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2018
03.25

積み重ねた日々が導く運命。『15時17分、パリ行き』感想。

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The 15:17 to Paris / 2018年 アメリカ / 監督:クリント・イーストウッド

あらすじ
自撮り棒は便利。



2015年8月21日。オランダのアムステルダムからフランスのパリへ向かう高速列車タリスに乗り込んだイスラム過激派の男が、銃で無差別殺人を試みる。その列車にたまたま乗り合わせていた3人の若者は、この危機を目の当たりにするが……。クリント・イーストウッド監督による実話を元にしたドラマ。

2015年にヨーロッパを走る特急列車で起こった「タリス銃乱射事件」と呼ばれる無差別テロを映画化した、『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』に続くイーストウッドの実録もの。幼なじみのスペンサー、アレク、アンソニーの3人の、少年時代の出会いから事件に遭遇するヨーロッパ旅行までが描かれます。特筆すべきは主人公の青年3人、アメリカ空軍兵士のスペンサー・ストーン、オレゴン州兵のアレク・スカラトス、2人の友人アンソニー・サドラーを、プロの役者ではなくなんと当の本人たちが演じるということ。他にも彼らに協力した人や銃で撃たれた人も本人のようです。でもこの実録ものに本人キャスティングというのが、本人だからなじんでるのが当たり前ではあるんですが、演技っぽくもなくやけに自然でそれがかえって不思議な感じ。

また構成もなんだか変わっていて、てっきり事件の前後をフォーカスしたサスペンスかと思ってたら全然違ってて唖然とします。3人の少年時代(さすがにこれは子役だけど)から成年期にかけての様々なエピソードが綴られ、しかも唐突に場面が進んだりもします。後半はそんな彼らのヨーロッパ旅行の様子が延々と描かれ、一体何を観に来たんだっけ?と戸惑うこともしばしば。でも子供の頃からの積み重ねや場面のすっ飛ぶ展開にはどこか他人の人生の記憶を追体験するような感覚があるし、カメラや演出はちゃんと映画としての見応えがあるので、単なる再現劇とは言いがたい。結果、何とも言えない面白さを感じるんですよ。

と言うわけで再現ドラマよりドラマチックだしドキュメンタリーよりフィクショナル。シーンを大胆に切り替えながら進む物語は、一点に向かって収束していくというよりは積み重なったものが一気に解放される感じ。そして動くべきときに動いた男たちの話です。旅行気分も満喫。イタリア行きたいなあ。ちなみにローマのスペイン広場の階段を主人公たちが登るシーンで、画面左端を歩いてる女性が超ナイスバディなんですよ!というのは記しておきます。

↓以下、ネタバレ含む。








いつもまわりの大人たちに異端児扱いされていたスペンサーたち。ちょっとしたことで校長室に呼び出され、周りとも馴染めずサバゲーで遊ぶ日々。少々鬱屈した少年期を送っていたわけですが、とは言えそこまで特別なことが起きるわけでもないと言うか、実際には転校を余儀なくされたり、アンソニーとの別れ、そしてアレクとの別れがあったりもするわけですが、唐突に場面は青年期に移り、成長したスペンサーはいつの間にかアンソニーと再会して一緒にテレビ見てるし、アレクとも普通にスカイプしてたりするので、友と別れる寂しさみたいなのもなく淡々と進んでいくんですね。空軍に入ったスペンサーはやたらテンポよく色んな部隊を回されていくし、アレクは学校で軍隊に入りたいと言った直後にはもうアフガンにいるし、でも任務は暇そうでトラブルもリュックをなくしたくらいで「今はアフガンよりISISだ」とかトレンドみたいに言う呑気さ。要するに「そんなことあったなあ」と思い出を語るようなライトさなわけです。野郎3人のヨーロッパ旅行も、ローマからいつの間にかヴェネチアにいて、リサと出会ったと思ったらいつの間にか別れてていきなりドイツ、気付いたらアムステルダムにいるというダイジェスト感。

まあ観光ガイドのようでこれはこれで楽しいんですけどね。と言うか、幼少時から青春時代を経て高速列車タリスに乗るまでの間にこの3人への親近感が自然と芽生えていて、いつの間にか一緒に旅をしているような錯覚さえ覚えるんですよ。3人の芝居が上手いとか下手とかではなくごく自然だというのもあって、余計近しく感じられます。また、要所要所でこれが彼らの、特にスペンサーの人となりを形作っていったんだなというのがわかるんですね。スムージー屋にきた軍人が「パラレスキュー部隊は人に手を差しのべる」と言ったことがスペンサーが人を救いたいと思う指針になったとか、そのパラレスキューに入るために「今までこんなに頑張ったことはなかった」と言うくらい努力したり、結果入れず色んな部隊を転々としながらもそこで柔術や応急措置を身に付けたり。つまりこの構成は、なぜあの3人が英雄的行動を取れたのかを彼らを形作った少年期まで遡って描こうとしているわけです。アレクの友人女性が父の言葉として「人には皆物語がある」と言いますが、まさにそれでしょう。無駄に思えたり遠回りに見えたりした全てがその人を形成し、物語と成り得るんですね。「目的に向かって、運命に導かれている」と言うスペンサーが積み重ねていたものが、その運命に導かれたワンシーンに活かされるわけです。

途中何度か事件の列車シーンが挟まれますが本当に少ないので、スペンサーたちが列車に乗り込もうとするところでようやくか、とは思うんですが、wi-fiが入らないから一等車に移ったことが運命的だったというのもわかるようになっていたりするのが上手い。あと犯人がトイレで鏡を睨み上げて凄まじくギラギラした目を映すシーンの、鏡の隙間の幅とか目の位置のバランスなどがスゴくイイんですよ。あのショットだけで犯人の凶暴さと覚悟が十分伝わります。そしてそれまでののんびりムードに突如襲い掛かる非日常性、瞬時に漲る緊迫感、それを映し出す迫力。「スペンサー、ゴー」で走り出すスペンサーの、首や指を切られてもひるまず、それまで培ってきたものを出し切るかのようなファイト。アレクが武器を無力化し、アンソニーが加勢する。犯人が予想以上に粘りなかなか拘束できないのがもどかしく、縛り上げた後は胸を撃たれた男性の救助にヒヤヒヤします。そして銃で撃たれても不発で発砲しなかったという僥倖は、アレクが「奇跡か」と言うように本当に幸運だったわけで、そこにも運命的な結末を感じざるを得ません。

ラストのフランス大統領から表彰されるシーンは実際の映像を使っているようで、それを後ろから映した映画用のシーンと巧みに組み合わせているのが虚実の境が曖昧になっていて面白いです。言ってしまえば落ちこぼれだったスペンサーが「運命に導かれて」行ったのは、無差別テロによる何十何百という殺戮を防ぎ、命を救った行為です。しかし電車を降りたときのスペンサーには英雄としての高揚感はなく、子供の頃の祈りの言葉を繰り返すのみ。でもそうやって祈った願いを今また思うことがこの奇跡的なドラマに謙虚さを与え、スペンサーと友人たちにますます親しみを感じることになるのです。そして異端児だった彼らが地元でパレードをするという痛快さ。イーストウッド作品のなかでも特に奇妙な味わいのある作品ですが、その独特な構成やキャスティングが見事にハマった本作もまた奇跡的と言えるかもしれません。

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