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2018
03.15

私を私を誇る。『グレイテスト・ショーマン』感想。

The_Greatest_Showman
The Greatest Showman / 2017年 アメリカ / 監督:マイケル・グレイシー

あらすじ
ショーの基本はビラ配り。



貧しい使用人の家に生まれながらも幼なじみの令嬢チャリティと結婚したP・T・バーナムは、妻子のために博物館を開くが上手くいかない。そんななかバーナムは、日陰に生きる様々な人々を集めて今までにないショーを作り上げ、大成功を収める。しかし貪欲に成功を求める彼にやがて波乱が襲いかかる……。ヒュー・ジャックマン主演のミュージカル。

19世紀アメリカに実在した伝説の興行師、P・T・バーナムの半生を描いたミュージカルです。バーナムは家族の幸せのため稼ごうとするも会社は倒産。そんなとき個性的な人々を集めたショーを思い付いて興業開始、これが大盛況。さらに新たな成功を追い求めていきます。音楽を手掛けるのが『ラ・ラ・ランド』でアカデミー主題歌賞を受賞したベンジ・パセック&ジャスティン・ポールということもあり、とにかく楽曲が本当にイイ。素晴らしい歌と踊りには否応なく引き込まれ、ミュージカルシーンは圧倒的な高揚感。話的にはえげつなさはあるものの、ショーの出演者も笑い者になるのではなく楽しませる者として見せる配慮が強く感じられるので、娯楽作として受け入れられます。

非常に危ういバランスではありますが、それを絶妙に成り立たせるのがバーナム役の『LOGAN ローガン』ヒュー・ジャックマン。『レ・ミゼラブル』でも披露していた歌声は素晴らしく、バーナムという人物には問題があるもののヒュー・ジャックマンの魅力がグレイテストなので相殺されている感があります。バーナムのパートナーとなるフィリップ役は『ペーパーボーイ 真夏の引力』のザック・エフロン、バーナムの妻チャリティ役は『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のミシェル・ウィリアムズ、歌手のリンド役は『ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション』レベッカ・ファーガソン、それぞれ良いし、ショーのメンバーであるアン役のゼンデイヤ、レディ役のキアラ・セトルは歌も素晴らしい。

成功を追い求めて他者への考慮を忘れる興業師、という点では『SING シング』に通じるものがあります。バーナムの利己的な行動に鼻白む場面もありますが、そんな不愉快さを最小限に抑える工夫があり、結果フリークス扱いされる人々が自己を解放する話としても成り立っていると言えるでしょう。何よりミュージカルシーンの素晴らしさが物語を凌駕。夢を求めること、多くの人を楽しませること、差別を越えること、家族を幸福にすること、といったポジティブさの方が印象に残ります。

↓以下、ネタバレ含む。








冒頭の『The Greatest Show』で足踏み手拍子からゴージャスでパワフルなステージへのワンカット、というところでもう持っていかれてしまうように、ミュージカル・シーンはすべて素晴らしいです。夢を語る『A Million Dreams』ではバーナムとチャリティのなれそめ、その子供時代から大人への流れを歌詞に乗せ滑らかに見せます。『Come Alive』ではメンバーたちが圧巻のステージを見せ、『The Other Side』ではバーナム&フィリップコンビの始まりを描きつつ、サポートのはずが最も視線釘付けにさせるバーテンが最高。スポットライトのなかロープとリングで舞うゼンデイヤが美しい上にホットパンツ姿なのが好きすぎる『Rewrite The Stars』、歌は吹き替えながらリンドことレベッカ・ファーガソンの歌姫姿が力強く美しくクラクラする『Never Enough』。サントラで聴くとすぐにシーンが浮かんでくる楽曲ばかりなのがスゴい。

