2018
06.19

忘れていた感情、未来をつかむ純情。『恋は雨上がりのように』感想。

koiha_ameagarino_youni
2018年 日本 / 監督:永井聡

あらすじ
空手チョップ!



ファミレスでバイトする橘あきらは、怪我で陸上を諦めた高校2年生。とあるきっかけで、バイト先の店長である45歳バツイチ子持ちの近藤正己への恋心を募らせていくことに。思いを抑えきれなくなったあきらは自分の中の気持ちを伝えるものの……。眉月じゅん原作の同名コミックを『帝一の國』の永井聡監督で実写化した青春ラブストーリー。

冴えない中年のファミレス店長に片思いした女子高生の恋を描き、テレビアニメ化もされたコミックを実写映画化。高校2年生の橘あきらは陸上の短距離選手ながら怪我で部活を離れており、一方の近藤正己は中途半端な思いを抱えながらファミレスの店長として働く日々。そんな17歳の女子高生と45歳のおっさんとの恋愛話、という概略だけ聞くと倫理的にマズい話なのかと思われそうですが、全くそんなことはありません。恋することの嬉しさと苦しさ、いたたまれなさが迫ってくるようなある種のラブストーリーではあるものの、若者には未来を諦めないことを示し、中年にはかつての情熱を思い出させてくれるという、素晴らしい青春映画になっています。

橘あきら役は『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』小松菜奈。近年の小松菜奈はどれもこれも良いんですが、そのなかでも最高傑作である『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』を超えそうな勢いで今作は良いです。つまり最高です。あきらっていう名前もね、個人的に刺さるんですよ。かけがえのない何かってやつが蘇る……(中略)近藤正己役は『探偵はBARにいる3』大泉洋。原作とはちょっとイメージ違う気もしますが全く問題なし、むしろ実写ならではの説得力を体現しています。あきらの幼なじみである喜屋武はるか役は『少女は異世界で戦った』の清野菜名で、あきらとのやり取りがときにスリリング、ときに暖かい。他校の陸上部、倉田みずき役の山本舞香は初めて意識しましたが(『殿、利息でござる!』に出てたらしいけど)スゴいインパクトで驚き。また近藤の盟友、九条ちひろ役の戸次重幸は大泉洋や安田顕らの演劇ユニット「TEAM NACS」のメンバーでもあり、大泉洋との共演は役柄とリンクしてて不思議な感じです。

個人的に近藤とは被るところが多過ぎて刺さりまくり。でも大泉洋でさえ「あんなおっさん」とか「クサい」とか言われちゃいますからね、じゃあおれなんてそれこそゴミ以下では……とちょっとやさぐれそうになりますが、それだけに小松菜奈の真っ直ぐさはとても眩しくて、失った何かを思い出させてくれます。長回しの臨場感や、アクションと音楽で一気にアゲてくる演出などもイイ。夢を断たれた若者と夢を諦めきれない中年が、現実と向き合いそれでも歩き出す話は、ちょっぴりビターで、でも清々しい。まさに雨上がりのようです。

原作は読めてないですが、本作観たら2話で止まっていたアニメ版も思わず一気に全話観てしまいました。実写版との違いもなかなか面白いです。

↓以下、ネタバレ含む。








■小松菜奈力と大泉洋力

やはり小松菜奈の小松菜奈力は凄かった。「2016年映画ベスト」記事で「ベスト・オブ・小松菜奈」という部門賞を作ったこともあるんですが、睨みの表情から柔らかい笑顔までとにかく魅力的。近藤のシャツの匂い嗅いじゃったり、近藤が「僕」と言うのに笑ってしまったり、デートの予定を書いた手帳に顔を伏せちゃったり、ムキ彦を取ろうと必死だったり、とにかく恋する乙女っぷりが愛らしい。一方で吉澤に対する冷酷無比な態度がキレ味ありすぎて震えます。加瀬と近藤とで全く同じデートコースなのに態度も服装も全く違うというのも愉快(なぜ空手チョップなのか)。まさか『寄生獣』のあのシーンが2回も映ることになるとは……まあ何度観ても面白いだろうけど。ちょっとドキッとする部屋着姿とか湯上りの濡れ髪とかね、エロさギリギリ手前ながら健康的なイメージは損ねてないという感じで素晴らしいですね。素晴らしいです(大事なので2回)。

