FC2ブログ
2018
04.03

音楽に乗せた夢、記憶に生きる家族。『リメンバー・ミー』感想。

coco
Coco / 2017年 アメリカ / 監督:リー・アンクリッチ

あらすじ
チャンスをつかめ。



ミュージシャンを夢見る少年ミゲル。しかし彼の一族は音楽を禁止されていた。そんなある日、ミゲルは伝説のミュージシャン、デラクルスのギターを手にしたことにより、生きながら「死者の国」へ迷いこんでしまう。何とか元の世界に戻ろうとするミゲルだったが……。『トイ・ストーリー3』のリー・アンクリッチ監督によるピクサーの長編アニメ。第90回アカデミー賞で長編アニメーション賞、主題歌賞を受賞。

ピクサーの新作、今回の舞台はメキシコで、ある少年が「死者の日」に遭遇する奇妙な出来事が描かれます。「死者の日」と言えば『007 スペクター』の大パレードなんかが浮かびますが、死者の魂を現世に迎えるという要するにお盆ですね。そんな日に、ギタリストでミュージシャン志望なのに音楽禁止という家族の掟に縛られたミゲル少年は、とあるきっかけで死者の世界に迷い込むことになります。いやもう、すっごい良かった!死を感じさせないほど陽気で色鮮やかな死者の国のビジュアルは壮大で美しく、ガイコツを擬人化した(というのも妙ですが)死者の人々も魅力的で、そんな世界へ生きたまま飛び込んでしまった少年のルーツを探る冒険、家族を知る旅に終始ワクワク。死生観も織り込みつつ意外性のある脚本は抜群に上手く、極彩色で圧倒される美術に胸は踊り、音楽の力を見せつける楽曲も素晴らしい。

主人公ミゲルの表情の描き方がとても良いんですよ。各キャラの配置や、ほぼ骨なのに表情豊かなデザインなども良くできていて、ダークな世界のはずなのに実に楽しげ。ミゲルと行動を共にすることになる死者のヘクターなどのガイコツアクションも愉快です。また音楽映画としても良くて、劇中繰り返される曲『リメンバー・ミー』は『アナと雪の女王』の『レット・イット・ゴー ありのままで』の作詞作曲、クリステン・アンダーソン=ロペス&ロバート・ロペスが担当というだけあって、気付くと口ずさんでしまうほど耳に残る良い曲でありつつ物語の鍵にもなっています。あとチョーキングにビブラート、スライドなどギターを弾く描写のこだわりもスゴい。

字幕と吹替の両方観ましたが、字幕版はヘクター役が『ノー・エスケープ 自由への国境』のガエル・ガルシア・ベルナルなどメキシコ系の役者が声を当ててますね。吹替版も全く問題なしで、誰が吹替してるか知らずに見たので最後にキャスト見て驚きました。歌も全て日本語で録り直しており、エンド曲のシシド・カフカ&スカパラ版もなかなか良いです。劇中の文字まで日本語にする執拗なローカライズは、まあピクサーは以前からだからしょうがない。でも「こんにちは」じゃなく「オラ」って言ってたのは良かったです。

本当の死とは何かというシビアな側面を描きつつも、カラフルで愉快な世界観に引き込まるしれ、ある時点でそれまでとは全く違う話が見えてくる構成には驚き。そして忘れないということ、赦すということの大切さに爆涙です。最高でした。

ちなみに同時上映は『アナと雪の女王 家族の思い出』。『アナと雪の女王』の主人公エルサとアナ姉妹のクリスマスを描く短編、と言いながら22分もあって時間的に短編のレベルじゃないんですが(曲も6曲くらい歌うし)、でもそうきたか!という話の展開や思いがけないアクションもあって飽きさせないし、オラフが不死身だったりスヴェンが芸達者だったりに笑うし、毛糸で織ったような映像の面白さとか、伝統はつまり思い出の集積であるという点で本編にも通じてたりとか、『雪だるまつくろう』は名曲だなあとかあって、個人的には楽しめました。ただ完全にアナ雪ファンへのごほうびなので、やはり本編がピクサーなんだからピクサーの独創的な短編を観たかったところ。ところでオラフのあの声がピエール瀧というのがいまだに信じられません。

↓以下、ネタバレ含む。








■夢か家族か

オープニングからメキシコの風景やら民芸品やらの美術がしっかりしていて、かつ下町の開けた楽しげな雰囲気にやられます。「死者の日」といっても盛大なパレードは出てこず、マリアッチが広場でギターを鳴らしたり、墓地のあちこちで明かりが灯ったりと町のお祭りという感じ。そんななかミゲルは音楽好きでありながら音楽禁止の一家のなかで、靴職人の息子として暮らしています。音楽を禁止するのは祖母の母であるママ・ココの父親が家族を捨てて音楽の道に走ったからなんですが、この家族に縛られて夢を追えない、というのがまずひとつのポイント。一族はそのご先祖のために音楽を遠ざけるべきという、呪いのような掟を守って暮らしているわけです。

ミゲルは尊敬するミュージシャン、デラクルスに憧れて、おそらくあの小部屋でギターを練習し才能を開花させていったのでしょう。能力と目指す方向が一致しながらその道に進めない、そこにあるのは家族による縛りというまた別の呪いであると言えます。祖母のエレナがギターを壊してしまうのはあまりにあんまりで、飛び出してしまうのもわかるというもの。しかし死者の国に迷い込んだことで、嫌でも家族の許しを得なければならなくなる、というのがもうひとつのポイント。ミュージシャンの夢を追う、家族と和解する、この相反する二つのポイントのせめぎあいがドラマを作っていきます。

