2018
05.28

私は悪くない。『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』感想。

I_Tonya
I, Tonya / 2017年 アメリカ / 監督:クレイグ・ギレスピー

あらすじ
俺、工作員だし。



貧しい家庭で幼い頃から罵倒されながら育ったトーニャ・ハーディングは、天性の才能と努力でフィギュアスケーターとしてアメリカのトップ選手へと上り詰めていく。しかし92年アルベールビル五輪の前に元夫のジェフ・ギルーリーの友人がトーニャのライバル選手を襲撃したことで彼女の転落が始まる……。『ラースと、その彼女』のクレイグ・ギレスピー監督による実話を元にしたドラマ。

アメリカ人のフィギュアスケート女子選手として初めてトリプルアクセルに成功したトーニャ・ハーディング(ちなみに世界で初めて成功したのは伊藤みどり)。しかしライバルであるケリガン選手が襲撃されて負傷するという「ナンシー・ケリガン襲撃事件」が発生、トーニャの関わりも疑惑視されました。そんな世界的なニュースになった実際の事件を軸にしつつ、トーニャ・ハーディングの半生に迫るのが本作、なんですが、これが思いがけない方向で面白い。底辺の暮らしのなか突出した才能でのしあがっていくトーニャ、しかしその人生は波乱万丈。優しさの欠片もない母親に育てられ、反動で愛情を求めて若くして結婚したら相手がDV男、その友人は頭がおかしい、と色々ダメなんですが、それでもフィギュアスケートへの情熱は手離さない。そんなトーニャのスケートの栄光とプライベートの闇が紡がれ、コミカルだったりバイオレントだったり、ときにはスクリーンのこちら側に語りかけてきたりして、実録ものとは異なる趣きがあって非常にユニーク。

トーニャ・ハーディング役は『スーサイド・スクワッド』のマーゴット・ロビー。実際のトーニャとはあまり似てはいないものの、美しさと醜さ、強さと弱さの両面を体現し、エキセントリックでパワフル。鬼気迫ると言っていい表情の豊かさ。スケートシーンにも挑戦し、まさに新たな代表作を手に入れたという感じ。この作品でプロデューサーを兼ねるという辺り、映画人としても鼻が効くんだろうなあと思わせます。ちなみにトーニャの子供時代を演じるのは『gifted ギフテッド』のマッケナ・グレイスちゃんですねカワイイ。母親のラヴォナ役は『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』のアリソン・ジャネイ。無表情にキレのいい罵倒を繰り出す圧の強さが凄くて、第90回アカデミー賞での助演女優賞も納得。トーニャの元夫ジェフ・ギルーリー役は『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』のセバスチャン・スタンで、ハーレイ・クインとバッキーというアメコミ役者の夫婦共演ということになるんですが、そんな雰囲気は微塵もないほどクズくて笑います。

ケリガン襲撃事件は当時リアルタイムで見た記憶があって懐かしいんですが、まさかここまでバカとクズのオンパレードだったとは、と驚かされます。1992年アルベールビル、94年リレハンメルと2度も冬季五輪に出場した名選手が辿る運命はとても数奇なものですが、映されるのが全て真実とは限らないという描き方をしていて、それがまた物語に幅を持たせます。そして呆れつつも笑い、やるせなくも可笑しい。ダイナミックなスケートシーンも映画ならではのアクションとして魅せてくれます。

↓以下、ネタバレ含む。








トーニャを始め母親も元夫も、みんな基本的に自分は間違ってないと思ってる、というのが印象深いです。冒頭のインタビューシーンからしてそれぞれの言ってることが食い違うので、誰の言うことが真実かはハッキリせず『藪の中』のよう。とは言えそこはあえてボカしてるんでしょう。「第四の壁」を越えて観る者に話しかけてくるのが『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のようだったり(マーゴット・ロビーも出演してますね)、複数の部屋の複数のジェフを映してから道路に出てそのまま車で走っていくカメラワークなど、様々な表現を使って登場人物たちを描き出していくのが面白い。何より嘘みたいな話が続くので全く飽きさせないです。スケートシーンではカメラが頭上から映したりトーニャに並走するように撮ったりしていて、通常のフィギュア中継とは違う臨場感がスゴい。マーゴット・ロビーがどこまで自分で演技しているかはわかりませんが(さすがにトリプルアクセルは無理だろうし)、それでも不自然さは全く感じないので恐れ入ります。