近藤はそんなあきらに対して年齢的にも立場的にも至極真っ当な反応をします。そりゃいきなりJKから告白されたら嬉しいとか以前に戸惑いますよ。倫理観は無視できないし、「人を好きになるのに理由なんていらない」に対し「二人の年の差ならいると思うよ」というのもその通りです。ぶっちゃけあきらの母親の方が年が近いだろうし。もちろん好かれることの嬉しさはあるわけですが、それを思いを受け入れることに繋げるのは難しい。さらに近藤は夢も希望もない中途半端な中年という自虐めいた自覚もあるわけで、「本を書いている友人がいてすごい」と言うあきらの取り方も近藤にとってはもっと複雑であったりするわけです。またそれ以上に、自分が諦めた夢を追うことをあきらはまだできるとも思っているんですね。この辺り、大泉洋の大人ぶらない表現のバランスが良くて、加えてあきらに気圧されちゃう姿や、強風に飛ばされるときの演技などのコミカルさも絶品です。

他のキャストもみんな良いです。加瀬役の磯村勇斗(すんません一瞬、綾野剛かと思いました)はあきらへ現実を突き付けてケリをつけることを促す役割ですが、遊び人だけど悪人ではない感じが出ています。あとサンドイッチ美味そう。吉澤役の葉山奨之はあきらに冷たくされながらそれでもアタックしようとするメンタルの強さがアホで愉快です。あとサンドイッチくそ不味そう。ユイちゃん役の松本穂香は店長クサい発言での表情とかイイですねー。アニメ版ではユイちゃん→吉澤でしたが、映画版では最後に吉澤→ユイちゃんと逆の方向が示されるのは良いひねり。一番店長をののしっていた濱田マリ演じる久保さんが、最後に近藤の小説を読んで「やるじゃない」みたいな顔でクスリと笑うのとか、仕事してるか家事してるかでずっと仏頂面の母親役の吉田羊が、最後の「ありがとう」で微かに微笑むのも良いです。


■走り出す気持ち良さ

あきらと近藤を通して描くのは、恋の行方以上に夢を諦めないことの尊さと輝きです。……と言葉にしちゃうと陳腐で青臭く思えますが、これを年の差恋愛事情に絡めることで、若者のみならず全世代にまで提示して見せるんですね。そしてそこに至る経緯を、原作(アニメ版)を上手くまとめた脚色と、ときに繊細でときに大胆な演出により、映画として昇華しているのが素晴らしいです。例えば文字通り「走る」ことによる疾走感、ヒーローのように滑りながら画面に現れてから走り出すあきらとそこに重なるタイトルであるとか(最高のアバンです)、ファミレスで忘れ物を届けるために走り出すあきらと何かが始まったかのようにざわめくバイトたち、大会で新記録を出すときのあきらの走りや、倉田みずきが走ってきてあきらに壁ドンするというある意味口説きのシーンなど、音楽で一気にアゲるのもあって高揚感がスゴい。逆に終盤、朝のランニングに出かけるあきらが、はるかと共に無言でストレッチする姿のゆったりと再始動するシーンもまたじわじわと高まっていく気持ち良さがあります。

また冒頭の校庭から窓へと一直線に入っていくカメラのダイナミックさや、序盤のファミレス内での長回しワンカット、教室にいるみずきに向かってカメラが追っていく長回しなども、空間の広がりと共に始まりを予感させるワクワク感が半端ないです。空間という点ではあきらを見上げながらの頭上に広がる青空とか、朝ランニングで雨上がりの道路とバックに広がる青空など、雨のシーンが多いだけに晴れ間のショットがとても気持ちがいいんですよね。図書館のシーンも多くの棚が並んだ中でのすれ違う二人とか、本を選ぶあきらに棚の隙間から優しい目を向ける近藤などの空間の使い方がイイ。本は人に薦められて読むよりも自分を呼んでいる本を選んだ方がいい、という台詞は本好きなら思わず頷いてしまいます。あとアニメ版では多用されていたモノローグを一切使わず、演出と役者の演技だけで見せるのがとてもイイ。アニメ版との差別化にもなってます。カメラワークも随所に良いのがあって、例えばシフト表の休みの日が一緒なのを追うカメラはあきらの視線そのものなんだろうな、と思わせたりします。エンドロールで吉澤の描いたパラパラマンガが動き出し、あきらとみずきが走り出す、という後の対決を思わせるのも感慨深いです。