死者の日に死者の物を盗んだことで迷い込んでしまったあの世。しかしそこに拡がるのは広大でサイケで美しい独特な世界。この美術の素晴らしさには圧倒されます。魂のガイドと呼ばれる動物の姿をした守護霊的なものたちの色使いがまたビビッドでイイ。ネコバスの怪獣感とか結構な迫力(ネコバスではない)。あと犬のダンテ(ちょっと『アイス・エイジ』のリスっぽい)に死人扱いのミゲルが見えていたのはそういうことだったわけですね。キャラは生者も死者も魅力的で、ミゲルの死者メイクはカワイイし、エレン婆さんのサンダル攻撃は強すぎるし、あとママ・ココのシワ表現はCGアニメとして『カールじいさんの空飛ぶ家』を遥かに超える凄まじさでちょっと驚きました。


■真実の反転

死者の国でミゲルが出会うのは亡くなった一族の面々。そしてヘクターとデラクルスです。ヘクターは利害関係が一致した協力者として接しますが、コンテストでの陽気で楽しいステージもあり、バディとしての位置付け。一方でデラクルスはママ・ココの父親であり前述の二つのポイントをクリアできる存在だと思わせるわけですが、デラクルスがすんなり受け入れるところでおや?と思うわけです。そしてデラクルスの悪行が判明し、実際のご先祖はヘクターの方だったという、それまで見せてきた構図を一気にひっくり返す展開には驚き。

デラクルスが口癖のように言う「チャンスをつかめ(Seize your moment)」という言葉が、好機を逃さず夢を追うという爽やかな意味ではなく、たとえ相棒を殺してでも手に入れるという全く違う意味に変わるんですね。そして『リメンバー・ミー』が大衆に向けた愛の歌などではなく、ヘクターが愛する娘のために作った歌であることもわかります。ヘクターこそが家族であり、家に帰ろうとしたヘクターを亡き者にしたデラクルスこそが一族に音楽禁止の呪いをかけた原因でもあったわけです。この反転にはやられました。

それにしても殺されたヘクターが殺したデラクルスの目の前にいるというのは何だか不思議な感じもします。そこからリベンジへと繋げていく運び方や、ステージに映るカメラの映像で本性を露にさせるくだりなど、デラクルスはとことん悪人として描かれており、その真実をきっかけに家族の団結へと繋げるんですね。曲は盗作ながらギターと歌声で魅了したというのはある気もしますが、ヘクターへの行いがあるのでその点は容赦ないです。最後はまた鐘につぶされるのが哀れ。


■忘れないで

ミュージシャンの夢を追うこと、家族と和解すること、この二つのポイントは「家族は支えあうもの」というミゲルの言葉に対して歌うイメルダでまず繋がりが見えます。そして二つを繋げるもうひとつのポイントとして「二度目の死」があります。字幕では「永遠の死」なのでさらに重いんですが、これは生者に忘れられると死者の国からも消えてしまうというもの。ヘクターの友人が消えるシーンは非常に寂しく、ヘクターもまた消えそうになるというのがスリル。死者がまた死ぬというのは、肉体的な消滅とは別に人々の記憶から消えることによる存在の消滅ということを意味します。それは死というよりも無というべきもの。ミゲルが家族を大事に思うに至るのは、写真や祭壇をくだらないと言ったことが二度目の死に繋がると知ったからであり、存在の消え去る怖さを知ったからです。そして消えようとするヘクターを救うのは、ママ・ココが歌う「リメンバー・ミー」であり、その歌を引き出したのはミゲルのギターと歌です。音楽は家族を救い、家族は音楽の呪いから解放され、ヘクターの死がココの生の記憶によって退けられる。三つのポイントが影響しあうのです。

ミゲルと共に行動し壮絶な人生を見せたヘクターはもう一人の主役であり、そのヘクターを救ったココの名が原題となっているのは、夢を追い、家族と別れ、二度目の死に面したヘクターを救ったのがココだからですね。過去には父を恨んだかもしれませんが、子供の頃の幸せを思い出して許したようにも見えるのです。ミゲルがココに歌うシーンなんて涙が滝ですよ。あえて難を言うなら、会ったこともない祖先を覚えていられるだろうか?とか、イメルダ以前の祖先はどうでもいいのか?とか、独り者は速攻で二度目の死なのか?というのはありますが、まあ揚げ足取りの類です。夢を追うことと家族を大事に思うこととは並行して語られ、家族のために夢を諦めることも夢を追うことも否定はしていない、という匙加減などもまた絶妙。さらにはココはその後ほどなく亡くなるわけですが、もはや死は忌避すべきものではなく、別の世界にまだいるのだから忘れないでいようと思うこともできるわけです。だからこそ、音楽を禁じていた家での陽気すぎるパーティシーン、ココがエレナに寄り添い、他の祖先も皆がいて、ヘクターとイメルダが踊り、家族がミゲルを高く掲げる、というラストに多幸感が溢れるのです。

スポンサーサイト



トラックバックURL
http://cinemaisland.blog77.fc2.com/tb.php/1364-f91a3e5a
トラックバック
back-to-top