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2018
06.25

世界は残酷で倦怠で美しい。『ビューティフル・デイ』感想。

You_Were_Never_Really_Here
You Were Never Really Here / 2017年 イギリス / 監督:リン・ラムジー

あらすじ
ハンマーが振り下ろされる。



行方不明の少女たちを捜し出すことで生計を立てている元軍人のジョー。ある日彼の元にやってきた政治家が娘のニーナを捜してほしいとジョーに依頼する。ほどなくニーナを見つけ出したジョーだったが、そこにはとある秘密が隠されていた……。ジョナサン・エイムズの同名短編小説を元にした『少年は残酷な弓を射る』のリン・ラムジー監督によるクライム・サスペンス。

2017年の第70回カンヌ国際映画祭で男優賞と脚本賞をダブル受賞した本作。トラウマを抱えながら行方不明の少女を探す元軍人ジョーと、彼の救った心の壊れかけた少女ニーナ。そんな二人の逃避行が描かれます。説明はほとんどなく、セリフすら必要最低限、劇中の描写だけで表していくような作りになっており、それは難解さをもたらすとも言えますが、観る者が察していくということでもあり、これが非常にスリリング。なぜジョーは少女の捜索を生業としているのか。なぜニーナはカウントを続けるのか。そしてなぜ二人は追われるのか。淡々としながらときに激しい語り口、生々しい死の描写、出口の見えないドラマに引き込まれます。その緊張感は上映時間90分が長く感じるほど。

ジョー役は『her 世界でひとつの彼女』『インヒアレント・ヴァイス』のホアキン・フェニックス。ハンマーで淡々と殺していくその姿は、狂気と言うよりは何かから逃げようとしているようで、バイオレントでありながら実に繊細でとてもイイ。ある人物の死に立ち会うシーンのやりきれなさなどはスゴいです。またジョーが救いだす少女ニーナ役のエカテリーナ・サムソノフは、表情をなくした姿が痛々しく、あまりに華奢な佇まいが胸に迫ります。

この傷付いた魂を持つ二人が辿る運命がソリッドな映像で綴られ、「レディオヘッド」のジョニー・グリーンウッドが手がけた不穏さを増す音楽と相まってどんどん強まる閉塞感、無力さを感じる男の決意、そして意外な解放へと結び付く。良いです。

↓以下、ネタバレ含む。








序盤でのジョーの何か一仕事終えた場面、後のことを思えば少女を救出するために悪党を亡き者にしたところなのだろうとはわかりますが、どういう仕事だったのかは語られません。ジョーがビニールを被って息ができない様子は自殺願望者であることを予期させますが、なぜ死のうとしているのかはそのときはわからず、やがて過去のトラウマによるのだなというのがおぼろげにわかっていきます。このようにいちいち説明するようなことはせず、映像と短い会話、後は役者の表情や視線などで綴られていくんですが、でも決して意味不明ではなく、それを読み解いていくことを観る者に促していくんですね。様々なイメージがジョーの過去やニーナが受けた仕打ちを想起させていき、と同時に事件も次々と起こっていく。これが持続する緊張感をもたらし、想像力を掻き立てます。

そんなドラマの一方で様々なバイオレンス描写も。ジョーの武器がハンマーというのが韓国映画みたいでエグいんですが、ニーナを救うために乗り込んだビルでは相手を打ち倒していく様子を監視カメラの切り替えで見せており、どこで凶行が行われているかわからないスリルと、見てはいけないものを見ているような背徳感さえ感じます。またモーテルの主人が目の前で殺されたときに血を浴びたり、仕事仲間たちの前にも何者かがが現れたりと、直接殺害するシーンはあまり出てこないもののそれがかえって残虐な行為が行われていることを意識させられます。ジョーは過去に戦地で見た少女たちが放り込まれた部屋の記憶に苛まれていますが、それもまたハッキリとは見せないことでそこで行われた非道な行為を想像してしまいます。明確には映さないことで想像力が刺激され、同時に何が起こっているかわからない心許なさも味わうのです。そこにはあらゆる類いの死のイメージかある、とも言えるでしょう。

ジョーに助け出されたニーナは数字をカウントダウンしています。これは事が終わるのを耐えるために数えていたのだということが何となくわかるんですね。ジョーにキスしようとするのもそうするように習慣付けられていたからだと思われ、そんな14、5歳の少女の姿がとても痛ましい。そしてジョーもまた幼い頃に父による虐待を受けていたときに数をカウントしています。しかも今は仲の良さそうな母親はその時テーブルの下に隠れていたように見受けられ、それがまたジョーのトラウマに拍車をかけているのかもしれません。加えて少女たちの囚われていた部屋。ジョーが何度も死のうとするのはそんなトラウマのためであり、少女たちを救うのは贖罪のためであるのでしょう。だからこそニーナを必死で守ろうとしますが、ニーナは既に心が壊れたようにさえ見えて痛々しいのです。そこには実の父が知事に娘を売り渡した、というのもあるのでしょう。

やがてニーナの父ヴォットが自殺(知事を裏切ろうとして殺されたと思われる)、事件に関わる者は次々と殺され、再びニーナはさらわれてしまい、ジョーの母までも殺されて、ジョーを現実に繋ぎ止める存在が消えていきます。まるで全てが死に向かっていくような絶望感。それはむしろ倦怠感とさえ言えそうなほど。それは母を襲った男が知事が黒幕であることを明かし、公にはできないと言いながら「酷い話だ」と愚痴るように言うところにも表れます。ジョーの手を握りながら徐々に死んでいく男の姿は、空しさと悲しさとやりきれなさの象徴のようで、ジョーから死ぬことへの躊躇さえも奪い知事の屋敷へと乗り込ませます。その際ジョーは母親を送ったときの礼装のままで来ていますが、それは自身を葬送するという意味もあったのかもしれません。しかしジョーはここでも死ぬことはできず、ニーナの手を汚させてしまったことを知って、葬送のためのシャツを脱ぎ捨てるのです。知事に死を与えたニーナが血まみれのまま食事をしているシーンは、死体の山の中にあってそこだけ生がスポットライトを浴びているかのようです。

共にトラウマを抱え、全てを壊し、行き先もわからぬままカフェで食事する二人。絶望したジョーがカフェのなかで自らの頭を撃ち抜くのは自分の無力さからでしょうか。この自殺は妄想であるわけですが、自分が死んだとしても周囲はその妄想のように何も変わらず動き続けているのだ、と思うと余計に倦怠感が募ります。原題の「You Were Never Really Here」、あなたは本当はここにいなかった、というタイトルが序盤でタクシー運転手が口ずさむのに合わせて表示されるように、ジョーは常に過去の自分を否定してほしいと思っているんですね。しかしそんなジョーにニーナは「行きましょう、今日はいいお天気よ」と言うのです。過去の苦しみや悲しみは消えなくとも、それでも今日という晴れやかな日はあるのだ、と。それまでの死に彩られたストーリーが、一気に生の息吹を得たかのよう。それは微かな希望でしかないかもしれませんが、他に何もないからこそその微かなものがとても大きな光に感じられるのです。

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