実在の人物を扱っているとは言え、実際はトム将軍とサーカスは別立てだったようだし、物語はかなり脚色されているのでしょう。映像的にも若干ファンタジックで、アパートの屋上で踊る動きと一緒にシーツも翻るとか、走馬灯で見せる「お願い器」のキラキラ感とかの見せ方も幻想的。ショーの曲はどうやって流してるの?とか(オーケストラはいなかった気が)、まあミュージカルだから、で説明は付くんですが、そういうそこはかとない非現実感がフィクション性を強めてはいます。バーナムが始めるサーカスはフリークスや軽業師を集めたもので、現実的にはやはり差別とか見世物感はあったでしょう。そもそも「サーカス」という言葉が劇中では侮蔑的な意味で使われたりするし、実際マイノリティに対して差別的な人々も映され、終いには会場が燃え落ちたりもします。でもそれでも立ち上がり再びショーを続行しようとするメンバーたちにこそスポットが当たっているわけですね。

とは言え主人公はあくまでバーナムであるため、彼の人となりにはかなり気を使っているように思えます。人を楽しませるのが好きな男であり、素晴らしいショーを人々に見せたいと思っている男というプラスの方向性を演出、演じるのが好感度抜群のヒュー・ジャックマンなだけに野望に燃えるというよりは夢を追う人というイメージが先行します。マイノリティを集めたショーは「生きた者じゃないと」という娘たちの助言によるもので「生」のイメージだし、そこに人魚やユニコーンといったさらなるイメージを被せることで、奇異なものではなく不可思議で素敵なものという印象も抱かせます。新聞で散々俗悪だと酷評を書かれるため成功で調子に乗るという感じにもならないし、レベッカ・ファーガソンに迫られてもそこで流されるような不実さもありません。またサーカスからジェニー・リンド公演の方に夢中になってしまうのはそれだけリンドのステージにほれ込んだからというのもあるでしょうが、これなら上流の人々をターゲットにできると踏んだからでしょう。その生い立ちから貧しさへのコンプレックスは伺えるし、チャリティの両親との会話からも「上流を見返せる」という思いがあったかもしれません。演目により想定するターゲットが違うのは興行する側としてはおかしくはないですね。

そうやってバーナムのイメージは巧みに作り込まれますが、しかしリンドの歌に対して「本物」という言葉を使ってしまうために、相対的にレティたちを「偽物」へと貶めてしまうんですね。共にイギリス女王に謁見までした仲間たちをリンドの打ち上げ会場から追い返してしまい、彼の思う「本物」は上流階級にウケるもの、ということが露見してしまいます。バーナムの抱くものは「夢」というよりは「欲」であり、家族を幸せにするには「富と名声」が必要だと思っているのです。リンドに対しても最初は歌も聴かずに誘ったりするので、やはり金が目当てではあったのでしょう。夢を追うあまり周囲を蔑ろにするのは『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』を思い出します(でもそこまでクズではないバランス)。

しかし、たとえバーナムの興味が己の夢だけだとしても、身体的差異のある者が日の当たる場所に出ることができた、ということが重要なわけです。動機が何であれバーナムはきっかけではあったわけだし、もし実際は見せ物色があったのだとしても、劇中は見せ物にされているというような描写はなく、レティたちは皆胸を張って客前に出て、観客も皆楽しんでいます。これは美談にしているというよりは、映画の描くメッセージがあくまでも『This Is Me』だから、ということであり、だからこそバーナムが一番醜く描かれるときにこの曲を歌うレティたちの姿が胸に響きます。また、バーナムが上流を取り込もうとしたのに対してフィリップは逆に上流を捨てる存在として描かれます。一度は繋いだアンの手を離してしまったことを後悔し、両親の差別意識に怒りをあらわにする。フィリップはバーナムの鏡像として『This Is Me』の側で引っ張っていく役割なんですね。

やがて家族も去って一人になってしまったバーナムを救うのが、結果的にバーナムに光を与えられたレティたちであり、最後は何もない埠頭にテントを立てて新たな居場所を作り出します。人と異なるだとか肌の色が違うだとか階級の上下だとか、そんな差別を超えたところに表れる圧倒的なエンターテインメントの威力。ここで歌われるのが『From Now On』であり、周囲に迎合するのではなく自分を誇った「今」こそが始まりなのだ、と示して物語は幕を閉じるのです。巧みに隠しながらも滲み出ていた嫌悪感を、最後に払拭してみせる大団円。まさにグレイテスト・ショーです。

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