤しみ、志乃は教室で一人座っているというのは、元に戻るどころかそのまま疎遠になってしまったということなのでしょう。キレイにまとめて終わるようなことはせず、一度壊れたものは取り返しがつかないという苦さは覆りません。眩しさだけではない、痛みを知るというのもまた青春。そして人とは違うということを抱えて、それでもなお生きて進んでいかねばならないということを知るのです。志乃がクラスメイトからもらったジュースに、どもりながらも「ありがとう」と返す笑顔。そこに微かな成長と、一縷の希望を見出すのです。

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