■未練とは違う執着

あきらは深い挫折感のためリハビリすれば復活できる可能性がありながら陸上を諦めています。せっかくはるかと一緒に夏祭りに来てもケンカ別れ。それでもあきらを待っていると告げるはるか。はるかがあきらとの繋がりを諦めなかったことで、あきらも戻る場所があるというのが泣けます。二人が幼なじみだというのは後輩との会話で出るくらいですが、小さい頃に二人で走っていた姿や、ガチャに入れた手紙、あきらからダブりでもらったムキ彦人形をはるかが全部カバンに付けてるなど、要所でその関係がわかるようになっているのが上手い。はるかが靴屋で近藤と出会うというのは少なくともアニメ版にはなかったシーンですが、陸上に戻るきっかけを作った近藤と陸上部で待っていたはるかを直接繋ぎつつ、はるかが近藤の存在を肯定するという心地よさがあります。そう考えると、あきらとみずきのシーンに近藤が顔を見せるのも、あきら復帰に近藤が欠かせない存在であったことを印象付けていると言えます。

一方で近藤と九条ちひろは同じ小説の道を目指しながら、ちひろがベストセラー作家になったこともあって疎遠になっています。近藤が必要以上に自分が中途半端だと言うのも、ちひろへの嫉妬と羨望が影響しているでしょう。それでも近藤が久しぶりにちひろに会うのは、あきらとのやり取りによって「共に過ごした時間によるかけがえのないもの」を思い出したからですね。いまや大作家になってしまった盟友、しかし会って話せばあの頃の二人に即座に戻れる、これは年を取った者だからこそわかる、懐かしくも楽しい感覚です。そして近藤に「まだ書いてるんだろ」と問うちひろ。それは当てずっぽうでもプレッシャーでもなく、近藤という男をよく知っているからこそ出た言葉でしょう。ちひろはまた、近藤の小説への思いを「未練ではなく執着だ」として、それが終わったことではなく現在進行形であることを示してくれます。そして45歳の分別ある大人として過ごしている近藤に「俺たちは大人じゃない、同級生だ」と、高みを目指す二人に違いなどないことも示すのです。

近藤が原稿用紙に万年筆で書こうとするのは随分古いタイプだなとは思いますが、そこは文豪のロマン的なあえての描写ではあるんでしょう。小説家志望でペディキュアを知らないというのはちょっとマズい気もしますが……。芥川の『羅生門』が何度か引き合いに出されるのは、作中の下人のようにはなりきれない近藤、みたいな意味合いもあるんでしょうかね。あ、そう言えば近藤の息子が大泉洋ばりに天パなのが地味に面白いです。


■雨上がりのように

雨の夜、近藤の家にあきらが来てからの流れは劇中最もスリリングなシーンです。夏風邪で弱っているところに襲来した夏の嵐。それは時に乱暴で狂暴な若さであり、でも胸が千切れそうな想いでもあります。陸上の代替としての恋愛だという加瀬の指摘は端から見ればそうかもしれない、それでもやはり好きな想いは偽りではないし、決して何かの代わりには成りえないのです。それを強調するのが、停電であきらから近藤に抱きつくシーン。ここは実はアニメ版とは大きく違う点なのですが、それがよりあきらの想いの強さを表していると言えます。「君が俺の何を知ってるの」と言った近藤と「他にやりたいことなんてありません」と言ったあきら、その二人が過去や挫折や後悔などを取っ払って呼応する、最も近付いた瞬間なのです。しかしあきらが本気だからこそ、そしてあきらを大事に思うからこそ応えられない近藤。胸が締め付けられるほどせつないです。

浜辺で近藤が「もうシフト入れなくていいから」と言うのは一見突き放してるようにも聞こえますが、近藤の表情を見れば、諦めて止まってしまいそうだったあきらの背中をそっと押しているのだとわかります。その優しさを受け入れ、再び走り出すあきら。そして近藤もまたあきらの存在を糧に一文字も書けなかった小説を書き進めていきます。互いに影響を与えて未来へと歩き出すわけで、まさに青春映画。近藤が原稿用紙に書く「この感情に名前をつけるとしたら」という文章は、アニメ版で近藤があきらを思うときの台詞ですね。こういう細かい目配せもニクいです。

ずっと夏だったのが、ラストシーンでは近藤がコートを着ていることからも、冬になっていることがわかります。すっかり復帰して練習に励むあきらと、昇進するかもしれないと微笑む近藤。それだけの時間が経っているのに、それでも泣き笑いの顔で「ともだち、友達ですよね。店長とメールがしたいです」というあきらの変わらない心。つまり相手を想うことの尊さも否定していないということです。ラストのあきらのアップは、せつなくて苦しくてそれでも笑おうとするのがさらにせつなくて、そんな描写がとても優しく、それこそ雨上がりのような湿り気を残した爽やかさ。その後の二人がどうなるにしろ、救いと癒しを感じるラストに明るい青空が広がるのを感じるのです。

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