スポ根的なスケートの練習シーンもあるものの、それ以上に生活の荒れ具合とか本番での様子などがトーニャに大きく影響しているシーンとして描かれます。暴力はあっても愛のない母親との日常。離れてはくっついてを繰り返すジェフとの腐れ縁。そんな逃げられない関係に加え、現実問題として無視できない貧困層という苦しみ。自分にはフィギュアしかないと思いながらも壁にブチ当たるトーニャの姿はときに痛々しく、手作りの衣装で舞台へ上がったら「品格も大事だ」と言われるのが苦い。でもそれでやさぐれる姿もまたトーニャの本質を表していると言えます。ZZトップの曲を使ったりする既成概念に囚われない奔放さ、「嫌ってるのは知ってるけど」という審査員への直談判の熱さ、シューズの紐がほどけたと言って審査員席に足を投げ出す抑えの利かなさ。品がないというのは確かですが、でもそれは公平に扱ってほしいという思いの表れであり、トップに立ちたいという情熱でもあると言えます。タバコの火をシューズの刃で消すショットなどはトーニャを象徴的に表していますね。

それにしてもトーニャを囲む人々、特に鬼とダメ男とバカが強烈すぎて、気の毒というのを超えて笑ってしまいます。鬼母のラヴォナは実の母親でありながら一切の愛情を見せないという能面っぷり。父親が「私も連れてって」と叫ぶ幼いトーニャを置いて去っていくほど追いつめられているというのが凄まじい。初対面のジェフに言う庭師と花の例えとか、「あの子はダメだと言った方が力を発揮する」とか、挙句「私に感謝しろ」とまで言い放ち、自分の正しさを信じて疑わないのも怖いです。投げたナイフがトーニャの腕にサクッと刺さったときはさすがに「ヤベ」という顔をしますが、でも謝らない。オリンピック中継のテレビで見るトーニャにちょっとだけ誇らしげな表情を浮かべますが、その後で「よく頑張った、誇りに思う」と言いながら録音しようとする極め付けのゲスさを見せる。やはり鬼だろうとは思いますが事実は最後までわからず終わります。

ダメ男ジェフは最初こそ好青年でトーニャとの初キスシーンなどは微笑ましいくらいですが、結婚しての豹変っぷりが酷い。自分の手の届く範囲におきたい、思い通りにいかないと気が済まないという典型的なDV男で、自分が愛されていると思い込んでいるんですね。ただトーニャも目論見があるとは言えそんなダメ男とヨリを戻したり、互いにショットガン撃ったとか撃たないとか食い違ったり、どっちもどっちだったりします。事実はわからない、事実などない、これが事実だ、と語るのは本作の核心のひとつでしょう。その点ジェフの友人ショーンは非の打ち所のないバカと言うかサイコと言うか完全にアウトですね。襲撃事件の黒幕でありながら、計画は杜撰、実行犯は間抜け、それでいて自分はスゴいと思い込んでいる。笑いどころなわけですが、特殊部隊の工作員とか言ってるのが嘘なのか妄想なのか本気なのかがわからないという点では一番怖いですね。最後の本人たちのインタビュー映像はどれもそのまんまで笑いますが、ショーンが本当に劇中と同じような妄言を言っている姿には驚きます。

自分は正しいと言うラヴォナ、自分は愛されていると思うジェフ、自分はスゴいと思い込むショーン。そして自分は悪くないと繰り返すトーニャ。みんな自分本位である、ということが引き起こした悲劇であり、その無茶苦茶さが喜劇でもあります。最後のコメント文でも、今は母となったトーニャの言葉を「よい母親だと知ってほしい、とのこと」と若干の悪意のこもった言い回し。ただ、じゃあ本作はそんなトーニャを笑い者にしたかっただけなのか?といえばそうではないでしょう。コーチがトーニャを評した言葉、愛されるか嫌われるか。それは仲間がいて敵がいるということ。そして栄光と挫折が描かれ、愛情を仄めかしながら手のひら返しされる様や、底辺が味わう格差、ひたすら主張する正当性などが浮かび上がってきます。まるでこれは一人のスケーターを通して見せる、アメリカという国のあらゆる側面でもあるように思えるのです。

もちろんトーニャのフィギュアスケートに対する矜持や情熱というものも無視できません。鏡の前で作る笑い顔と崩れた泣き顔には胸が痛み、裁判所でスケート界の追放を告げられたときの「スケートを奪わないで」には胸が締め付けられます。自業自得かもしれない、でも彼女にとってフィギュアスケートのリンクは自分が自分でいられるための唯一の場所だったのでしょう。その後ボクサーになったというのはそういえば昔聞いた気もしますが、失ったものを吹っ切るかのように再び戦いの舞台に上がるという点で『フォックスキャッチャー』の主人公と重なるのも興味深いところです。パンチでフッ飛ばされる姿とスケートのジャンプ姿の重なりに、否応なく突き付けられる過去の栄光と現実の挫折。それでも生きていくのだというある種の強さがそこにはあるのです。

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